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疑問に応える 6 汝自身を知れ!
前回の5では私が何をやったのか・・・ということを中心に書きました。

今回は他の例を挙げる前に、まったくの絶望状態の人間は何をやる(考える)のか?からいきましょうか。

とは言え、こんな事は小説やテレビでも腐るほど、自暴自棄になって荒んでいく人間のなれの果てのお話がありますから、それで充分でしょう。

ただ、パターンに共通性があるので、これは考えておくのも悪くはないでしょう。似たような状態が出現しているときに無能に陥っていると自覚しやすいですから。もちろん、分かったところで立ち直れる保証はありませんが。

1.何故だ!!!と絶叫する(だけ)。
2.1に自分だけどうして!!!と不運と自己憐憫を加える。
3.2にあいつは大丈夫なのに何で俺はダメなんだ!!!と猛烈な怒りと嫉妬が渦巻く。
4.他人に対してだけでは足りず、神や仏にも怨嗟を吐く。
5.結局、どうにもならず、神や仏に奇跡を願う。
6.神や仏は応えてくれず、落ち込んでいく。
7.形を変えての1~6の繰り返し。

だいたい、こんなところですか。これが、その人なりの感情表現の形式で演じられていくわけです(笑)

こうして、列挙してみればアホさ加減が判るでしょう(笑) 今の私はこれらを克服したわけではまったくありません。その後も絶望はしませんが、落胆、意気消沈、失意、など近い状況に落ちた時は、似たようなことは出現しましたし、今だってその可能性はあると確信しています。

ただこれまでの経験から解るのは、これらの現象は起きても、起きていることに気づくということです。その現象にすぐに気づくのでアホらしいと強烈に実感できるため、サッサと他の選択肢を探すのです。

ただし、一応、過去の自分のことを弁明しておくと、やったのはこれだけではありません。

当時、精神世界には多少首を突っ込んでいたので、知っていることは全部やりました。

例えば、最近はポピュラーなポジティブシンキングとか、さらに特化したイメージトレーニングとか、祈り、瞑想、神社仏閣での加持祈祷、etc.

結果はさらに強烈に1~6の繰り返しに終わり(笑)

もちろん、これらの方法がダメだという気は毛頭なく、今はむしろ当時より非常に有効であると実感しています。では、何故、当時はダメだったのか?

答えは簡単明瞭、昔から格言・名言・ことわざなどに残されていますね。例えば・・・

苦しいときの神頼み!
溺れる者は藁をもつかむ!
古い革袋に新しい酒は汲めぬ!
暗中模索!

etc.

ことわざレベルの一般論では、これはこのとおりですが、少し違う角度、領域から考えてみるのも有益です。

とりあえず、二つほどキーワードを挙げておきます。

平常心
重力

幾つも大事なファクターはありますが、この二つは私の問題を解くにはとても有効です。脇道に逸れるわけにもいきませんので、いずれとして、興味のある方、暇な方は考えてみてください。自分で解けると楽しいですよ~♪

さて、今回のサブタイトルにも触れなければなりませんね。

汝自身を知れ!という言葉は誰しもがご存じでしょう。

私も知っているつもりでした。でも、識ってはいませんでした。

1~6を繰り返して月日が経っていったある日奇跡が起きました(笑) そう、長い目で見れば奇跡といってもいいような事です。

でも、こんな事は誰にとっても当たり前すぎて、奇跡なわけはありません。ですが、当時の私にこれが起きた!!!ということはまさに奇跡?神懸かり?のような事なのです(笑)

で、その奇跡とは・・・

『ひょっとして俺って変なのかな?』と一瞬、閃光のように頭の中を掠めていったのです。

あまりに一瞬で微かなので、朝起きたとき、夢を思い出せないもどかしさのような気分で、今のヒラメキが何だ?何だ?と妙に気になったので、その時の事をこうして覚えているのです(笑)

皆さんは自分が変?だと思ったことありますか?

私は生涯、この時までただの一度も、思ったことも感じたことも無かったのですよ。

口先では、私は変わり者で、偏っていて・・・と言ってはいましたが、実感なんてこれっぽっちもありませんでした。変なことをしたり、間違えたりしても、たまたま失敗した、ツイていなかったくらいにしか思ったことはなかったのです。

無意識下では自分は、至極普通の人間どころか優れているのでは?と思っているほどだったでしょう。

だからこその1~6なのです。どこに、自分が間違っている、間違っていたとの反省がありますか?
全てが人のせい、外(環境)のせい、あるいは、運や能力(遺伝)、さらには神・仏・悪魔・霊など・・・まったく自分自身が登場しないのですよ。それに、まったく気づいていないのです。

ですから、生まれて初めての感慨なるが故に、その思いを認識することすら困難だったから、夢のようなと表現したわけです。

今でこそ、こうして客観的に言語化していけますが、当時は、こんな事ができるわけもなく、『何だか今、???と感じたんだが・・・何かとっても大事なような気が・・・』と悶々とするハメになりました(笑)

ですから、本当は『ひょっとして俺って変なのかな?』というのは今の私が言語化したのであり、当時は言語化以前の微かなヒラメキ?レベルの感覚だったのです。

そして、ここから、単なる知識ではなくソクラテスの言った『汝自身を知れ!』の探求の道を感情として、感性として辿ることが始まることになります。

長くなったので、次回に一つ二つ優れた例を挙げましょう。

優れたで思い出しましたが、素晴らしい方の動画がありますので是非、ご覧ください。

もしも、心が、感情が、身体が奮えてこないならば、人間としての能力が残念ながら見事に衰退しつつあるという証左です。

ですが、仮にそうだったとしても希望はありますからご安心を(^_-)

追伸 

あっという間に動画が削除されました。反響の大きさを物語っています。しかし、国民の為を思っての発言を平然と消させる感性は腐りきってますね!

こちらをどうぞ!
【2011/07/30 22:18】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
縁は異なもの味なもの
今日は私の生徒さんの気功教室が15周年を迎えたとのことで、顔を出してきました。

生徒さんが気功を教えていたのは知っていましたが、私は基本的には生徒さんが何をしているのか、何をするつもりなのかについてはノータッチなので、この方を含めほとんど生徒さんのことは知りません。

今回、15周年を記念して、気功の中健次郎先生をお呼びするのでいかがですかと声をかけていただいたのです。

実は中先生のお名前は20年近く前、太母さんのお寺でお聞きしてしておりました。凄い太極拳の使い手がいると。そして、お寺にもたまにいらっしゃると。

私も当時、太極拳は夢中でしたから、是非拝見したいものと思っておりましたが、タイミングが合わず、お会い出来ないまま、いつしか時は流れてすっかり失念しておりました。

まさか、生徒さんが中先生からも気功を習っていたとは、つゆ知らず、お声をかけていただき、これは是非にと伺った次第です。

中先生の動きは素晴らしく、また人柄も良く、噂に違わぬ方だなと思いました。

若者二人を指名し、お腹を殴らせたり、凄いのは肋骨を殴らせたりと、相当な功夫(コンフー、ある種の鍛えた蓄積した力)がなければとても出来ないことも見せてくださいました。

私も手を挙げて出たかったのですが、若者というご指名ですから、さすがに図々しいかと(笑)

これ以外にも、中先生の気功の先生方の写真やお話なども興味深かったです。100歳以上の先生方のオンパレードで、こんな100歳以上、見たことないというスーパーじじいばかりでした(笑)

また、話も凄まじく、中先生の持っていたコップの水を凍らせたとか、最近はタライの水を一瞬で目の前で凍らせたとか・・・さすがに中先生も人間の力って凄いんだなと驚いたそうです。

女性の先生(おばあさん)が演じると、香しい花の香りが立ちこめてきて、うっとりするそうです。加齢臭が当たり前なのに羨ましいですね(笑) 私も真面目に気功をやろうかな(笑)

久々に現実離れしたお話をたくさんお聞きし、若かりし頃のこんな話ばかりしていた頃を懐かしく感じ、トキメキました(笑) たまには娑婆世界から離れて、こういう雰囲気に浸るのも大事ですね~♪


ところで、今日のような出来事が起きるであろうことは、実は私、予見していたんです。私も超能力者ですか(笑)

もちろん、そうではありません。私の生徒さんが中先生から習っていることも、今回、お呼びすることもまったく知りませんでしたから。声をかけていただいたのは10日位前ですが、声をかけてくださらなければ今も知らないままです。

7月2日にクリスタルボール演奏会があったのですが、その際の願望の一つに、縁ある素晴らしい方々とお会い出来て嬉しい!!!と、願望しておいたのです。

ですから、声をかけていただいた時、キタッ~~~~~~!と即ピンときました(^_-)

偶然じゃないか!!!と思う方もいらっしゃるでしょう。

私も偶然だと思っています。

でも、こんな素敵な偶然なら大歓迎だと思いませんか(#^.^#)
【2011/07/24 22:04】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 5 絶望に効用はある?
前回の素晴らしいなでしこジャパンの活躍の話から一転、自分の愚かな過去の話なので気は進みませんが、まぁ、これが私の過去の現実ですから、致し方ないですね。

まずは私が70歳の膝になったやり方です。

以前、何度か取り上げた太極拳の先生に出会って、この太極拳の素晴らしさ、美しさに惚れ込んでしまった私は、この太極拳がモノに出来れば死んでもいい!と思うほど思い詰めてしまいました。それほどまでに魅了されたんです。何かに夢中になる人、それも人生を賭けてでもという人と同じ心理状態でしょう。

ですから、先生のクラスに全部参加し、家に入る前に庭で習った形を忘れないようにと2時間は練習してました。週6回以上(1日に2クラス参加することもありました)は習ってましたから、まぁ、毎日です(笑)

その結果、わずか半年で人の70年分を駆け抜けた・・・というわけです(笑)

もちろん、いきなり痛くて歩けなくなったわけではありません。前兆が当然あるわけですが、その辺をまた太極拳の先生とのやり取りで再現してみましょう。

前兆にも何段階かありますが、痛みだした時の先生とのやり取りです。

私:膝をさすりながら『最近、どうも膝が痛いんですよね。』

先生:目をカッと見開いて目を輝かせて、手を打ち、『そうそう、私もそうでした!毎日痛くて階段なんて手すりにつかまりながら這い上がっていったものです!!!』 さらに腿をさすりながら、『でも少しずつ、痛みはとれてくるし、足もどんどん強くなるから心配いらないよ!』

私:『無理しない方が良いと思ったけど、じゃぁ、頑張ったほうがいいんですかね?』

先生:『そう!もっと低い姿勢でやれば足はもっと早く強くなるから、頑張って!』

私:『そっかー、先生もそうだったんなら、心配要りませんね。よーし!!!やるぞー!!!』


このやり取りを観て(読んで)どう思われますか?

この前兆(痛み)の前の前兆についても書いておきましょう。

最初の前兆は膝の違和感です。ある日、風呂に入っていたら、妙に膝だけ熱い感じがしたんです。もちろん、筋肉痛もありましたから、最初はそれかと思ったのですが、ちょっと異質だったんですね。

で、私はこの状態に気づいたときどう感じたと思いますか?

私は・・・思わずニンマリしたんですよ。普段とは違う違和感を感じて、自分は随分と頑張っている!やっている!という満足感、心地よい高揚感、そう、充実感です。

それからは、風呂に入って、これを感じると今日も1日やった気がして、とてもハッピーでした。もちろん、この現象はつかの間でしたが。つまり、進行していったんです。

ある日、熱感はひいて、少し痛みのような感じが微かにしました。椅子から立とうとしたり、走ったりして膝に負荷がかかると少し痛いのです。

で、私はこの状態をどう思ったと思いますか?

『膝が少し痛いなぁ。う~ん、これはまだまだ鍛え方が足りないんだなぁ。こんなんじゃ、先生みたいになれないぞ!!!』と自分にハッパをかけたんですよ。

そして、痛みが増し、上記した先生とのやり取りになり、さらに、痛みが増して、歩くのも辛くなり、前々回のブログで書いた学校の先生とのやり取りと相成ったというわけです。

この認識の有り様は大問題だらけですから、逐一詳細に取り上げるべきですが、もっと大きな観点から見るために、もう少し幾つかの例を出してからにしましょう。

私の認識の何が問題なのか?根本的な問題を把握してから、部分的な所に踏み込まないと全部並列に並べてしまい、問題に段階性があることに気づけなくなります。そうなると、対処療法しかできなくなり、根本的な部分は相変わらずブラックボックス化されたままになりますから。

ですが、絶望については取り上げておきましょうか。サブタイトルにも付けましたしね。

絶望・・・人それぞれで言葉の重さに違いはあるかもしれませんが、まぁ、ヘビーな状態であることは共通でしょう。絶望してもすぐに立ち直れる低度の絶望の人から、自ら命を絶つほどの絶望の人まで・・・

今の私に言わせれば、絶望とは無能と同義です。

と言ったら、あの時の私は今の私を殺すかもしれません(笑) だから、無能呼ばわりされるんですけど、あの時の私に分かるわけもないですから、言うだけ無駄です。

私は死ぬことすらできなかったんです。死が怖いからではありません。どうしても太極拳が上達したかったからです。

もしもあの時、悪魔に『死ね!生き返らせて、元の膝に戻して出来るようにしてしてやるから?』と言われたら躊躇なく死にました。だって、また太極拳ができるのですから。

ですが、死んだところで、太極拳ができるわけでもなし、私には死すら選択肢にはなりようもなかったんです。そう、死を選べるということは、選択肢がまだ残っているんですよ。

私には何も残らない、死すら、私を救ってはくれない!という途方もない絶望しか残っていなかったわけです。生きることも、死ぬことも無意味、どうにもならない、何も見いだせない状態。

で・す・か・ら、死を選べる人より一段と無能です(笑)

モーシェはキッパリと言っています!

能力が高い人は、選択肢がたくさんあり、その中から、状況に合わせて適切な選択肢を選べる人だと・・・だからこそサバイブできるわけです。

そして、自由とは、一つのことを、このようにも、あのようにも、そんな風にも、あんな風にも、こちらからも、あちらからも・・・etc.とより多くの角度から成すことが出来ることといっているわけです。

私は一つ(太極拳)しかなく、後はまったくないのですから、超無能、無能の極致と言って何の差し支えもありません。

では、これほど愚かな超絶的な絶望に意味はあるのでしょうか?

一つだけあります。もちろん、絶望しなくても問題ないのですが、絶望しているときのほうがやりやすいという特徴があります。

それは・・・無能なるが故に己を捨てる!という覚悟がつきやすいという一事です!!!

価値があるとすればこれだけです!!!


追記

GyaO!で『ガラスの仮面』が放送されています。私は何度か観ていますが、興味があれば是非ご覧ください。今、ちょうど初回からですし。

大志や野望を持っている若い人は必見です。このアニメには、なでしこジャパンの澤選手が言っていた『夢は見るものではなく叶えるもの!』という言葉が主人公の成長の過程として、見事に描かれています。

私のブログよりこれを観てください。余程参考になります!!!

ただ、この道は自己変革というくらいの困難な道ですから、変革、革命はちょっと厳しいと感じる方は・・・私がほんの少しずつの自己改善の道をご紹介していきますからご安心を(笑)
【2011/07/20 16:22】 | フェルデンクライス・メソッド | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 4 燃えてますか・・・
なでしこジャパンの活躍、そして優勝、素晴らしかったですね!!!

本当に感動させていただきました!!!

この時代にあって、日本にとっては希望の灯火であり、神懸かりのようなことですが、彼女達を観ていれば決して僥倖ではなく絶え間ない努力の上にもたらされたことがハッキリと判ります。

だからこそ、我々も彼女達を見習えるんですね。単なる運ではないのですから。

3.11以前までは、日本人の中にどこか、冷めてしまった、諦めのような、そして、真面目であること、情熱をもつことに対し、アホらしい、蔑みのような視線で見る風潮、雰囲気が蔓延していたように感じていたのは私だけではないと思います。

大震災以降、明らかにそのマインドが変わり始めたと思います。今までは、暑苦しい、ウザイと思われていた、熱い想い!、情熱!などが復権してくることでしょう。その感情を外に出すことが恥ずかしく、ためらいを持っていた人達もこれからはどんどん表に出せるようになるはずです。

何故なら、冷め切っていては変化を乗り越えるどころか、耐えることすら困難だからです。環境が大きく変わるとまずは弱い者から、特に年寄りから死んでいくことからも解るでしょう。

環境の変化に適応するには柔軟性が必要です。

歳を取ると身体が硬くなりますが、その利点はその環境に適した身体として出来上がることで、楽にその環境の中で生活(生存)が出来るようになることです。つまり、機械的に動いていても、特段頭を使わなくても、すなわち無意識でも生きていけるということです。身体が覚えていてくれるわけですから。その分、身心への高度の脳の統括が不必要になりますから、快適さ、利便性と引き替えに新しい大きな環境の変化への適応能力は知らず知らずに失っていっているのです。

子供は逆に一般的には身体が柔軟ですから、新しい環境に入っても、その環境に身心がすぐに順応していきます。つまり、環境の大きな変化に適応するには柔軟性が必要なんですが、もう一つ大事な要素があります。

何だと思いますか?

それは体温の高さ、熱です。子供は一般的に体温が高く代謝が活発でしょう。これは、身体をどんどん新しいモノに造りかえてより見事に環境に適応出来る身体にしていくからです。鉄は熱いうちに打て!はだからこそ凄い意味のある言葉ですね。若さとは真っ赤に焼けた鉄です。どのようにも変化できます。だから、どういう方向へ変化させるか?が厳しく問われる必要もあるのですが・・・

その変化の必要性が乏しい、あるいは劣化した高齢者はだから、体温が低いですし、逆に体温が低いから変化し難いともいえます。身心が固まっていくのですから、一般的には頑固でしょう。高齢者ほど。頑固とは無能に近づいているともいえるんです。若くして頑固な方は・・・お気を付けください(笑) 無理矢理変えるのはまずは不可能です。冷めた鉄を打てば、さらには錆びた鉄を打てばどうなるかはわかりますよね(^_^;)

ここから恐るべきことが解ります。低体温の子供は、見かけは子供だけれど、内実は年寄りであるということです。厳しい言い方になりますが、既に棺桶に片足を突っ込んでいる状態です。低体温の子供は観察していれば判りますが通常の体温の子供に比べて不活発です。体温が下がると熊などは身体を動かせなくなり冬眠せざるをえないでしょう。つまり、身体の機能の低下で脳も低下し、動けなくなるのです。人間ですから、ここまでは落ちませんが・・・

さて、不活発ということは脳も不活発ということですから、雰囲気もどこかドヨ~ンと鈍い感じになります。目もトロ~ンとして表情にも表れます。反応も鈍い、つまりイキイキ、ハツラツ、といった躍動感溢れる有り様とは次第に無縁となっていきます。

さらに、人間にとってもう一つの途轍もなく大事な『炎』も脳の劣化、身体の劣化に伴って次第に消えていくのです。

すなわち、『情熱』という炎、たとえば、感動、トキメキといった大きく心(身体も)が熱感を伴って揺さぶられることです。

もしも、若くして最近、あまり感動しないなぁと感じる方は、だいぶ高齢化したんだなと危機意識を持ったほうがいいでしょう(笑) まぁ、劣化が進むと危機意識すら湧きませんが(^_^;) ふ~ん、とかへぇ~、などと他人事のように感じる(正確には反応する)のが特徴の一つですから、人を見た時、鏡に使えます。つまり、自分がやっていることに気づくのは至難(脳が劣化しているのですから)ですが、他人の場合は見えます。ですから、自分もやっていないだろうか???と反面教師に使えるのです。


彼女達に感動させてもらったお陰で、すっかり前置きが長くなりましたが、前回のブログを読んでどんな感想を抱かれたでしょうか。

たとえば、幾つか挙げてみましょう。

0.何で痛くなるまでやるのかねぇ。アホらしい!そんなに夢中になって何が楽しいのかね?

1.たかだか太極拳ができないからといって絶望とはオーバーな!

2.太極拳がダメなら別のモノをやればいいだろ!

3.何かやり方あるんじゃないの?たとえば、もっと適当に、ちょっとだけれやればいいじゃない!

4.(似たような経験があれば)気持ちわかるなぁ。

5.(乗り越えた人は)まぁ、方法論はあるけど、この人の能力じゃねぇ(^_^;)


6.この先生って何様のつもり?ちょっと、言い方酷いんじゃない?

7.こんな先生(人)っているいる!


表現、言葉は違っても、だいたい、このうちのどれか、あるいは複数といった感じでしょうか。

他にも、ふ~ん!、とか、はあ!という反応もあるでしょう。こんな人はこのブログを読むわけもないですから、埒外にしておきます。ただし、単語ではなく、この言葉を発した人たちの認識は個人個人で天と地ほどの違いがあり得ます。同じ言葉を発しても内実は両極端に位置している人達と考えられますが、いずれにせよこのタイプの方々は今回は取り上げません。

いろいろ感想はあるかと思いますが、私が何をやったのか!は前回は書いておりません。ここから、判断するのは難しいかもしれません。

今回はなでしこジャパンの活躍でちょっと長くなってしまったので、次回は私が何をやったのか!から始めましょう。
【2011/07/18 18:21】 | フェルデンクライス・メソッド | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 3 フェルデンクライス・メソッドとの出会い
安井さんの訃報でしばし昔の頃に思いを馳せたら、フェルデンクライス・メソッドに出会った頃がとても懐かしく感じられ、その頃の事をちょっと書いてみようという気になりました。

初めて出会ったのは、20代前半で、習うキッカケは太極拳で膝を痛めたからです。

出会ったと習うを分けて書いているのは、知ったのは習う1~2年ほど前だからです。出会いは、以前ブログにも書いた江ノ島の太母さんのお寺で、そこに友人とお邪魔した際にその友人が、グニャグニャ、ゴロゴロと畳みの上を転がっているのを見た時です。

その際の印象は、『一体全体、この動きは何だこりゃ???こんな事やって何がいいんだ???俺は太極拳やっているから、こんなもの必要ないな!!!』でした。

私の当時の身体意識及び認識力なんて下の下ですから、まぁ、こんなモノ(低度)です。今はこれ以上、この思考及び判断能力に切り込みませんが、噴飯モノで突っ込みどころ満載なので、いずれ、自分の事で情けないですけど、一刀両断に切って捨てますから、それまでお待ちください。

さて、肝腎の学ぶキッカケになることになる、ある人とのやり取りをまた再現してみます。

この方は鍼灸学校時代の按摩・マッサージ・指圧担当の先生です。まだ若かったのですが、腕は超一流、当時、巨人軍のマッサージを担当しているほどの権威です。当時の自分の認識では個人的に視てもらう、それも学校で相談なんて恐れ多くて・・・というほどでした。

ですが、背に腹は代えられません。そこで、思い切って覚悟して授業後、先生に相談してみました。先生はジロリと私を一瞥するとフ~ン、視てやるよ!とぶっきらぼうに言いました。

私を椅子に座らせ、あちこち触りながら、いろいろな方向に動かして、これは?これは?と痛みについて訊いてきました。

しばし黙っているので、私は心配になり、恐る恐る・・・

私:『だ、大丈夫でしょうか?』

先生:『なんかやった?』

私:『太極拳をちょっと』

先生:『楽しかった?』

私:???『楽しかったというか、楽しいですけど』

先生:『じゃー、好かったね!』

私:???『いえ、好かったといっても、痛いので何とかならないものかと』

先生:『楽しかったんでしょ?じゃー、いいじゃないの!!!』

私:???『あの~、意味がよく分からないのですが(^_^;)』

先生:憮然として、『充分、やったのだから満足しているんだろ!!!』

私:『いえ、まだ習い始めて半年ですから、これからなんですが?』

先生:『だって、痛くてできないんだろ?止めるしかないだろう!!!』

私:『何とかならないんですか(T_T)』

先生:『70過ぎの老人の足をどうしろっていうんだよ!!!』

私:『いえ、私はまだ、20代・・・』

先生:さえぎって、『この膝は70代の年寄りの膝だから、諦めるんだな!楽しかったんだから、もう充分だろ!』

私は呆然として絶句し、人生2度目の絶望という奈落に叩き落とされたのでした・・・
【2011/07/11 23:56】 | フェルデンクライス・メソッド | トラックバック(0) | コメント(0)
心から哀悼の意を表します
一昨日、日本のフェルデンクライスの第一人者である安井武氏がお亡くなりになりました。

心より哀悼の意を表します。

少しばかり思い出話を語らせてください。

初めてお会いしたのは、30年近く前になります。

フェルデンクライスは今でも、マイナーですが、当時は今の比ではなく、身の回りで知っている人間に、ましてやっている人間に出会うことはまずありませんでした。

それだけに、直接学べるのは新宿の朝日カルチャーの安井先生の教室だけ、それも常連さんで一杯で新規は無理という時もありました。

私もダメでしたが、ちょうど友人が西荻窪のほびっと村で教え始め、その後、深沢氏が渋谷の東急BEで教え始めたので、土曜日に太極拳を代々木公園でやり、その後、数人の仲間と渋谷へ繰り出すのが何年間もの間、続きました。その仲間達は、日本で初のフェルデンクライスのトレーニングコースに参加して、1期生として今も活躍しております。

ですから、当時、直接学べるのは安井氏、深沢氏、そして、イスラエル人のドロン・ナボン氏という方からくらいでした。ナボン氏は直接モーシェから学んでいましたので、春と秋の年2回、東京の数カ所でワークショップを開くと東京近郊の人間や情熱的な方が距離を惜しまず地方から参加しました。

メンバーはほぼ固定でしたので、年2回ほど同窓会のような気分になり、今は亡き伊藤昇氏が音頭を取って、レッスン後、数十人で飲み会のような状態になり、そこで安井さんとも度々顔を合わせました。

ダンディで細川俊之や森本レオのような甘く、でも渋みのある声、男の私ですらうっとりし羨ましいと思ったほどです(笑)

安井さんも1期生としてトレーニングコースに参加されましたが、演出家としてのお仕事もありましたので、お忙しいようでした。あるとき、隣同士になり、激しい音が聞こえるので目を開けて見てみると、安井さんが(^_^;) 還暦を超えてこの動きは凄いな!と感心した記憶があります(笑)

その後は、あまりお話する機会もなく、年月が過ぎていったのですが、私がツイッターを始めてフェルデンクライスで検索をすると当時、ほとんどフェルデンクライス関係者がまだやっていないのに70歳にもなろうとする安井さんがヒットしたのには本当に驚きました。

ツイッターがご縁で、少しやり取りするようになり、ちょうど体調も崩されて今後の事を考え、幾つかのレッスンを公開してくださいました。その事を私もブログで取り上げ、私のツイートにもご丁寧に返信くださり、安井さんが今の日本のフェルデンクライスの行方やそれのみ成らず、日本の政治状況にも憂いをもたれていることも知りました。

私が突っ込んだツイートをしてまともに付き合ってくださる数少ない方が安井さんでした。ご高齢、体調を崩されているにも関わらず、その熱き想いには敬服せずにはいられませんでした。

私は自分の想いや考えを安井さんなら受け止め、かつ、別の観点を提示してくださると思い、ツイートしようとしていた矢先、ガンであることを告知され闘病生活に入られることをツイートされました。それでも、当初は闘病生活や近況のみならず、政治に対してすら熱く語られておりました。ですが、ツイートを読んでいるとやはりお身体に障るのは確かなようでしたから、私は、ヘビーな内容のツイートは一切控えることにいたしました。本当はご自分の論を展開したいのに、体力がきついため、諦めるのはご性格からももっと辛いであろうと推察できたからです。

養生をしていただき、いつの日か熱く語れる、そんな日を願っておりましたが・・・それはいずれあちらにての楽しみになってしまいました。それまでは、私もこちらで研鑽を重ねて参りたいと思います。

合掌
【2011/07/03 18:19】 | フェルデンクライス・メソッド | トラックバック(0) | コメント(0)
お二人のクリスタルボール演奏会
今日はKorisuさんYukiさんのお二人によるクリスタルボール演奏会に行ってきました~♪

昨日は新月で今日はその影響下にあるので、願望成就に良い日とのこと!!!

そこで、演奏終了後、ピンクの紙に願望を幾つか書いて、順番に一人ずつクリスタルボールを手に持ってその願いを波動に乗せて宇宙に響かせるということをやっていただきました(#^.^#)

願望を書く時は、既に成就しているかの如く、完了形で書くようにという指示がありました。

今回、非常に興味深かったのは、願望を書いているとき、感嘆詞とか既に成就して楽しんでいる感覚がスラスラと出てきたことです。

今まで、願望を書く時、完了形までは抵抗がなくなりましたが、感嘆詞などの感情を伴う言葉は使うという発想は出ませんでした。それが、発想ではなく、すでに楽しんでいる言葉で書き出した自分に感嘆したというわけです(#^.^#)

まぁ、冷静に眺めればありえねぇ~~~~!!!が普通の願望ばかりですが、これが、クリスタルボールで頭がボ~ンとなっているのでリミッターが自動解除されちゃんでしょうね(笑) 

気分は、なっていない(ならないではありません)わけがない!!!ですから(爆)

というわけで、まだその気満々の今、書いてしまおうと思った次第です~♪

その気になれるだけでもハッピーですから、ホント今日はツイてました!!!
【2011/07/02 15:57】 | クリスタルボール | トラックバック(0) | コメント(0)
いざ!自由へ フェルデンクライス・メソッド


フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

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kanfuboy7

Author:kanfuboy7
フェルデンクライス・プラクティショナー

夢は猫や虎のようにしなやかに自由自在に動く爺になる事です(笑) 現在、夢に向かってばく進中?

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