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疑問に応える 29 話の飛びついでに!
イメージの話と言いながら、ほとんど進まないじゃないか!と思われる方もいらっしゃるでしょう。私にはイメージの話なんですが(^_^;) まぁ、話が飛んでいるとして飛びついでに一つ二つ(笑)

このブログを読まれて様々な印象、感想、あるいは感覚、感情をお持ちだろうと思います。どういう感想や感慨を持たれても皆さんの自由ですから、読むだけでなく、ご自分のレベルでお役に立てていただければ私としては望外の喜びです。

ん?、以前、どういう感想を抱くかは・・・とどこかに書いてあったような?と覚えている方もいるかもしれません。私もどこかで書いたような気がするんですが(笑) 個々人のレベルではどんな感想、感情、感覚でも全然かまわないという話で、これを一般的という範疇で括ると違うものが見えてくるというわけです。

で、今回はその中の一つを取り上げておきましょう。こんな感想をというか感覚を持たれる、持たれてきた方もいるかもしれません。それは、何だかよく判らないが、読むと落ち着かないというか、不安感というか、不安定感というか・・・とにかく何だか釈然としないという感覚。

こういう感覚を抱かれた、襲われた方には讃辞を呈したいと思います。まぁ、私に讃辞を送られても嬉しくもなんともないどころか、あんたが惨事を送ったんだろう!と怒られそうですが(笑)

私ではなくモーシェが言っているとなると俄然重みが違ってきます。人の成長度はどのくらい曖昧なものを同存させておけるかが一つの指標となるらしいのですが、このブログを最初から読まれた方には自明の如く、私自身はまったく同存させることはできませんでした。自分好みに白黒ハッキリさせることしか、自分の感情が、思考が許容できないわけです。

ですが、世の中を見渡せば実はグレーゾーンだらけなわけでして、例えば皆さんが素直に世の中をありのままに見たいと思うなら、グレーゾーンを認めなければならないわけです。以前ご紹介した、上とは下があるから存在するとかというのは典型的な例です。

あなたの神は私には悪魔とか、あなたの正義は私には不正義とか、あなたの徳は私には不徳とか・・・etc.こんなことは挙げればキリがないでしょう。つまり、どちらか一方に決められるというのはある条件の範囲内の事であってその範囲を逸脱すれば、真理は誤謬に転化するわけです。

分かり易い例では、あなたが子供を連れて散歩していたら、ご近所の方にお父さん(お母さん)とお散歩?と子供がきかれてウン!と答えたらこれは事実であり正しいわけです。その時、お爺さん(お婆さん)が買い物から帰ってきました。ご近所の方があなたにお父様(お母様)が帰ってきましたよ!と言ったら、子供が違うよ!おじいちゃん(おばあちゃん)だよ!と言いました。さて、これは誰が間違いでしょう?

全部正しいわけですが、それでは子供は納得しませんね。つまり、立場によってモノの見え方は変わるということが、主観優位の段階の子供には理解不能で、感情的に自分の立場から絶対的に、自分の父(母)、祖父(祖母)、子供(自分)は決まっているわけです。

ですが、事実はあなたは、この場合、子供からは親ですが、自分の親から見れば子でもあるわけです。つまり、自分は親でもあるし子でもあるということが、この場合事実となります。自分の親が登場するまでは、子供の認識に矛盾は生じませんでした。ところが祖父母が登場した途端、自分の正しさが誤りに転化することになり、子供は自分の感情と感覚を正しいと主張したわけです。大人達はより大きな系から事実を見ているので、何の矛盾も感じませんが、子供にはその系が見えないし実感もないので承伏しかねるというわけです。

私のブログを読まれて、もしもこんな感覚を抱かれたとしたら、まさにご自分がより大きな系に気づき始めたということです。子供の世界の認識に留まる限り、何の矛盾も存在しませんが、大人の世界の認識に足を踏み入れた途端、自分の信じている世界、感覚が揺らぐことになります。より大きな系からこれらを眺められる、観る事ができるまではこの不安感、不安定感と共存しなければなりません。

ですから、この揺らぎに陥ったということは、実はさらなる世界の広がりへ足を踏み入れたということを意味するわけです。ですが、不安定感は不安感、不安心に結びつくので、人は既定路線(自分のこれまでの世界)に戻そう(戻ろう)とする傾向が強いわけです。

親でもあるし子でもあるという程度なら見れば判りますが、そうでないものは本当に判りづらいです。ですから、その段階だなぁと感じられた方には、次ぎの言葉を贈ります。流れに安んじる・・・『安流』です。つまり、サーフィンのように不安定さを楽しんじゃうということです。

不安定、不安心だから自分の既成概念に戻って安定、安心しようとするのではなく、未知のモノ(感覚)へ飛び乗ることをワクワクして楽しんで、安流に生き続けてみればということです。

言うは易く行うは難し!ですが、こういう感覚に襲われたということはまさにチャンスなわけです。どうせなら、楽しんじゃえ!というのが自分で悪戦苦闘しながら得た感想です(笑) 過去に戻ってもいいですが、そうすると手に入れたいモノがすり抜けていくという体験をいっぱい重ねられますよ(笑)

どんな感想・感慨・感覚を抱いてもかまわないけど、そうとも言い切れない・・・つまり、各個人レベルから見れば何でもいいけど、一般的な成長段階から見ると例えば・・・といった話をしましたが、イメージが湧きにくいでしょうか。

次回は、前回の続きといきましょう!!!
【2011/11/24 17:10】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 28 続・イメージの話一つ二つ
前々回のイメージの話の続きですが、せっかくですから山田先生から伺った印象に残っているイメージ(とも関連している)の話も一つ二つしておきましょう。

山田先生は若い頃、家庭教師のアルバイトをしていたそうですが、その頃、催眠術に興味を持っていて自分の生徒に催眠術で成績が上がらないか実験していたそうです(笑) 

睡眠学習の枕とか、私の同世代の方は雑誌や漫画の裏などで広告を見たことがあるでしょう(笑) 私の友人がそれを買って試しましたが、効果がないと私にくれました。私も試しましたが、効果どころか硬くて高さも合わず、すぐに諦めました(苦笑)

そういえば、サジェストペディアなんてものもありました。右脳を使うとかで、私もやろうかと思いましたが当時高かった記憶があり、諦めたような(笑)

まぁ、この手の事は時代の走りでしたから、劇的な効果を期待する風潮がありましたが、今時、似たもの(能力開発法)に対してそんな過大な幻想を抱く人はいないでしょう。

催眠、睡眠から話題がズレましたね(^_^;) 

先生が生徒に催眠術をかけているとある日、宇宙人から彼(生徒)を通してコンタクトがあったそうです。その宇宙人が住んでいる惑星は地球から5億光年ほど彼方にあるそうですが、意識の世界ではすぐそばにあるのだそうです。

先生が何故アクセスしてきたのか訊いたところ、その宇宙人曰く、彼の脳には幼少の頃、病気だか怪我をしたかで、ある物質が欠損していてそこからアクセスできるとのことでした(正確な言い回しは忘れてしまいました(^_^;))

意識、特に超意識の世界ではこちらとは時間軸が異なり、距離もまったく違ってくるそうですが、面白いのは地球界が物質的である以上、どうしても物質の影響を色濃く受けるということです。先生は誰でもこの宇宙人にアクセスできるのか?と訊くと不可能ではないが、地球人の一般的な脳の構造上、彼のように特殊でない限り通常は不可能だろうとのことだったそうです。

そういえばモーシェも心臓にある種の欠陥がある人はマラリアに罹らないといってました。仮にマラリア(のような病気)が爆発的に蔓延したら、健常者ではなくその欠陥がある人たちだけが生き延びる可能性があるわけです。

つまり、劣っていることは不利とは限らず、優れていることは有利とは限らないわけです。状況が変化すれば真逆になる可能性もあるわけで。前回、同じモノが180度変わるという例えでもお話しましたね。

ですから、現在、何らかの障害を抱えて転生している方は確かに今の時代では障害者と呼ばれますが、時代が激変すればその方々こそサバイブするかもしれないわけです。たとえばそのほうが高レベルの意識によりアクセスしやすいかもしれないわけですから、落胆する必要もないかもしれません。今は激動の時代です。むしろ健常者こそ、たまたま今だから自分は健常者と思っていられるくらいに考えておいたほうがいいでしょう(笑)

さて、こういう経験をした山田先生はここから精神世界へとさらに歩を進めて行かれるわけですが、その手段として福来心理学研究所に勤めたそうです。

山田先生は理工系の頭脳の持ち主であったので、文系の私には難しい話も多々ありましたが、自分から超意識へ上っていく方向とそこで見聞した智慧をいかにこの世界へ下ろすかという両方の道を追求されていました。ヒランヤ(六芒星を象ったもの)や大月のピラミッドは山田先生のアイデアを生徒さんたちが具現化したものです。

ヒランヤやピラミッドに関しては面白い話を思い出しましたのでいずれご紹介しましょう。

さて、山田先生から伺ったイメージの面白い話は月の裏側を念写した三田光一の話です。

三田光一の生徒の一人が胃を悪くして彼に何か良い方法がないかと尋ねたそうです。三田は彼に温泉は好きか?と聞き彼が好きだと答えると、では毎日大好きな温泉に入っている想像(イメージ)をしろと言ったそうです。

彼がイメージをして温泉に入っているといつの間にか胃の調子は良くなってしまったそうですが、好きな湯治場で温泉に入るイメージをするのが気持ち良く、楽しくて毎日通って?いたそうです(笑)

しばらくして、いつもどおり大好きな旅館に行き、暖簾をくぐると、いつもの見知った女将ではなく知らない人が出てきたそうです。いつもの女将は?と訊くと自分が女将になったと答えたとか。まぁ、温泉には支障がないからそのまま変だなとは思いつつもそのまま続けていたそうですが、それ以来、以前の見知った女将は出てこなかったそうです。

ある日、旅行でその湯治場の近くに行くのでついでにと久々に行ってみると、なんとそのイメージで新たに出てきた女将がそのまんま出てきてビックリしたそうです。訊いてみると、ちょうどイメージの中で前の女将と変わった頃に実際に交代したのだそうです。つまり、イメージの中での現象というより、現実の変化をイメージでキャッチしてイメージが影響を受けたわけです。

先生曰く、イメージがリアリティ度を増せば、胃を良くするだけでなく、もっと予知とか予見とか高度な能力と結びつくからやったほうがいいよ!との事でした。

のみならず、シンボルやある種の記号などを使った、例えばヤントラ(神聖な形、神聖な幾何学)瞑想はヤントラのイメージを使って高次の世界、意識にアクセスするからイメージ能力を開発しておかないと難しいとも(^_^;)

今の私はやっと温泉レベルです(笑) 当時はリアリティもなく、想像するより行っちゃったほうが良いじゃないか!と、実際に波動の良いところを巡ってドライブしていた日々でありました(笑)
【2011/11/17 23:01】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 27 多義的、多元的
前回の『近くて遠い』から『遠くて近い』へ!は、分かり難いと思いますので、少し脇道に逸れて考えてみましょう。もちろんイメージ能力とも密接に関係してくるので本当は本道なんですが(笑)

近いとか遠いという言葉は一般的、抽象的な言葉なので、何を基準として使っているのかを把握しないととんでもない誤解・曲解を生じます。距離や重さ、血縁関係など具体的で客観的なものは間違えにくいですが、例えば『私とあなたはフィーリングが近い』などの感情や思考など目に見えないものや主観性が強いものは、当然誤解・曲解のオンパレードとなります。恋愛感情とか一目惚れなんて典型的でしょう。こんなハズじゃ無かった・・・と誰しも経験しているでしょうから(笑)

恋愛談義となると俄然食いつきの好くなる方もいるかもしれませんが、個人的な感情を強烈に伴う話なので、喩えには不向きですから、今回は止めておきます。ただ、論理が読み取れる方は、実に興味深いと思います。恋愛が仮に辛かったとしても素晴らしいモノと言える側面があるのは、生物の進化や絶滅、古今東西の国々の栄枯盛衰とも関連する壮大な事象に繋がっているからなんですが・・・。まぁ、壮大な話はともかく、向き合い方一つで、お互いの革命的ともいえる著しい進歩発展にもなれば、権力闘争や共倒れの巷に溢れているよくある話ともなる代物です。

さて、ちょっと脇道に逸れて抽象的でしたので、今回のサブタイトルの具体的な話に入りましょう。

つまり、近いとか遠いというのは、一般的、抽象的な言葉なるが故に、使う人によっては当然、多義的・多元化してくるということです。

前回の私の例えでは、音楽をハートで聴けるようになりたいとか、もっとそういうレベルを上げたいと一生懸命SMCや瞑想講座に出て(近く)いてもちっとも能力が上がらず(遠い)、諦めて(遠く)太極拳やフェルデンクライスに地道をあげていたら、いつの間にか求めてもいないのに判る(近づく)ようになっていたということです。

もちろん、各々の近い、遠いという言葉は次元が違うこともお判りいただけると思います。

これに気づくキッカケとなったのは、太極拳を習っている時でした。先生は中国人でしたから、片言(変な?)の日本語、英語が飛び交うことになるわけですが、意味がよく判らないから必死になってボディーランゲージを含めて先生の言うことを理解しようとするわけです。先生の日本語のボキャブラリーが乏しいのですから、易しい日本語が多義的、多元化せざるをえません。つまり、言葉の意味どおりではなく、先生の真意を言葉から読み取ろうと必死になるわけです。

たとえば、先生が『まぁまぁね!』と言ったとき、当初は言葉だけ聞いていたのでそこそこOKだと思っていたら、後に、本当の意味は『ダメだけど頑張っているし、めんどくさいからそれでいいよ!』というニュアンスだということが、顔色を読めるようになってハッキリとわかるようになりました(笑)

ですから、『まぁまぁね!』と言われると当初は喜び、後には落胆と意味が180度変わるようになったわけです(苦笑) 同じモノが180度違う・・・考えてみれば、こんな事はよくある事ですが、問題なのは自分は真意を掴めているのかということですね。例えば、田中角栄氏のイエスは『よっしゃ!よっしゃ!』、ノーは『わかった!』といのは有名です(笑) これで明日、飯が食えるかどうかの死活問題になった土建業者の方もいたでしょう(^_^;)

さて、先生とのやり取りで何故自分でいろいろ気づくようになったのかということですが、答えは簡単で、先生が判った人のほうへ振り向いて話しかけるからです。当初、私は耳で言葉を聞いて自分の頭の基準で文字通り判断していたので、先生の真意とずれていても気づかず、先生は真意の判る生徒のほうへ振り向いて話すわけです。これが頻繁に続いて、初めて先生は何で嬉しそうにあっちを向いて話す、同意を求めるのだろう?と疑問がやっと浮かぶほど私は下根だったわけです(苦笑)

コミュニケーションですから、単に単語を羅列しているわけではないのは当然です。真意の判らない人と話てもつまらないのは人間である以上当然なわけです。ですから、私の当初の感情としては、嫉妬心や疎外感がまず先に走り、何故、自分がそういう扱いを受けるのかには思い至りませんでした。自分だって一生懸命なのに差別されている気がするわけです。先生は差別なんてしていないんですね。単に私を自分の真意が伝わらない人間と区別していただけで(笑)

要するに相手が何を望んでいるのか?よりも自分の望みが優先で相手の思いにまったく至らなかったわけです。私はコミュニケーション能力なんて望むどころか、考えもしなかったのですが、太極拳に惚れた弱みで教えてもらうために強烈に相手(先生)の事を分かろうという感情と情熱が迸ったわけです。そして、今はお陰様で少しは顔色が読めるようになった、相手の気持ちに共感できるようになったというわけです。つまり、惚れたモノを振り向かせるためには自らが変わらなければならなかったわけで・・・ねっ!恋愛に似てるでしょう(笑)

そして、実はこんな事は前回の山田先生との話でも太母さんとの話の中にも頻繁にあったのです。当時は全然気づいていないだけで(笑) それはある話になると何故かそちらを振り向いて話たり、お互いに微笑んでいたりするわけです。要するに、私はそこにいたけど、そこにはいなかった!ということです。例えば、前回、チラッとご紹介した鳥居での場面があるでしょう。あれと同じ理屈です。

つまり、相手からどれだけのモノを引き出せるのかは、自分次第だ!ということが、解る人は一瞬で判ることを長い年月をかけて学ぶほど私は下根だったということです。

これに気づきだしたら、世の中、結構、意図的、無意図的にこれが行われていることに気づいて改めて愕然としました(笑) つまり、言葉の上では理解してそこに自分も同席しているつもりでも、実はこちらには感知不可能な頭越し外交?のような事が同時進行しているというわけです。まぁ、当人は気づかないのだから、幸せといえば幸せですが、圧倒的な情報格差と選択できる行動の幅に違いが生じますから、後にこの差に気づいた時には何で???同じ人間なのに!同じ事をしたのに!とつぶやく?うめく?事になりますが、実はこれが、山田先生が言いたかった鳥居の話の内実の一端だと気づくには何十年とかかったわけです(笑)

世の中には一を聞いて十を知る!ような人もいますし、今の私にはまったく理解不能なお釈迦様と摩訶迦葉(まかかしょう)の拈華微笑の話も内実はともかくも、過程に着目すれば理解できる部分もあります。

つまり、自分に拘っていては決して相手の事を理解できるようにはならないし、理解できるような自分(能力)も身につかないということです。

これが、古来、いろいろな言われ方をしてきました。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ!とか古い革袋に新しい酒は汲めぬ!とか、損して得とれ!とか、結婚とは大いなる犠牲である!というのも内実に踏み込めばまさにその通りでしょう。ほんと、犠牲だわ!と後に感慨を漏らすようになるかどうかは自分次第ですが(笑) まぁ、恋愛はスイートな部分で隠されているので、気づきにくいだけで、同じですね。う~ん、もう少し早くこの手の道理を知っていれば(爆)
【2011/11/10 18:56】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 26 『近くて遠い』から『遠くて近い』へ!
こうして書き始めると、ふと昔の事を思い出すものです(笑)

前回は恒例となってしまう私のお粗末話でしたので、せっかくですから目を輝かせたほうの話もしましょう。いつの日か、山田先生やその周りの凄い方々のようになれるのかと期待に胸を膨らませて、幾星霜、既に先生の歳に近づき今になって悟ったのは私とは距離がありすぎるということです(笑)

先生は当時、高尾に住んでいてSMCの講座を開いていたのですが、初めて伺ったとき、断食3日目か4日目の最中で、えらい苦労した記憶があります。私の家から東京を横断していくので邪気をモロに受けるんですね。3日目くらいは一番キツイ時ですから、ぶっ倒れそうになり着けるかなと思うほどでしたが、高尾に近づくと、不思議な事に綺麗な気が身体に流れ込んできて元気一杯、高尾山って本当に凄いんだなと思いました。だから山田先生が住んでいるのかなと(笑)もっとも、普段行くとそれほどとも思えないので、断食で一過性に敏感になっていたのでしょね(笑) 

何でそんな時期に受けるのかと思われるでしょうが、先生は頻繁に講座を開くわけではなかったので、偶然、友人からあるよ~と聞きチャンスとばかりに問い合わせたら、これまた偶然、受講できたのです。なんせ、先生の講座は人気があったのですぐに埋まってしまってましたから。

で、行ってみるとこれが凄い。今でこそ精神世界コーナーで当たり前に目にするような話が、SMCの枠を超えてガンガン体験談とワークで展開するわけです。そして異様な雰囲気(磁場)(^_^;) SMCってなんて凄いんだ!!!と自分は何にも体験がありませんでしたが、感動しまくりでした(笑)

ところが、今日のSMCは凄い!とアシスタントの方や再受講の方々が驚いているわけです。いつもとはまったく違うと(^_^;) 精神世界の知識がない方は何だか全然分からない(>_<)とぼやいておりました。

私はこんなに凄いんなら、次回も是非受けなきゃと再受講してみてハッキリわかりました。確かに前回は別格だったと(笑)前回は凄いメンバーが何人かいらして、その方々に合わせて先生がぶっ飛んでいっちゃったんですね。普段のSMC(これが普通)があまりに淡々と拍子抜けするように行われるので、ちょっとガッカリ(笑)

その凄いメンバーに高野山からいらしていたお坊さんがお二人いて、一人は後に太極拳で再会することとなり、もうお一人は今はここで住職をされているようです。この方は当時から凄い法力の持ち主と言われているような方でした。このお二人が一番前で先生の真ん前にドカッと座っていたので、後ろに座っていた私には後光が射しているいるようでした(ピカピカ頭光ってますし)(爆)

こうして劇的な体験だったため、しばらく高尾には遠路通うことになります。山田先生はSMC以外に瞑想講座や数秘学の講座もたまに開いていたので、幾つかの講座には参加しました。また、瞑想関係の人にとっては先生は知識のみならず実力の高さにも定評がありましたから、結構、いろいろな人が来ていたようです。中国武術の第一人者で、チベット僧籍も取得した松田智氏もいらしていて、私が風邪でキャンセルした講座に来てたよ~と友人に言われた時にはもの凄く落胆しました(笑) まぁ、今はそれで好かったと思っているんですけど。私は武術向きの人間ではないので、かえってツイてたという事です。もしも、会っていたら、のめり込んでいたでしょうから(笑)

さて、ある講座の時、早く着いて部屋で一人待っていると、部屋の隅に高さ70~80センチの木彫りの像が置いてあるのに気づきました。というより、目が吸い寄せられたというのが正しいですが。静かにその像の前に座っていると何とも言えない素晴らしい雰囲気が醸し出されているんですね。

ふと人の気配を感じて振り向くと山田先生が微笑みながら立っておられ、私に凄いでしょうと言いました。私は無知で何も知らないので、この人誰ですか?と伺うと、『修験道のスーパースター、役行者だよ』と教えてくださいました。

さらに、『今、君は凄いと像を見て感じていたけど、本当はそれだけじゃ、もったいないんだよ!』 『みんな仏や神の像を拝むけど、像の世界へは行けないよね。実は本物の像は入り口になるんだよ。祈りは像を対象としてその世界を憧れ、救われようとするでしょう。でも、本当はその世界(次元)に入ってそちらからこちらを観る事もできるんだよ。それが瞑想なんだ。』 『神社でもみんな何気なく鳥居をくぐるでしょう。でも、あれも入り口だから、あの瞬間、肉体はここにあっても意識は高次元に行けるんだよ。だから、一緒に神社に行っても一緒とは限らない(^_^)』 『役行者ほどの人は肉体の波動も意識に引っ張られてその次元に行っちゃうんだね。我々には困難だけど意識だけなら可能だよ。SMCでイメージ使ってやっているでしょ。あれを使えばいいんだよ。』

ちょうどその時、何人かの人達が入ってきて話はここで終わりました。

ほぼ、こんな展開でしたが、呆然としながらウットリして話を聞いていたので、いつかはそうなれるのかなぁ~♪とワクワクして終わりです。未だに遙か遠き道です(笑)

さて、この先生の話も今なら質問が幾つも出ますが、当時の私には到底無理。それに、今回はイメージの話、それも良い方の思い出話ですから、その検討はいずれとして、今回のサブタイトルについてですが・・・これはざっくり言ってしまえば、登山ルートの違いで、山頂に行けるかどうか、あるいは容易いか困難かの違いが大いにあるという事です。

次回は、異次元?の波動について思い出したので一つ二つ(笑)

【2011/11/03 18:30】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
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