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疑問に応える 25 イメージの話一つ二つ
前回はイメージの話が出ましたので、ついでに思い出話を一つ二つ~♪

イメージの重要性を聞いたのは30年くらい前に、瞑想指導家の山田孝男先生からでした。TM瞑想を日本に紹介したお一人で、SMCの初期の講師でもありました。

TMはマントラ瞑想ですから、イメージは全然使わず、私には楽で好かったのですが、SMCはモロにイメージを使うのでリアリティもなく四苦八苦した思い出があります(笑)

当時、山田先生の元にはある種の凄い能力の持ち主が結構集まっていて、自分とはかくも能力差があるのかと愕然としたり、いつか自分もそうなれるのだろうかとワクワクしたり、期待と落胆の青春の日々を送っていたといっても過言ではないでしょう(笑)

なんせ、春はテニス、夏は海、冬はスキーみたいな時代なのに、どこかに良い波動の神社や場所がないか?と探し回っていたのですから、何ともはや抹香臭い青春の日々です(笑) それが今ではパワースポットといって誰しもが当然の如く思う、行く時代なんですから隔世の感ありですね。ちょっと早く生まれすぎたのかな(苦笑)

ですから、イメージという言葉も当時は一般的ではなく瞑想と同じで特殊技能のようなイメージがありました(笑) 今ではイメージしましょうとか、瞑想しましょうとあまりに普通に聞くので、本当に時代の変化は凄いなぁと感嘆しきりです。

当時、瞑想にしろイメージにしろ、『行』の一環のようなイメージがありましたので、特別なテクニックと考えている人が大多数だったのではないでしょうか。

数年後、ロサンゼルスオリンピック(だったかな)でアメリカ選手がイメージトレーニングを活用しているとスポーツ科学の分野で話題となり、バイオフィードバックとかアルファ波とかの言葉が飛び交うようになりました。SMCではアルファ波の状態に誘導して願望をプログラミングすることをマインドする!と言っていたと思いますが、マインドするって変な日本語だなぁと自分の感性に馴染まずに困ったものです(笑)

当時の『行』は肉体感覚に比重が高い傾向がありました。断食、滝行、呼吸法、周天法など、まず肉体の特定の場所に強烈に意識を向ける事から始めることが多かったので、山田先生はアンチテーゼとしてアストラル体メンタル体に意識をフォーカスするのに、つまり過度の肉体への集中で感覚が肉体感覚に留まるのを避けるために、イメージを活用されようとしていたようです。

肉体感覚というのはリアルですから、感じやすいのですが、反面、それに捕らわれてそれ以上の次元(アストラル界やメンタル界)になかなか移行出来がたい側面があります。そこで、どちらかと言うと、瞑想やイメージの誘導が肉体感覚から離れる方向へ誘うわけですが、こうなると私のようなアストラル体もメンタル体も発達の乏しいタイプには、ほとんど夢想?妄想?それどころか、誘導の言葉の意味を文字で考える低度のことしかできません。

たとえば、こんな誘導がありました。音楽を『ハートで聞きましょう』・・・私は頭の中で『ハートで聞く?耳でしか聞こえないが???どうやってハートで聞くんだ???そもそもハートってどこ?心臓か?アナハタチャクラで聞くのか?う~ん、わからん!!!』

いや~、気持ち良かった・・・こんな感想を聞くと・・・『気分で浸ればいいのかな?好きな音楽聞いて気分が好いことならたまにあるが、それがハートで聞くこと?気分は良いけど、不思議な世界に行くこともなければ、そんな感覚もないが・・・』

今でもこのレベルでは当時と大差はありません。ただ、イメージに対する捉え方、考え方が自分なりに掴めて、距離を縮められるかもしれないと思えるスモールステップを考えられるようになりました。

たとえば、イメージできる人にとっては当たり前過ぎて、むしろ???となるのでしょうが、ハートで聞くなんて、イメージが湧かない私にはチンプンカンでした。一生懸命ハートで聞こうとする(考える)んですが、聞こえるのは耳からばかり(笑)

音楽を使った瞑想の後、様々な体験談を聞くと落胆と悲嘆の日々、自分の無能さに愕然とすることが当然の日課でありました。まぁ、今も大差ありません。当然だと思っているので落胆しなくなっただけです(笑)

ではどう考え方が変わったのか?ですが、当時、上記の流れ(山田先生のアンチテーゼ)から、アストラル界やメンタル界などもこの肉体感覚のようにリアルに感じられるのが正しいと思い込んでおりました。考えてみれば、夢ですらコントロールするどころか、覚えている、思い出すのも困難なのに、類似の脳波の状態(世界)で、覚醒し続けるのは途轍もなく困難なわけです。だから第一歩として気分や妄想、空想でも構わないわけですが、リアル感を求める私は無意識に(勝手に)肉体感覚のようなリアル感を求めて落胆していたわけです。

うっすらとしたキッカケはある音楽瞑想の時、たまたまスピーカーの近くにいて足裏が振動していることに気づいたことです。それで、胸に注意を向けたら胸の骨?も振動していることに気づきました。要するに骨伝導ですね。ところが、私は下根ですから、『ダメだ!俺はいつまで経っても肉体感覚から離れられない!!!』と判断を下していったわけで(苦笑)

こうして、イメージは苦手の意識(イメージ)が超強烈に植え付けられ、後にフェルデンクライスでイメージをやります!と聞いた時は、心底落胆しました(笑) せっかく身体に特化しようと思ったのにまたイメージ!!! イメージの面白さに気づく(神経系が発達する)までに、5年くらい掛かったでしょう(笑) ATMを受けていた時、イメージと聞いたら拒否反応で今日はツイてない!帰りたいなと思うのが常でしたから。

ではそんな私が何でイメージに興味を持つようになったのでしょう。

それはATM受けていた時、眠くて寝てしまったのですが、ふいに眼が醒めて何をやっているのかわからないので、指示を聞いていたら、やっていないのに床に接触している部位(筋肉)が柔らかくなって微妙に動いたからです。この時初めて、考えるだけで、身体が変わるのか?と驚きと共に、だからこそイメージなんだ!!!とハタと気づいたからです。

苦手意識からの解放に下根の私は10年以上の歳月を要したということです(苦笑) 

もちろん、今でもイメージの能力はさしてありません。これは卑下でも謙遜でもなく事実です。つまり、イメージ能力の差は個人差が桁外れに大きいというのが実感です。

ただ、方法論がないわけではないということです。イメージで悩んでいる方がいらっしゃればご参考までに(^_-)
【2011/10/30 17:59】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 24 二重化
最近、暑いですね。前回もこういう書き出しでしたが、また書くとは思いませんでした(苦笑) 当然、涼しくなっていると思っていたのですが(笑)

さて、今回から以前に書いたものを各論的に検討していくとしましたが、自分で書いたものを解説するのも能が無いし、私自身としてはさして面白くないので、そのブログの範囲内で少しバックグラウンドに踏み込みながら新しい類似の話題も見つかれば考えてみようと思います。

前回のイメージの話で立場の移行(他人への二重化)の例をちょっと出しましたが、この二重化には二つあるのでちょっと面倒です。一つは『相手の身になって相手の立場に立つ』 もう一つは『相手の立場に自分がなってみる』というものです。前者は他人化、後者は自己化といえるでしょう。

後者はわりと簡単です。今の自分がそのまま相手の立場になればいいのですから。たとえば烈火の如く怒っていたり、あるいは落胆して悲しみにくれていたりしている人を見て、私ならそんな事はしないとか、こうするというのはよくある事ですね。

これが前者だと自分も烈火の怒りや深い悲しみにまず襲われることになります。そして、その上で一旦そこから出て、さて、自分ならばどうするかと問うことになります。つまり、当事者と近似的な感情や感覚、思考を追体験した上で、当事者はそこに留まっていますが、自分はそこから出て、全体を眺めて別の方法を探すわけです。

神経システムが違い、生まれも育ちも違う人が他人を想像するのは非常に困難です。たとえば、同じ食べ物を見ても貧しければ美味しそうと見え、金持ちはまたこれか!飽きたな!と感じるようにです。

ストーカーとかモンスターペアレントの類は他人の自己化すら出来ないほど劣化した人種ということになります。よく、こういう人に何故、人の悲しみや辛さ、不快さが感じられないんだ!と絶叫する人がいますが、そんな神経システムは彼らは成長過程で発達させそこなったので、彼らは反応すらしません。だからこそ、あんな事が出来るんです(苦笑)

つまり、自分が嫌だと感じるからといって人も同様に感じるわけではないということを忘れているんです。そういえば、最近、ドブネズミは美しい~♪という歌がCMで流れていますが、私は全然美しさは感じません。むしろ不快です(笑) 感性の違いですから、作詞された方やCMの制作者やスポンサーの会社をとやかく言う気はありません。きっと、かわいくてドブでドブネズミを見つけると頬ずりしたくなるような感性の方々なのでしょう。スポンサーの会社も苦情を言わないところを見ると、ドブネズミが社内を走り回っていても何とも思わない会社なんでしょう。

といったら関係者は烈火の如く怒るでしょう(笑) でも、怒るほうが間違っているわけです。CMとは企業イメージを売ることでもあるわけですから、その会社=ドブネズミ並と思われませんか?と私は心配しているんです。あるいはそんなCMに出たら自分=ドブネズミ並というイメージが付きませんかと。ハリウッドスターはくだらないCMには出ないそうです。自分がくだらなく見える(イメージが植え付けられる)からですが、日本で見かけるのはあくまでも日本国内のみの放送だからだそうです。

まぁ、私はドブネズミは美しい~♪と流すCMや会社の意図のほうが興味が惹かれます。余程の事がない限り、そんなCMあり得ないでしょう。トヨタがドブネズミのように美しい車~♪とか、日産がドブネズミのようにすばしっこい~♪とか流すわけありませんから。

ありうべからざる事が起きているという事は、通常、何か秘密があるか、余程のバカでしょう。当然、大枚はたいてCM作っているわけですから、秘密があると思うわけですが・・・

少し脇道に逸れましたが、前回のイメージを取り上げて二重化について書いてみました。それぞれの立場に、当事者の意識で入れるようになると認識に違いがあって面白いというわけです。

人生は一回生起限りですし、自分の人生しかありません。だからこそ、他人の体験を二重化して追体験し、擬似的、間接的とはいえ、神経システムに類似の刺激を流して、そこから学ぶ神経システムを構築できれば、実り豊かな人生を送れる一つの方法を手にすることになるのではと思う次第です。

凄い人達の共通項の一つが、他人の経験に学んじゃうですよね。当事者が何度も同じ轍を踏む間に(>_<)
【2011/10/24 17:27】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 23 誰しもが辿る達人への道
今日は暑いですね(^_^;)

今は秋真っ盛りのハズですが、そういえば以前10月31日に台風が来た記憶があるので、ひょっとするとまだ台風も来るのかな。

今回はこのシリーズの検討に入る前にちょっと趣を変えてこんなことを想像してみましょう。

広い公園のベンチに座って景色を眺めていると、いろいろな人達が行き交います・・・

小さな赤ちゃんや子供をベビーカーに乗せたお母さんたちが談笑しながら歩いていきます。ちょうど下校の頃なのでしょう。小さな小学生の一団がはしゃぎながら走っていきます。

ふと前を見ると、その光景を微笑ましく見ているご老人がベンチからゆっくりと立ち上がって歩き出しました。その脇を学生達がマラソンでしょうか。凄い早さで駆け抜けていきます。

私がベンチにしばし座っていたら、こんな光景が目の前を通り過ぎていきました・・・

いかがですか?皆さんなりに目の前に生き生きとした光景が見えましたか?

私は街を行き交う人を日がな一日お茶を飲みながら眺めているのが好きです。若い頃ネパールで湖の側のレストランの庭からお茶を飲みながら外を行き交う人々、馬や牛、鶏や犬などを眺めていて面白い体験をしたからです。

あちらで知り合った日本人とお茶を飲んでいると、雑踏の喧噪がまったく聞こえなくなり、カセットから流れる音楽だけが聞こえて、すべてはまるでプロモーションビデオのスロー映像を眺めるようにゆっくりと流れていきました。その曲が終わってハッとしたら、一挙に轟音のように日常の喧噪が流れ込んできてビックリしました。一緒にいた方が今、俺、ぶっ飛んじゃったよ!と言ってましたが、これがぶっ飛ぶことの一つなのかと驚きました。脳が同調するんですね。

それ以来、そんな体験はしたことはありませんが、置き土産なのか、今でも懐かしさと淡い期待も時々抱きながらお茶を飲むのが好きです。ほんの束の間の非日常的な出来事ではありましたが、非日常的だからこそ、きっと脳に大きな影響を及ぼすのでしょう。だから、理詰めのフェルデンクライスを楽しみつつもリコネクションで脳にファジーさを残して何か起きないかなとワクワクする自分を楽しんでいたりします(笑)

こんな体験のお陰で自分としては、それ以前の自分に比べれば随分とリアルに感覚を想像しながらイメージが湧くようになりました。リアルな体験というのはやはり貴重だなぁと改めて思います。

さて、脇道に逸れましたが、皆さんはイメージしてみてどなたに一番感情移入をされましたか?イメージの中でベンチに座って眺めている自分だけでしたか?それとも目の前に登場してきた人達になったでしょうか。

ベンチに座っている自分だけだとしたら、その自分は今の自分ですか?どんな気分?どんな考え、どんな思いを抱きましたか?あるいは、目の前の登場人物達をどんな眼差しで眺めていましたか?表情を見ていた、動きを見ていた、服装を見ていた、話し声を聞いていた、風を感じた、においを感じた・・・様々な情報がありました。

登場人物に入って(なって)みた方はどんな感じがしましたか?小学生になった感じ、お母さんになった感じ、走っている学生の感じ、お年寄りの感じ、あるいは、だれかが散歩している犬とか(笑)

どうでしょう?一口にイメージといっても、内容は十人十色、千差万別だと思います。神経系の豊かさ、発達の違いですから、如何ともし難いですが、これは訓練や能力開発である程度は育ってくるので諦める必要はないでしょう。

私は若い頃はイメージ瞑想は大の苦手でして、色は思い浮かべられないし、形も崩れてしまい、結局、ウンザリして諦めました。それが上記した体験などを経て、眺めるのが好きになり、いつの間にやら、眺めるのみならず、その中の登場人物に感情移入したり動きを感じたりと苦手から妄想の達人?へと至ったというわけです(笑) 人生なにが幸いするかわかりませんね~♪

さて、このイメージの中には様々な年齢の方が登場しますが、個人ではなく人間一般からみれば、赤ん坊から人生の終焉が近い方々まで、すなわち誕生から死までがこの時空間に同存していることになります。つまり、人のおよそ一生のある光景ともいえるわけです。

ですから、人は例外なくこの過程を辿るわけですから、ベビーカーに乗って自由自在に動けない赤ん坊の状態から、ゆっくりと立ち上がってゆっくりと歩いて自由度が下がっていくお年寄りまで、これは自分の姿でもあります。

つまり、誰しもがいずれは子供の頃、若い頃できた動きが困難、あるいは不可能になっていく過程を辿るということです。すなわち、軽やかに出来たことをやろうとすれば、場合によってはその動きは達人の動きを求めるかの如く困難を極めるということです。

足が不自由になったり、大病したり、眼が見えない、聞こえない、などさらにハンディを抱えれば、日常の簡単な動きすら、超一級の達人技と同レベル以上の困難さになるということです。ここまでなるかどうかは運と努力次第ですが、上記した老化から来る日常生活の困難さは一般的には例外なくやってきます。

つまり、達人への道を考えてみる(想像してみる)ということは、何ら特別な人の問題ではなく実は誰にもいずれそんな気がまったくなくても必ずや直面する問題でもあるので、これから検討していきますが、自分には全然関係ないと思っているあなたにも役に立つかもしれません・・・というより、その時(年齢)で直面すると諦めと若かりし頃の郷愁くらいしかできない脳になっていて難渋することになるでしょうということです(笑)
【2011/10/16 18:20】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 22 こちらの自由、あちらの自由
おそらく杞憂だとは思いますが、シリーズ(既に22回も重ねてる(^_^;))ですので、ひょっとして最近や今回から読んでいる人に対してですが、このシリーズの主なテーマは上達のマニュアル?のようなものがあるとすれば・・・というものです。

私はマニュアルを読むのは嫌いなのですが、例えば携帯電話など読まないとまったく使えません。大昔のテレビはスイッチを押してチャンネルを回すという二つだけ、覚えれば一応OKでしたから、最近のリモコンは大変難しいですね。スイッチを覚えて、チャンネルを覚えて押せば昔と同じようにテレビは映りますが、高機能の付加価値は使えません。

つまり、私はこのシリーズでは上達(特に身体)のためのある特定(領域)のマニュアルの話をしているのです。

山に喩えればヒマラヤ級の山々を登頂するには・・・という話で山一般の登山やハイキングコースの説明や楽しみを説いているわけではないのです。

私のブログを読んで、まどろっこしい、何を言いたいのか分からないと思う方もいらっしゃるでしょう。それは、当然で私がマニュアルを読むのが嫌いなのと類似の構造だからです。別に読まなくてもテレビは観れるし、携帯電話だって一度やり方を覚えれば機種変更した時も、そこそこ使えます。

ただ、同じような携帯(山)でもスマートフォン(ヒマラヤ級)になると使い方(登り方)がガラリと変わり、店であなた様は使いこなせない(ヒマラヤには登れない)から止めたほうがいいですよと言われるわけです(笑)

携帯電話は山は見える分、誤解は少ないですが、それでも無謀に山に登って遭難する人は後を絶ちませんし、スマートフォンも携帯にしとけば好かった・・・と後悔する方もいるでしょう。

つまり、自分に対する認識と対象(スマートフォンやヒマラヤ級)に対する認識が甘かったからということです。そのツケはスマートフォンは高額、山では場合によっては命ということになります。

ですから、上達を目指す(それも最高峰)方々に対して、かつての私のように面倒くさいからマニュアル(上達論や方法論)を読まずに挑むと十中八九、玉砕しますよ!という老婆心ながらのアドヴァイスでもあります。

失敗したって、失うものはないじゃないか!!!と思う方もいらっしゃるでしょう。

その感性が既に前回のサブタイトルに挙げた、『努力は必ず報われる!』の成果です。そして、何じゃそりゃ!!!とムカッと来たならば、プラスそれも特定の反応が起きるようにご自分で鍛え上げられたというまたまた成果です(笑)

で、これが今回のサブタイトルです。自分で何らかの思考、感覚、感情、運動を行えば、それらは全て神経を駆使し発達させるわけですから、その使った(反応した)神経システムは他の神経システムより一段と優れた?反応を示すようになります。

つまり、ご自分がどういう思考や感覚、感情、思考を優位に使うかは皆さんのご自由ですが、それを使うことで、逆にそれらの神経システムにご自分も規定されてきますよ!ということです。

かつての私であれば、俺はこう思う!!!という自分の思考、感覚、感情に根ざした運動(行動)を絶えず行うことで、そうせずにはいられないという自分(神経システム)に育つということです。

ですから、怒りっぽい人は怒るという神経を他の神経よりもより発達させ、駆使するわけですから、その神経が成長するわけです。温和な方は何かあっても、まぁまぁ・・・と温和な方向へ反応する神経を育て、成長させているということになります。

ということは、自分はそう反応しちゃうんだから、仕方ないじゃないか!!!無理だよ!!!出来ないよ!!!やりたくないね!!!どうでも良いよ!!!関係ないね!!!などが口癖のよう方は随分とその方向に鍛え上げられた・・・ということになります。まさに打てば響く太鼓のように・・・反射レベル、DNAレベルで鍛え上げ、それが自分の人生を逆に規定しているわけです。まさにあちら(神経システム)の自由です(笑)

これが前回、例が少なく分かり難かったとは思いますが、エッセイ風に書くことの困難さなわけです。あちら(論理的思考)になるべく努力した結果、あちらさんが幅をきかせて、気ままに単に書くということが相当困難になってしまったということです。

これを古来、日本では『型』に嵌めるといい、日常用語レベルでは以前書いたように『三つ子の魂百まで』『孟母三遷の教え』でご紹介しました。

つまり、性格が肯定的であろうが、否定的であろうが、明るかろうが、暗かろうが、積極的であろうが、受動的であろうが、あるいは何の信念、信条、イデオロギー、宗教を信じようが、それらは自分の生まれた時代、国、地域、社会、家庭、教育などを原型としてその後の自己教育を重ねた(神経システムを発達させた)結果です。

そして、この中で唯一自力で変えうるのは、自己教育なわけですから、これにどう取り組むことで自分を成長させられるのかが大いなるテーマとなるわけですが、私はその中のほんの小さな領域(ヒマラヤ級)に登るマニュアルの話をしていきますよといっているわけです。

けっして人間(山)とは、人生(登山)とはとか、いかに生きるべき(山に登るとは、その意味とは)とかの大きなテーマで話をしているわけではありません。

もちろん、あるマニュアルをしっかりと読み込むと他の類似のマニュアルを読むときに勘が働きますから、多少の役には立ちます。スーパーコンピュータを動かせる人がパソコンやテレビを扱えない(動かせない)わけがないですよね。 ただ逆はまずは不可能でしょう(笑)

次回からは初回のものを取り上げて、上達論的な観点から検討していきます。つまり、マニュアルをもう少しよく読んでみましょうか・・・ということです(#^.^#)
【2011/10/10 18:41】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 21 努力は報われる!
いきなり涼しくなりましたね(^_^;)

皆さん、体調管理はいかがですか。

過去・現在・未来となるべく平易にエッセイ風にと心がけてきましたが、正直、私にはとても難しい書き方です。論理的に書くほうが今の私にはとても感性が馴染むからです。

今回から本来の応えるシリーズに戻るつもりですが、私自身の肩慣らしのつもりで、副題から入りましょう。

努力は報われる!と聞いて皆さんはどんな印象を持ちますか?

いろいろな感慨がおありでしょうが、私は若い頃は、よーし!!!頑張れば報われるんだ!!!と希望と闘志に溢れる言葉の一つでした。

今の私の心象は、おそろしい言葉だな!というものです。

皆さんは何を怖れるんだ???と思いますか。当然だと思う方もいらっしゃるでしょうか。

おそろしいという内容も人それぞれかもしれません。とりあえず、ここでは、私のおそろしいを説いていきます。

私は上達という言葉を度々使いますが、この言葉を眺めるとある方向性を表した言葉だと判ります。そう、つまり文字通り『上に達する!』というわけです。

では『上』とは何でしょう。それは『下』にあらざるモノですね。では『下』とは何でしょう。それは当然、『上』にあらざるモノです。つまり、『上』という概念は『下』というものが存在しない限り存在はしないモノです。逆もまた然り。

言葉遊びはいい加減にせい!とお叱りを受けそうですが、これは非常に大事でして、ここから判ることは、本来は上達には下達?という言葉が対になるはずだということです。

では『上』と『下』があるなら、『中』?は・・・となりますが、上達という枠組みの中で考えるなら、『中』は現在の自分ということになります。

つまり、今の自分『中』が努力によって『上』あるいは『下』という方向へ向かっていくということになります。そして、努力が大きければ大きいほど、激しいほど、長期間なほど成果?を挙げるというわけです。

つまり、何のために努力するのか?何を努力するのか?どのくらい努力するのか?etc.を厳しく問わないととんでもない事(方向)になりますよ!!!ということです。努力は必ず報われるのですから(笑)

これが私がエッセイを書くのに困難を感じる理由(構造)です。

さて、当初、お約束した全体と部分から次回はいきましょうか。
【2011/10/04 17:20】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
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