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疑問に応える 15 未来それは遊び心・・・その3 権威性
前回は理屈っぽかったですね(笑) 

たぶん曲解はともかく、誤解はないと思いますが、私の話を信じろ!と受け取った方はいませんよね(^_^;)

運勢をよくする、運命を好転させるには、単純に前回のように考えれば良いのであって、信じるとか信念の話ではありません。

私は信念や信頼、信仰は人並み以上に強いと思いますが、理屈でわかればそれで済ましたいんですよ。そのほうが簡単、シンプルで効果的ですから。

信じるのは素晴らしいですが、どうしても、疑念、不審、不信などのおまけが生じやすいんです。特に、困難なモノほど。まぁ、自分の信仰心を試されている、試練だ!なんて考え方がお好きな方はそれでもいいでしょうが、迷いで心が分断されるとそれだけ効率が落ちるじゃないですか(笑)

前回の例でいえば、まだ効果が出るまで充分神経系が発達していないか、やり方がマズイわけですから、単にやり方を変えたり、探したりの方法論の検討をすればいいだけですよね。

信じる、信じないなんて大仰なレベルの話じゃないんです。信じる!だと裏切られたとか、騙されたとか、自分は値しないんじゃないかとか、余計な頭使わなきゃならなくなるでしょう。

事実レベルの話ですから、後はやるかやらないかは自分の選択レベルの話です。やってダメなら、不信とか不審、疑念なんて大げさな言葉はいらないんですよ。ダメなら頭悪い!これだけです(笑) 頭の問題だから自分で何とかなります。信じるというスタンスだと、あちらさん?の意志?問題?都合?もあるでしょうから、これは大変でしょう。だから、私はなるべく自分の頭で何とかなるものには信仰心は持ち込みたくないんです(笑)

おっと、また理屈っぽくなっちゃいました(^_^;) 今回は太母さんの思い出話をしましょう。

鰯の頭も信心から!といいますが、鰯の頭より遙かに権威性がありますね。

私は権威性を有効利用するればよいと考えています。何故なら単なる事実に信じる!という重みを加えることで、一段と効果を上げることができるからです。皆さんは太母さんにお会いしたことがないわけですから、信じるしかないでしょう。ですから、ここで太母さんの凄さの重みで、自分の運を良くするという単純な事実を加速させればいいんですよ。

その為(信じる)には幾つかの事例が必要ですよね。というわけで、幾つか差し障りのない範囲で挙げましょう。

まず、私が太母さんと出会ったのはお世話になっていた鍼灸師が江ノ島に凄い人がいるから会いに行こうと誘ってくださったからですが、私の最初の反応は、ええっ~~~!(^_^;)というものでした。単に家から遠かったので、面倒だったんです(笑)でも熱く語りまくって誘ってくださるので、渋々・・・ねっ!私って下根でしょう(笑)

ところが、こんな風に太母さんのところへ来る方もいるんですよ。

よく神社などで『世界人類が平和でありますように』というポールが立っているのを見たことがありませんか。五井昌久という方が提唱した祈りの言葉です。ご存じの方も多いでしょう。この方を島田重光氏が写真に撮った際に霊光として写った写真があり、霊光写真としても有名です。この島田氏が江ノ島の辺りに凄い人がいるらしいと噂を聞いてフラリと太母さんのお寺に来たことがあったそうです。

当時、太母さんは一般人とは会うことはしておりませんでした。それが何故かは、正力松太郎氏の時にお話しましょう。

太母さんは、島田氏に『あんた、よく私のところが判ったね?』と尋ねると、島田氏曰く、『そりゃー、わかりますよ!江ノ島の駅に降りたら、天に向かって黄金の太い柱が立っているのですから。そこに向かって歩いてきたら、自然とここに着きました。でも、変ですね。普通、人間の霊光は丸い形をしていて、閉じているんですが・・・』

太母さんは、それを聞いて、『わしは、人間の側には立っておらんからね。地球界のために来ておるから』と笑って答えたそうですが、島田氏はそれを聞いて、なるほど!と言ったそうですから、いやはや、何ともスケールの大きなやり取りというか・・・

太母さんのお寺は、門をくぐるとすぐに、アッと驚くほど雰囲気(波動)が変わるんですよ。これが一種の結界にもなっていたようで、縁のない人は何故か、入れないようになっていたとか(^_^;) 

それ以外の結界も凄かったようです。太母さんが住むところは曰く付きの化け物屋敷ばかりなんです。つまり、恐ろしくて借り手が付かないような物件ばかり。だから、タダ同然で借りられると(笑)

江ノ島の前は、鳩ノ巣(鴻巣だったかな)で豊臣秀吉の七本槍の一人だった福島正則の別邸を借りていたのですが、化け物が出るというので、誰も借り手がいなかったんですね。太母さんは女一人で借りたのだそうですが、近所に家もなく近くの村の人たちは3日と保たず逃げ出すだろうと噂していたそうです。借りる条件が毎日かまどで火を焚くだけだったそうです。火を焚かないと湿気でカビや苔が生えてしまうので、火は焚かなければならないのだけど、化け物が出るので怖くて行けない。そこへ太母さんが借りたいと言ったので、渡りに船とばかりに(笑) 確かに行ってみたら、凄まじくジメジメと湿っていて陰気臭く、畳からは50センチくらいの高さほどに見事に様々なカビと苔が生えていて、感心したそうです(笑) 床柱は一抱えもあるほどの見事なモノだったとか。結局、4年以上住んだと聞いた記憶があります。確か、太平洋戦争の時です。

で、江ノ島のお寺もすこぶる曰く付きの物件で誰も買い手が付かなかったので、格安だったとか。造りも変わっていて、風水的には完璧な造りだったそうです。完璧過ぎると家が住む人を選び、常人では気が狂って住めないとか。そこに住んだ人達は次々に悲惨な末路を辿ったそうです。

なまじ霊能力がある人は恐ろしくて近づけないんですね。見えてしまうので。上記したように、ある種の能力を持っている人は太母さんを見つけちゃうんですよ。で、太母さんは霊能者には会いたくないので、こういう家に住むわけです。この亡くなった人達が結界代わりになると。

私も偶然見たのですが、お寺の前でウロウロしている女性のグループがいて、私たちはその横を通って門をくぐったら驚いた顔をして我々を見るんですね。『よく恐ろしくありませんね?首をくくった女の人がこちらを睨み付けているいるんですよ!!!それ以外にもあそこにもこっちにも!!!』 我々は『ひぇ~~、それは怖いですね。困ったなぁ・・・』と言いながら、玄関を開けて・・・何て清々しいんだとみんな笑顔一杯(笑)

私は何にも見えないので、清々しいものしか感じないんです。本当に。私だけでなく、私の友人達も皆そうでした。仏間ではシーンという音が聞こえるほどの静寂さで別世界でしたね。

昔は霊能者は暗い人が多かったんですよ。人の不幸に焦点を当てる時代です。因縁とか血筋とか怨念とか。今のような精神世界のノリとはまったく違う時代でした。取り憑いているとか呪われているとか言うことで、見えない人を怯えさせることがほとんだったのです。私以上の年齢の方であればすぐに思い当たるでしょう。そういう時代性でしたので、太母さんは人を怯えさせる霊能者が嫌いだったんです。

私は何にも見えないので、幸せでした。下根もたまには役に立ちますね(笑)
【2011/08/28 00:24】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 14 未来それは遊び心・・・その2
前回の13を読まれてどんな感想を抱かれたでしょうか・・・

肯定、賛成派、反対、否定派、あるいは信用、信頼派、疑問、猜疑派、それ以外に好奇心や無関心など、いろいろな想いや考えを抱かれたのでは。

どれも興味深いのですが、今回は前回のあちこち飛んで纏まりのない?話をもう少し深めるために、私の話をする前に上記の観点の一つ二つを取り上げて補足しておきましょう。

では、もうちょっと具体的な表現でお尋ねします。たとえば、こんな感想を抱いた方はいますか?

『これって、筆者の事について書いているけど、読者も運、運勢、運命、つまり未来を好転させる方法があると言外で云ってんじゃないのか???』

ハイそうです!(#^.^#) こう受け取ってくだされば、これ以上未来シリーズは続ける意味はないんですが(笑)

でも、一応、説明はしますね。

あるいは、こんな感想を抱いた方も当然いらっしゃるでしょう。

『そんな簡単に事が運べば苦労はないよ!』 要するに、疑問派、猜疑派ですね。

何故、今、二つの『  』を挙げたのか・・・私の単なる興味です(笑) 今シリーズは副題で遊び心と付けたので心置きなく遊ばせてください(笑)

では、疑問派、猜疑派に質問してみましょう。

『疑うと、どんな得が(未来に)ご自分にあるのですか?』

人が行動を起こすとき、そこに何らかのメリットがあるから、行動を起こすわけですが、この場合、『疑う』という思考(≒行動)を起こされたわけです。ですから、何かの得があったはずなんですが・・・

ですが、おそらく、『嘘だぁ!』とか『本当かな!』という反応(≒感覚、感情)が反射的に起きて次に理由を考えたという方がほとんどだと思われます。

だとすると、損得を考える(思考)前に特定の感覚(≒反応、反射)が自動的に起こり、それに付随したある種の感情が沸き上がって、それを正当化するために思考するというような流れが脳内で起こっているわけですね。

ちょっと話は複雑になりますが、疑問派と猜疑派は一応分ける必要はあるでしょう。これは面白いから後で考えましょう。

さて、話を戻してもっと整理すると、反射、反応(≒感覚)⇒感情⇒思考という流れといったところでしょうか。

これって、実は肯定、否定、賛成、反対、など、上記した人達にもほとんど当てはまる流れだと思いませんか。

最初に思考がない以上、選択の余地なく何らか(自分好み?)の反応が自動的に起きてしまうわけですから、反射の内容(方向)によって既に人生の大半は決定づけられているという恐るべき単純な事実・・・

だからこそ、躾けが大事とか、習慣は第二の天性とか、ことわざレベルでは三つ子の魂百まで雀百まで踊り忘れず孟母三遷の教えなどの重要性が叫ばれるわけですね。

さらに脳は安心感を得るために後付けであっても理由が必要なんですね。

賛成とか肯定であれば、自分の体験やさらに他人の体験を思い出し(思考)し、私の話を強化してご自分の信念をさらに強化されるわけです。仮に体験のない方は未来に向けてそうなったらいいなぁと思いを馳せるという脳の経路(神経)を辿るでしょう。

反対とか否定であれば、自分の体験やさらに他人の体験を思い出し(思考)し、私の話を反対方向へ強化してご自分の信念をさらに強化されるわけです。

ではここで、先ほど後でとしておいた疑問派と猜疑派の方々にご協力いただきもう少し掘り下げて考えてみましょう。

私の話(事象、現象)に対して、両者は疑うという反応をしたとして話を進めます。
場合によってはジックリと思考した後、疑問、猜疑を選択したという事もあり得ますから。ただし、派がつくほどの人であればこれはまずはあり得ないと思います。ですので、ここでは話を簡単にするために派というほどの人を対象に絞ります。もちろん、この違いは肯定とか否定とか全てのタイプに当てはまりますが、複雑だとわけが分からなくなりますから。

もしも、反射⇒感情⇒思考という流れが強固に技能化されていれば上記したようにこの流れからは改善は困難です。感情と反射が逆の位置じゃないか?と思う方もいるかもしれませんが、どちらにせよ、改善が困難であることには変わりありませんので、今回はこれでいきます。

つまり、何にどんな反応をするかが決定してしまえば、ほぼそれが生涯続き、それによって人生の大半は規定されてしまうということでした。

さらにこの傾向を強化するのが脳の働き方で、脳は『できる・やる』からスタートすれば方法を探し、『できない・やらない』からスタートすればその理由を探す!という習性?です。

当然、私の話に対しては、一般的には『できる・やる』側に賛成、肯定派が集まるでしょう。『できない・やらない』側は否定、反対派が集まることになります。

さて、ここまでは識っているかどうかはともかく、ここを覗きに来る人であればほとんどの方が知っているであろうことを書きました。だからこそ、自己啓発書などでは、肯定的な事を考えろ!と続くわけですね。

再度、疑問派、猜疑派に戻りますが、仮に反射的に疑い(という行動)を抱いた場合、両者は次ぎはどのような行動を取るのでしょう。

疑問とは読んで字の如く、疑って問うわけですね。
例えば、私の文章の内容に関して何でだ?と疑い、どうしてそうなるんだ?と問うとすると、ご自分で調べたり、実験してみたりして本当かどうか検証しようとする可能性が出てくるわけです。すなわち、客観性を求める傾向があるわけですね。

一方、猜疑は何でだ?と疑った後、自分の好み(主観)にあった理由を自分の頭の中か、外側に求めて自分の心(好み)に安らおうとするわけです。

同じ疑う?ことから出発しても、疑問はできる限り事実に即して問題となっていることを解決し、その疑問が解消することで得心しようとすることに対して、猜疑は通常後ろに心が付くように、非常に主観に偏った状態を表し、現在の自分の好みの感情と知識で対象を判断(というより理由付け)し、安心しようとする状態をいいます。

ですから、疑問派は外界(客観)によって絶えず主観が修正される可能性がありますが、猜疑派は、単に自分の主観(好み)の権化と化していく可能性が大なわけです。

またまた、いろいろ展開しましたが、ここで上記の問いに戻るわけです。

で、『疑うと、どんな得が(未来に)ご自分にあるのですか?』(笑)
【2011/08/24 00:46】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
~真夏の夜の夢~
昨夜は『Black&White Vol.2~真夏の夜の夢~』にいってきました~♪

久々にウットリしてきました~♪ 人生、感動は大切ですね(#^.^#)

Azarahさんがブログでご紹介くださったので、たまには気分が高揚するモノをと思いたったのがキッカケです。申し込んだのが2ヶ月くらい前で気分的にやはり震災の影響で重かったですから。

考えることは大切ですが、重さを引きずるのはよくありません。ですので渡りに船とばかりに速攻でした(笑)

Vanilla Moodの皆さんはお綺麗で楽器も上手。第一部ではそこへ妖艶なベリーダンスでAzarahさんが登場!なんと妖艶な(#^.^#)

第二部には八反安未果さんが登場。その歌唱力にはビックリ。ライブはいいですね~♪

アンコールでは全員登場でタイトルどおりの真夏の夜の夢!・・・私の日常の有り様からは確かに真夏(涼しかったけど(^_^;))の夜の夢の如しでした。

脳に刺激を与えるためにもたまには非日常的な空間に身を置く事も大事です。

非日常ですから、滅多にないわけですが、それに匹敵するモノが感動なんですね。ですから、感動できる能力を高めておくことは極めて重要です。

歳を取るほど感動は減ってきます。老化防止のためにも(^_^;)

つまり些細なことに感動できるほど、老化防止の働きかけを頻繁に行っていることになります。

感動しにくければ、楽しみを見つけることから始めましょう。

楽しみが見つからなければ・・・お近くでフェルデンクライスを習ってみたらいかがですか。騙されたと思って1年もやると騙されて好かった!!!と思える自分に出会えるかもしれませんよ(笑)
【2011/08/22 02:39】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 13 未来それは遊び心・・・その1
サブタイトルの未来を見て、未来の予言?、巷で話題?の2012年の話?、アセンション?など目を輝かせた人もいますかね(笑)

残念ながら、私にはそんな能力はないし、2012年という年の重要性?も最近になって知りました。なんせ、私はノストラダムス世代ですから(笑) 若い方はもう知らないかもしれませんね。私の人生設計は1999年まででしたから、今はおまけみたいなものです(笑)

最近はまったく精神世界やオカルトから遠ざかっていますので、今の流行がなんなのかは全然知りません。好きか嫌いかと言われれば、好きですが今は特に興味はありません。

ですが、何故、こういう思想、世界観が今の時代、巷で流行るのかには俄然興味が湧きます。人類の意識の変遷というのは実に興味深いですし、この底流が読めると揺らいでいて漠とはしていますが、うっすらと予見は可能だと思うからです。流れが見えて、それが良い流れなら乗っちゃったほうが楽で楽しいでしょう(笑)

ところで私が宗教(当時は精神世界なんて言葉ありませんでしたから)に興味を持った頃はキチガイ扱いだったんですよ。若いのに気が触れた・・・かわいそうに!!!

だから隠れるようにしてやってました。まさに怪しい(笑)

ですから当時の切なる願いはいつの日か、自分の信じている世界を笑顔で語れる日が来ますように!!!というものでした。

そうしたら、願いが叶って?今のような時代です。で、現金なもので、願いが叶ったら熱が冷めちゃったと(笑) あっ、一応、補足しておきますが、熱が冷めたんであって、冷めたわけではありませんよ(笑)

太極拳を始めたのは第一の絶望がキッカケだったんですが、今回は遊び心ですから暗い話はいずれとして、ミイラ取りがミイラになって、夢中になった結果、精神世界からは遠ざかることになりました。

精神世界的な観点は心の安らぎには多少、役には立ったんですが、上達という視点で見るとまずは不可能に近いんですよ。もちろん、ダメとは言いませんが、『行間を読む』『眼光紙背に徹す』という読み方が出来ないとまずは自分の実力に資することは不可能です。

あれっ?未来の話なのに過去話が多いですね(^_^;) 今回は遊び心で許してください(笑)

ところで、昨日生徒さんにリコネクションってどうなんですか?と質問されました。

そういえば、『いざ!自由へ フェルデンクライス・メソッド&リコネクション』とブログにはつけておきながらリコネクションには触れていませんでしたね。

出会ったのは偶然です。私は自分にとって素晴らしいもの(人)とは何故か必ず出会ってしまう宿命を持っているんですよ(笑) えっ?自分とは逆だ!と思ったあなた!!!あなたもこれを読んでいるのだからそのお一人です(^_-)

私が言っても全然重みがありませんね。ですが、事実ですし、それに気づかされたのはここでたまに触れる太母さんのお陰です。太母さんにはっきり言われたんですよ。

『あんたは私に出会った!これから善因縁が雪だるまのように転がっていくよ!これを転善業(てんぜんごう)という。だから、雪だるまがすこしずつ大きくなって、その善因縁に他の人を巻き込んでいくようになるから』と。

当時は20歳の若造です。はぁ!?!?と言ってそんなもんかな!?!?くらいにしか感じませんでした(笑)

太母さんについては次回以降少しだけ触れましょう。歴史の表舞台には登場しませんが、裏では錚々たる顔ぶれの方達の信奉を集めていました。政界・財界の有名な方は、久原房之助氏、正力松太郎氏、武道では植芝盛平師、精神世界ではポール・ソロモン氏、精神世界の翻訳家山川夫妻・・・etc.記憶に残っている人を何人か挙げましたが、実際は遙かにたくさんの方々の話をお聞きしました。

ですから、私の保証ではなく、太母さんの保証ですからご安心ください(^_-)

で、リコネクションでした(^_^;)

リコネクションは知り合いのブログで書かれていたのを拝見し、そこのリンク先を辿ってサイトを見た時が初めてでした。その時は精神的にも肉体的にも危機的状態だったのですが、エリックの写真を見た瞬間に自分の身体の周りを取り囲んでいる霧のような瘴気、邪気がみるみる晴れていくのが感じられたんです。

これは衝撃的でした。まるで、映画の『リング』の世界じゃないか!!!と(笑)

私は古い人間ですから霊的に成長するには、厳しい行が必要だと考える傾向が強かったんです。ところが、しばらく精神世界から離れている間にネットでOKの時代になっている・・・ガ━━(;゚Д゚)━( ゚Д)━(  ゚)━(   )━(゚;  )━(Д゚; )━(゚Д゚;)━━ン!!!!!

遊び心が過ぎて、話があちこち飛びすぎましたね(^_^;) 未来はファジーですから仕方ないか。長くなったので、未来の話の続きはまた次回。

未来だけにまたあちこち飛びそうだなぁ(笑)
【2011/08/18 16:54】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 12 今の私
考えてみるのに面白い題材はを幾つか挙げましたので、もう少し突っ込んで検討したいと思いますが、その前に今の私がどう考えているのか?も少し挙げておきましょう。

このシリーズを途中から読まれた方は、今の私がこう考えていると思われるかもしれませんので(笑) 

このシリーズはあくまで、生徒さん達が私の過去に興味を持ったので、その幾つかに答える形でスタートしました。ですので、私にとってはあくまで過去の思い出話です。今の私はさほど自分の過去に興味はありません。もちろん、忘れる気もありません。役には立ちますから。

ただ、今回はこのシリーズでは取り上げて来なかった大事な観点を一つ挙げておきましょう。
おそらく、ほとんどの読者の皆さんにとってはこちらのほうが大事でしょうから。

それは、喜び、楽しみ、嬉しさ、幸せ、幸福、至福などの感情や感覚を人生から如何に捉え返すか・・・という視点です。

そもそも、これらは全て同じなのか、違うものなのか、それ以前に例えば、幸福とは何なのか?どうして生じるのか?脳の機能なのか?脳の機能だとすれば、他の動物にもあるのか?など、幾つも興味深い問いが出てくるのですが、これを考え出したら、思いっきり広大な領域からの話となりますので、今回は前回のテーマの一つであった主観という観点に限定して、幸せ、幸福というものがあるという立場からスタートし、それは主観であるから人それぞれに違うという立場で考えてみましょう。

私は若い頃インドやネパールを何度か放浪したのですが、特にヒマラヤの山々を眺めるのが好きでした。ネパール人は日本人に気質が近いこともあり、インドで疲弊しきった身心を癒すために、当時のバックパッカーには聖地?のようなところでした(笑) 今はかなりリゾート化しているようですが(T_T)

特にポカラという街で湖のほとりからお茶を飲みながら日がな一日アンナプルナを眺めるのは本当に幸せでした。

もっと近くで味わいたいとトレッキングもしました。楽しさもひとしおでしたが、高山病など辛い事も結構ありました(笑) 4千メートルを超えると流石に場合によっては・・・合掌!なんてことも(^_^;) まぁ、コンドルに喰われて昇天?出来る?のですから幸せ?なのかも(笑) 山路を一人で歩いていたとき、鳥葬を見た時は流石に死というものが強烈に感じられました。

ネパールでは登山隊とも結構出くわします。途中までは一緒ですが、あちらは山頂を目指すので重装備で鍛え方が違います。まさに山男といった感じです。4千メートルで山頂まで約半分ほどですから、たった残り4キロですが、準備、装備、鍛え方、情報、心構えまでまったく違うものが要求されるわけで、素人がちょっと気軽にという世界ではありません。

頂上(的)なものを目指すというのは、まさに非日常的な世界への突入を意味しますから、それなりの準備、能力、期間などが要求されるわけです。ですから、当然、万人向きではありません。

同じヒマラヤでも、麓で山を眺めながらお茶を飲んでいるのと、途中までトレッキングするのと、頂上まで登るのとでは、たとえヒマラヤが好きと同じ言葉を使っても、内実がまったく異なるのは当然でしょう。

でもこの三者がヒマラヤが好きなのは同じなわけです。ただ、どこ(まで)を好きになるかで、その接し方(生き方)が異なるだけです。ですから、ヒマラヤのそばにいられれば三者とも幸せであることには変わりありません。

かつての私は頂上しか目に入りませんでしたが、今は麓からお茶を飲んで山々を眺め、散歩するだけでも幸せなんです。麓に暮らす人々を眺め、道ばたの花や虫に目を止めれば、そこにも素晴らしい世界が広がっていて感動があります。

確かに頂上から見る景色は格別のものがあるでしょう。ですが、人類史上、エベレストの山頂に立った人は数えるほどしかいません。ですから、頂上に到達することが最上の幸福であるとすれば、人類の大多数は最上の幸福を知らないということになります。

ですが、幸福感とは主観です。人それぞれ違います。だからこそ、たとえ頂上に行けなくても幸せは感じることができるのです。そして、主観ですから、幾らでも感じることが出来るのです。

つまり、幸福感(しあわせ)は、些細な事に感じられるほど、無限に広がっていくのです。頂上(的)を目指すことも到達することも幸福感の一つにすぎないのです。

この言い方に夢に胸を膨らませっぱなしの当時の私は所詮、高みに到達出来なかった年寄りの戯れ言、逃げ口上にしか聞こえないでしょう。もちろん、私は当時の私に反論はできないのです。その通りですから。

ですが、異論はあるのです。頂上に到達することが必ずしも幸福とは限らない!と。何故なら、仮に到達できたとしたら、これ以上の幸福感を求めるのは途轍もない険阻な道をまた上ることでしか感じられないでしょう。人間、いつかは死ぬのです。その前に体力も気力も衰えていきます。

ですから、無限大に頑張ることはできないのです。では、頑張らないと幸福(しあわせ)になれないのでしょうか。逆ですね。頑張ることを止めてただ、感じればいいんですよ。爽やかな風に、虫の声に、川のせせらぎに、潮騒に・・・さらに、人々の笑顔に、街のざわめきに・・・つまり、主観ですから、何でもいいんです。

でも、そんな事言ったって感じないよ!と言う方もいるでしょう。感じるためには神経系の発達が必要です。私が様々な事に耳を傾けると幸せだなぁと感じるようになったのはフェルデンクライス・メソッドの副産物?なんです。

だって、私はフェルデンクライス・メソッドも頂上を目指すためにやっていたのですから。途中の道ばたに咲く小さな花々にも心地よく吹く風にもまったく興味もないどころか、反応すらしない人間だったんです。感じもせず、望みもせず、知ったところで意志で排除するような人間・・・これが昔日の私です。そして、ひたすら頂上だけしか目に入らない人間の哀れさ・・・これが今まで書いてきたことであります。

若い方々には是非、自分の夢(頂上)を目指していただきたい!けれど、私のような人間にはなってほしくない。

目的しか目に入らない、そこにしがみついて離れられない人間の哀れさは、頂上に各分野、例えば、政治家、経済界、学者、マスコミなどという山々をいれれば、ウンザリするほど見られるでしょう。身近な所(言い方)では、学歴、地位、権力、金、etc.

というわけで、今の私は神経系をもっと細やかに発達させて、もっとたくさんの事、人に、しあわせを感じたいと思っているのです。

また、過去の事を書き出せば、理屈っぽい言い方や言い回しが増えるでしょう。これは仕方ないことなのです。高尾山に行くのとエベレストに登るのとでは、様々な事が違ってくるのですから。このシリーズは装備や体力、能力、情報に多分に焦点を当てて説(解)いていきます。

でも、今の自分は今度高尾山にハイキングに行きませんか~♪と言われたら、ハ~イ、喜んで!!!ということを楽しみに生きているんです(笑)
【2011/08/16 19:06】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 11 主観と客観
さて先生とのやり取りを幾つか挙げてきました。まだまだ幾つもありますが、この辺で充分でしょう。幾つ挙げても同じですから(笑)

なかなか厳しい事を厳しい言い方で、頂上的な事を目指している方向けにお話してきましたが、最後に結構希望の持てる?お話をしておきましょうか。これは、自己の限界を穿ちたい方にも、そんなことまでして生きたくない方にも興味深い話だと思います。

私は若い頃、趣味の一つがパワースポット巡りでした。当時は、そんな言葉はなく我々は聖地巡りと言っていましたが。精神世界という言葉さえない頃ですから、当然です。

ある日、友人達と富士山近郊のパワースポット巡りのドライブに行った時のことです。サービスエリアで休憩中、私が肩が凝ったので友人に頼むとその友人が私の肩胛骨の下に手を入れて驚いたのですね。こんなハズはないと!!!

私は子供の頃から身体の筋肉が異常に硬く、多発性硬化症じゃないの?とお世話になった鍼灸師に言われるほどでした。

22歳の時、初めて成田のホテルでマッサージなるものを受けたのですが、その時、マッサージ師が驚愕していました。

マッサージ師が『ウ~ン?、ウ~ン???』と私の身体をマッサージしながら唸っているので、私はどうしたんですか?と訊いたら、『私は今まで何千人とマッサージしてきたけど、こんな身体をしている生きた人間に触ったのは初めてだ!!!死体しか触ったことがない!!!』と驚いていたのです(笑)

その時の私の反応は・・・病膏肓に入る!ですね。 『死んでるハズなのに生きてる俺って凄いんじゃないか!!!』と喜んだんですから(苦笑)

友人達にもあまりの身体の硬さに鉄板奉行と言われるほでした(笑)

この状態がどれほど危険な事かはいずれとして、誰しもが私の身体を触ると驚愕するほど硬かったというのが客観的な事実です。

当然、サービスエリアで私の肩胛骨の下に手を入れた彼も私の酷さを知っていましたから、だからこその驚愕だったのです。私の肩胛骨の下に手が入るわけがない!!!と。

そして、彼が次ぎに取った行動は、『これはマズイ!!!俺も即やらなければ!!!』というモノです。そう、彼は今、私と同様フェルデンクライスの教師をしております(笑)

これは私がフェルデンクライスを始めて、1年くらい経った頃の事です。後に聞いた彼の感想は『私の身体が1年くらいで変わるわけがないのに、あんなに変わったというのはフェルデンクライス・メソッドというのはとんでもなく凄いものに違いない!!!』というものでした。

彼は私よりもさらに何年か前に『フェルデンクライス身体訓練法』の本を買っていて、このメソッドに関しては知ってはいたんですね。ただ、読んで実感(体感)するのは相当難しいため、放ってあったわけです。

私の身体の変化(客観)を見事に判断する彼の勘(主観)の良さは大したものです。私と天と地ほど違います。

ちょうど同じ頃、太極拳の先生に私はこう言われたんですよ。嬉しそうな顔をして『最近、あなた、太極拳が上手になったねぇ~♪やれば出来るじゃないか!!!』

私は・・・苦笑いしか出来ませんでした。上達(客観)していても、内心(主観)は全然嬉しくなかったんですよ。だって、まったく太極拳はやっていなかったのですから。そう、膝が痛くてフェルデンクライスだけ週に1回通っていただけだったんです。ですから、何にもしていないのに上達(客観)したと言われても私の心(主観)は不満だらけだったのです。

ちなみに以前も書いたと思いますが、友人のようなタイプを上根、私のようなタイプを下根といいます。

今回はいずれ考察する必要のある主観と客観について軽~く触れておきました。

さて、皆さんはどんなタイプ(最上根、上根、中根、下根)ですか(^_-)
【2011/08/13 20:44】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 10 圧倒的な差
前回の続きで、先生の先生の話もしておきましょうか。

ある日、こんな質問をしました。

私:『先生って大変ですよね。毎回、新しい事を教えなければならないから(^_^;)』

先生:『別に教えるものなんて幾らでもあるんだから問題ないよ!』

私:『先生はそうかもしれないけど、私じゃ、教えるものがすぐに無くなって(^_^;)』

先生:『生徒から盗ればいいじゃないか!』

私:『???生徒から取る?』『生徒は習いにくるんですよ。何を生徒から取るんですか?』

先生:『たくさんあるでしょ!』

私:『???』

先生:『先生はいいよ~♪お金もらって、生徒からたくさん学べて、こんないい仕事ないじゃないか!!!』

私:『えっ?生徒に教えるんじゃないんですか?学ぶんですか???』

先生:『そうよ!私の先生は凄かったよ!生徒が良いモノ持っているとすぐ盗っちゃうんだから!』

私:『教わる生徒が先生より良いモノ持っているんですか?だったら習う必要ないと思うんですけど(^_^;)』

先生:『良いモノは2種類あるよ。自然に持っているものと、後から持ったものと。』

私:『持っているならやはり習う必要ないと思うけどなぁ?』

先生:『あなた、頭悪いね!!!別に太極拳と言ってないでしょ。』

私:『う~ん、じゃー、何を取るんですか(^_^;)』

先生:『それはね、生徒が習いに来たとき、自分で気づいているかどうかはともかく、自然な良い動きをしている場合があるのよ。それを盗るのが一つ。もう一つは、大抵、生徒はいろいろ習ったりしてるでしょ。その時、自覚しているかどうかは別にして身体や動きに癖がついてるから、良いモノは盗るの!』

私:『でも、太極拳の動きじゃないモノは意味ないですよね?それにそんな簡単に取れるものですか?』

先生:『だからあなたはダメなのよ!!!前に言ったでしょ!気がどう動くかが大事であって形じゃないって!!!』『形は関係ないんだから、何の動きだってOKなの!』

私:『そういえば、そう言われたような気もしますが(^_^;)でも、例えば太極拳にバレーとかサッカーとかピアノとか入れられないですよねぇ?』

先生:『はぁー!あのね、私の先生は凄いよ。目の力が強いからいつもうつむきながら歩いているんだけど、生徒達が練習している後ろをトボトボ歩いているでしょ。その時、これは?!?!と思う生徒の後ろで止まり、気をつくって丹田で観るわけ。数分して、うん!よし!とうなずいてまたトボトボ歩き出すんだけど、もうその時点で先生の動きは変わっちゃっているんだよ。先生が表演するとしっかり見事にそれが入っちゃっているんだから。』

私:『昔、先生が公園で2年くらいやったやつと同じですか?』

先生:『そう!私2年で、先生一瞬ね(苦笑)』

私:『私もいつかそうなれますかね(#^.^#)』

先生:『頭悪ければ無理に決まってるけどね(笑)』

私:『ですよね(T_T)』


まぁ、ほぼこんなやり取りです。

今の私はこのやり取りにまったく異論も反論もありません。もちろん、私は2年どころではなく四苦八苦ですが(^_^;)

ところでこのトボトボというのは、説明がいりますね。

先生が日本に来て驚いたのは、トボトボ歩いてる年寄りが多いので一瞬達人ばかりかと思ったそうです。そしたら、ホントの弱い老人ばかりで驚いたとのこと。逆に、武道家が偉そうな姿勢が多いのにも驚いたらしいです。すぐに試合を申し込まれて危なくないのかと。中国では名を売りたい若者なども当時は結構いたらしいですから。

中国では偉そうに歩くとケンカに巻き込まれるので、特に年寄りは弱々しく?行動するそうです。ですから、年寄りで弱いと思ってケンカをするととんでもないことになると。特に田舎の老人は要注意とのこと。何故なら、弱々しく見せているのは余計な『気』を使わないためなんですね。

養生という思想が広く浸透しているらしく、長生きするため、余計な『気』を使わず、むしろそれを溜て、練っているわけです。歳を取るとどうしても筋力・体力は衰えてくるので、手数では若者にかないません。そこで、好きに打たせながらも、スキをつく一撃に『気』(養生のために培った先天の気も含めた生命エネルギー)を込めるらしいんですね。つまり、寿命が短くなるのを覚悟するということです。

我慢に我慢を重ねて最後に命を込めた一撃ですから、それをもろに喰らえば間違いなく死ぬそうです。耳から血が流れ出たらアウトと言ってました。だから、中国では弱そうに見えても絶対、特に田舎のじいさんとケンカするなって(^_^;)

田舎のおじいさんは農作業で身体を鍛え、農閑期は暇だから日がな一日武術に励んでいる人が多いから要注意らしいです。

ちなみにこの場合の若者も素人のケンカレベルではなく、ある程度の武術の実力があること前提ですから、サッと避けたり、鍛えていて通常の打撃が効かないわけです。だからこそ、おじいさんも自分の命と引き替えの覚悟するわけです。

それと目が強いというのは、目に神(しん)が宿っているからです。この神とは日本の神(かみ)とは違い、精(性エネルギーのようなもの)が太極拳や気功によって精錬されたもので物質的なものです。

私の先生も目が光ってました。これが先生の先生はもっと強いので、先生もまぶしくて直視できないと言ってました。海老蔵のような目力というものもありますが、不思議なことに光ってるんですよ。眼光鋭いという言葉もありますが、目つきや眼光が鋭いのではなく、強烈な眼光ですね。むしろ、私の先生はクリッとした大きい目で、キラキラ輝いているんですから、かなり魅力的でもあります。事実、先生はモテまくってましたし。ちょっと(本当はと~っても)羨ましい(笑)
【2011/08/09 20:14】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 9 距離
いやぁ~、やはり優れたこと、素晴らしい能力に関して思索するのは筆が進みますね~♪

前回は前段で老婆心的な忠告から入りましたが、それが何故なのか・・・を実例を挙げていきますので納得していただけるのではと思っております。

ただし、今回挙げる実例は普通の人間の平均的なレベルの話ではありません。ですので、落胆する必要もありません。世の中にはこんな人間もいるのか!と思っていただければ好いし、ここまでは到底無理としても我々凡夫も同様の過程は辿ることができ、自己の限界内において限りなく向上できるという希望があることが今の時代性のありがたさです。

だからこそ、やってます!頑張ってます!低度の脳天気なレベルで過ごせば圧倒的な差もついちゃいますよ!という何かに夢を持たれて励まれている方への忠告ともなったわけです。

もちろん、楽しければよいという方にはさして関係のない話ですから、そういう方は今回は(も?)聞き流してください。

その前に、『気をつくって丹田で観る』という表現は先生の独特の言い方ですから、この種の身体文化に取り組んでいる方以外は意味不明だと思います。

当時の私も気分的に分かったつもりでいただけで、内実はまったく解りませんでした。今は多少は感覚を伴って分かりますが、到底先生のレベルに及ぶべくもありません。ただ、この『気をつくって丹田で観る』とは何なのか?は現在幾らか言語化は出来ますので、いずれ、そういうことかと頭で判る程度ですが、説明したいと思います。

では前回の続きから。

公園で練習と先生は言っていますが、練習の意味も内実もおそらく我々日本人とはまったく異質なもので、これをやっている方がいるとすれば、日本人の中では間違いなく各分野のトップクラスの能力の持ち主でしょう。

ちなみに今の中国は知りませんが、当時この練習を公園でやる場合、オーバーに言えば命がけ、軽くて目が潰れる事は覚悟する必要があったそうです。時代は文化大革命の真っ最中で、仕事もなく、先生も暇をもてあまし、射撃の訓練をしたりいろいろ遊んでいたようです。

武術も表だってやることは取り締まりの対象になって危険なため、差し障りのないような事を公園などではやっていたらしいです。

そんな時代ですが、もう少し昔はもっと厳しく、練習風景を見ていることは技を盗むことと同列扱いされ、目を潰されたとか(^_^;)

先生の時代は銃を使えば簡単に殺せるので、何も苦労して技を盗む必要もないことから、さすがに目を潰されることは都会(先生は上海)では少なかったようですが、やはり不穏な空気は当然流れるので覚悟がいると(^_^;)

暇をもてあましていた先生(だけでありません。多くの人がそうでした)は、公園で練習しているレベルの高い人やグループを見つけると、一緒に練習するのだそうです。

その練習方法とは、そのグループの人達が練習を始めると一緒に練習をして、休むと一緒に休みして毎日2年くらい通ったそうです。2年くらい経ってもういいやと思ったので止めたそうですが・・・

ここから先生とのやり取りを再現してみましょう。

私:『習ったんではないんですよね?』

先生:『習わないよ!私は太極拳やっているから!』

私:『じゃー、どうやって練習したんですか?』

先生:『遠くの木の陰から観ていたんだよ!』

私:『練習じゃなくて、見ていたんですか!』

先生:『遠くから観て練習してたよ!』

私:『???』『イメージトレーニングかな???』

先生:『近くで観てたら、目潰されるじゃないか!!!まぁ、潰されなくても間違いなくケンカね!』

私:『命がけですね(^_^;)』

先生:『当たり前でしょ!上手くないたいんだから!!!』

私:『遠くから見てるだけで学べるんですか?』

先生:『向こうの先生が動いたら、こっちは木に寄りかかって丹田で気を動かして一緒に動くの。形なんてどうでもいいのよ。私は太極拳だから。』

私:『???』

先生:『気がどう動いているか判らないのが怖いでしょ?どう動くか解れば、どういう動き(形)で攻撃してくるかだいたい判るから安心じゃない!』

私:『???』『う~ん、じゃー、その気がどう動いているのか解ったって、どうやって判断するんですか?習っているわけじゃないから、自分で判断するんですよね?』

先生:ニヤリと笑って『良い質問ね!それはね、あっちの先生の気が動いているのと同じように気を動かしているとき、先生と違った動きを自分でして、自分のほうが良かったら、もうその先生に学ぶ必要ないから卒業ね!』

私:『???』『何だか別次元の話だなぁ(^_^;)』

先生:『まぁ、今はみんな暇じゃないし、楽しいこと一杯あるからね。中国でもこんな事をする人は田舎の人くらいじゃない。都会に住む人はこんな事はしないよ!』

私:『みんな凄くなれるのに興味ないのかなぁ!』

先生:『みんな楽で楽しいほうが好きでしょ。今は中国でも公園で若者はロックとか楽しそうに踊っているよ!』

私:『なんかもったいないなぁ!』

先生:『辛くて厳しい事して凄くなるより、楽で楽しいほうが普通、みんな好きじゃないの!これからは中国もこういうのは難しいよ!』

私:『しかし、中国にはまだまだ凄い人達がいるんでしょうねぇ(^_^;)』

先生:『当たり前よ!田舎の人は要注意ね。それと、私の先生はもっと凄いから!!!』


思い出してみるとなかなか面白いやり取りですが、このやり取りの辺りから、どうも私と先生とは根本的に何かが違うんじゃないかとうっすらと脳裏を過ぎりだしたのも確かです。

そう、サブタイトルの距離感の感が取れて、距離が圧倒的に違うような感覚、どうにも埋めようにも埋まらないような差、これが、前回の道が途切れているような感覚だったのです。

ですが、この時点ではまだ、質的な違いも圧倒的に違う事には思い及んでおらず、他の様々な能力にも圧倒的に違いがあるとはつゆほどにも思っておりませんでしたので、まだ、頑張ればいつかこういう能力が芽生えるのかなぁと凄い話にワクワクしながら楽観的な気分に浸れた幸せな時代でもありました(笑)


追記

前にご紹介した児玉教授の動画が削除されまくってまたリンク先が消されてました。私がこの動画を推薦するのは、内容もさることながら、人間とは本来どうあるはず(あるべき)なのかを見事に体現してくだっさっているからです。

つい最近、中国で列車事故が起きたとき、駅に押し寄せて抗議に来ていた遺族の方々を警察官たちは見て見ぬふりをしていました。あの国において体制側の人間が、自分にも危害が及ぶ可能性が非常に高いにも関わらず、遺族の側に寄り添ったのです。

翻って再度、日本人の劣化に衝撃を受けました。かの国は確かに酷いですが、人間としての尊厳、感情、感性は明らかに日本人より高いのです。特に大手メディアの自ら率先して体制側にすり寄り尻尾を振っていく様は見ていて真に情けないです。

憤る!というのは大切なことです。ネット上ではたくさんの方々が共感され救いですが、日本人の大多数は知らないでしょう。大手メディアが黙殺していますから。メディアという体制側を一番批判、検証せねばならないところが、一番腐っていたとはまことに驚きです。

雇われているのだから仕方ないと言う方々ばかりなのでしょう。ではあなた方の仕事は何なのですか?

中国人のあの行動を見ても、何とも感じないのだとしたら・・・もう、大手メディアなんて不必要でしょう。長いものに巻かれろの集団ですから、本来の役を果たさず国民のためになりません。

私は自分の立場上、こういう反応や行動は脳(身心)の劣化が著しい人の特徴だと申し上げているだけです。いずれ、喜怒哀楽の感情の大切さも、考えてみたいと思います。
【2011/08/08 00:58】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 8 距離感
今回は記憶に残っている太極拳の先生とのやり取りを幾つかご紹介しましょう。

このブログを読んでくださっている皆さんは、おそらく世間一般の人よりは向上心の強い方々でしょう。向上心のない方がこのブログを読むなんてあり得ないでしょうから(笑)

ある程度、成果を上げている方には当然の事なので、無用の事ですが、情熱を燃やして何かに取り組もうとしている方には老婆心ながらご忠告しておきます。凄い!!!と思う人と自分の距離は自分が思っている以上に、ハッキリ言えば天と地ほどありますよということです。

これは、卑下とか謙遜とか言葉や態度の問題ではなく事実として解る、実感できるようなプロセスを自分で歩むよう努力されることです。何年経っても少しは先生に近づけたかなぁと楽観的な希望を持てるような自分だとしたら、もう止めたほうがいいでしょう。そのやり方では、死ぬまで距離が広がり続けるだけですから。

このやり方で得るもの?があるとすれば、長年かけて結局自分は才能がないという実感(無意味な)か脳天気な自己欺瞞の先生の神格化くらいでしょう。

厳しい言い方なのは重々承知しております。でも、経験者の言葉には多少耳は傾けたほうがいいですよ。信じる必要はありません。自分のやり方、生き方を考える、検証する材料に使ってください。

私以上に情熱を傾けて上達したい、先生のようになりたいと励んでいる方々をたくさん見てきましたが、多くの方が上記したような道を辿ります。私とて例外ではありません。厳に達人に到達できてはいません。ただ、幾ら、情熱を傾けても何故ダメなのかは幾つかの偶然性により気づけことがあります。だからこそ、特に若い方々には同じ轍は踏まずに可能性を実現してほしいと心から願って厳しい言い方になるのはご寛恕ください。

さて、この距離感ですが、実は道が途切れている?とうっすらと不安が込み上げたことでもあります。もちろん、圧倒的に先生って凄い!!!と強烈な憧れの陰に隠れた淡い感覚ですから、自分では取り上げもしない(正確には取り上げる能力すらない)出来事ですが。

ある日、生徒達で武術の雑誌を見ていると、先生が覗き込んでフ~ンと言った場面です。

私:『日本語読めるんですか?』

先生:『学校で習っているけど、難しいね!』

私:『今、フ~ンって言ったのはなぜですか?』

先生:ある写真を指さし『これ、まぁまぁだったから。』

私:『写真を見て分かるんですか?』

先生:『当たり前よ!観て解らなければ、何がいいか判らないじゃないか!!!』

私:『う~ん、雑誌や本は文章を読むもので、写真はどんなものかイメージが湧くような読者サービスかと(^_^;)』

先生:『逆でしょ!写真を観れば判るんだから、文章なんていらないよ!』

私:『そう言われても、写真見ても全然分かんないですが(^_^;)』

その後、同じ動作を別の人が演じている写真を指さしてこの写真と比べながら、何が違うのかを逐一教えてくれ、さらに両者の真似までしてくれて・・・写真からこんなにいろいろな事が学べるのかと一同唖然!!!

驚いて、雑誌に出ていた他の人達の写真を観てもらうと、善し悪しを的確に言いまくって我々はビックリ仰天!!!

私:『どうして、判るんですか?!?!』

先生:『だから、観れば判るでしょ(苦笑)』

私:『一生懸命、見ましたが、言われればなるほどと解るのですが、言われないと(T_T)』

先生:『観る目ないね!!!』

私:『どうすれば見えるようになりますか?』

先生:『太極拳やっているじゃないか?気つくって丹田で観れば判るだろ!!!』

我々・・・えっ???

私:『そんなこと最初から出来たんですか?』

先生:『出来るわけないじゃないか!!!』 『公園に行って散々練習したよ!!!』

その練習とは・・・

キリがいいので次回にしましょう!
【2011/08/06 18:12】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 7 汝自身を知れ!補足
前回はちょっと分かり難いかもしれませんので、少し補足しておきます。

自分が変だとか、おかしいと思わない人間なんているのだろうか?と思った方もいらっしゃるかと思います。

私は、むしろ世の中の大多数の人がそうだと思うし、それどころか、このことにまったく気づかないで死んでいくのが普通だと考えているんですが・・・

といったら、まずは名指しされている、昔の私が烈火の如く怒って反論するでしょうね(笑)

ちょっと、その反論を聞いてみますか。

『まるで、無能の如く言うが、試行錯誤しながら、どれほど創意工夫していると思ってんだ!!!足が弱いのだって先生に言われなくたって、自分の体なんだからわかってんだ。だから、少しでも強くする為にスクワットをやっているし、もっと効率よく強くするため、、スポーツクラブに通って、マシーンで鍛えている。筋肉も硬くならないようにストレッチもやってるぞ。最新のマシーンを取り入れたクラブが出来れば、そちらに移って鍛えてるんだ。ふざけるな!!!』

どうですか?・・・あれっ?結構、まともに考えてるんじゃないか?と思われた方もいらっしゃるでしょうか・・・

ちなみに、これは、事実です。当時、やったことです。

さて、今の私の感想ですが・・・

なんともまあ、いじましい・・・としか言いようがありません(苦笑)

共感された方はムッとされるかもしれませんが、事実をありのままに見ていないからです。

当時の私に次の問いをしたらどう答えると思いますか?

『頑張ってんのはわかったけど、そんで、太極拳は上手くなったの?』

答えは皆さんがご存じのものですね。そして、私は歩けなくなった!!!(笑)

私だけでは承伏しかねる人もいるでしょうから、誰もが知ってる有名人に登場していただきましょう。

野球の清原選手です。

彼のトレーニングの仕方を見て、もうダメだとハッキリ言いましたので、覚えている生徒さんも結構いると思います。

当時、私が言ったのは次のような事です。彼は一生懸命頑張っているけど、今年よりももっとケガをしやすくなり、成績も落ちるよ!ということです。残念ながら、予想は的中してしまいました。

その時のトレーニングをTVで見て記憶に残っている方もいると思いますが、まるでプロレスラーにでも転職するのか?というくらいのヘビーウエイトで鍛え、体重を減らして良質の筋肉を付けるために、鳥のササミばかり食べ、精神力を鍛えるために護摩行もしていました。

やはり、頑張っているじゃん!!!と思いますか?

で、成績は上がりました?と聞いたら、ブン殴られますよ(笑)

清原選手すらやっているのだから、他にも山のようにいるはずでしょう。

何故、ダメなのかは、いずれ検討していきますが、彼にも私にも、そして山のようにいる方々に共通している特徴は挙げておきましょう。

それは、自分の『やりたいことやって、やらなねばならぬことをやらない!!!』からです。

もっと正確に言うなら、『夢を実現したいならば、夢が実現することをやるべきであり、やりたいことなんぞやるな!!!』ということです。

さらに、厳しい言い方(プロにとってはあまりに当然ですが)をすれば、『やりたいようにをやりたがる、自分は殺せ!!!』ということです。

言い方に感情的に反感を持たれる方もいらっしゃると思いますが、自分で生きてみれば、嫌というほど実感できます。

ただし、これは自己の限界を穿ちたい!方々にとって必須の事ですから、今の自分の生態系(環境)でそこそこ生きていければ好いという方々にはまずは関係してきませんのでご安心を(笑)

自己の限界を穿ちたい!という若人がひょっとしたら読者にいるかもしれませんので、その方々への励ましの意味も込めて・・・

手短にと思ったのですが(^_^;) 次回こそ、一つ二つ優れた例を挙げますね。
【2011/08/03 23:23】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(2)
いざ!自由へ フェルデンクライス・メソッド


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