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いよいよ2012年ですね~♪
いつの間にやら師走・・・今年は格段に時の経つのが早い!と実感されている方も多いでしょう。私もそんな一人です。

去年の暮れには、各教室で今年は後から振り返れば良い年だったと思えるような一年で、来年は激動の時代の幕開けとなるよ!と話していたことが懐かしく思い出されます。

予見どおり、日本のみならず、世界中で激動の年となりました。さて、来年はどうなるのでしょうか・・・

変化というものはあるところまではなだらかに変化し続けますので、なかなか判りにくいのです。例えば、上達一つとっても上手くなっているのか、ひょっとしたら下手になっているのではと思えることも多々あります。と思えば、あるとき急激に上達したり・・・

ですから、生徒さん達には3歩進んで2歩下がりながらの1歩ずつの上達だよ!と時折話すのですが、早く上達したい方ほど右の耳から左の耳のようです。これも、自得(実感)が必要なのでしょう。

車でも止まっている状態から動かすまでは、大変な馬力が必要ですが、走り出してしまえば、慣性の法則が働きますので、たいして馬力はいりません。上達もここまでもっていくのに忍耐心がいるのですが、その前でだいたい諦めたり、努力(感)の割りには成果が少なかったり見えなかったりして、飽きてしまうものです。

ということは、一端、変化が始まれば(実感できるほど大きくなれば)その方向に向かって怒濤の如く激変する可能性があるわけですから、是非、諦めずに(笑) 

ただし、運転なさるのはご自分ですから、ハンドル操作やアクセル、ブレーキの操作、車のメンテや現地の情報の把握など他のファクターも重要ですね。自宅でナビを眺めているうちは幾らでもシミュレーション出来ますが、出発してしまうと、それも、かなり走ってしまうと、間違えた場合大変です(笑)

さて、理屈っぽい私の文章に辟易された方も多々いらっしゃるでしょう。改めまして、この年の瀬までお付き合いいただきありがとうございます。

来年も一層理屈っぽく展開していくと思いますが、お許しくださいませ。

ただ、急ぎ弁明させていただくと、私は別段、理屈が好きなわけではありません。むしろ、本来は気分任せで、我が儘の、感覚的なタイプです。

ただ上達を考える場合や指導の際のコミュニケーションにおいて理屈(道理、論理)は他の方法に比べて現時点では汎用度が高く、有効だから採用しているだけで、例えば、テレパシーとか以心伝心で直接相手の脳(身心)に伝達できるならこっちを採用します(笑)

そんなことは、今の私には夢のような話ですから、論理性を高めて、さらに汎用度を上げていくことを追求していくことになるでしょうということです。

でも来年はせっかくの巷で騒がれて?いる2012年、5千年周期と言われているマヤの暦が一端終わるのですから、何か面白い事が起きないかなぁと若い頃のように久々にトキメキが燃え上がります(笑)

論理性からは離れられませんが、来年はもう少し、不思議ワールドに意識をフォーカスしてみようかな。イメージ(≒思い込み)しているとチャンネルが繋がりやすくなりますから(笑)

というわけで、激動の幕開けの今年もあと僅か・・・来年からはいよいよあらゆる領域に亘る本格的な激動の時代となるでしょう。

様々に起きてくる現象に捕らわれずに、現象を引き起こす大きなうねり(エネルギー)に意識をフォーカスしてそのエネルギーを自分に取り込んで活用してみれば、ひょっとすると想像以上の飛躍も可能かも?とイメージしてみては(笑)

皆様も素敵な2012年を(まずはイメージして)お迎えください~♪
【2011/12/22 18:50】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 32 同一視・・・一つ二つ
前回の同一視はイメージが湧いたでしょうか?

例えは実感しやすい?感情レベルのものを前々回の流れから挙げました。今回は違うことを書こうかと頭を過ぎっていたのですが、同一視の思考レベルのあまりにもお粗末で分かり易い例があったので、ついでに一つ二つ。

同一視は、別に感情レベルとか肉体レベル、思考レベルとか明確に別れているわけではなく、当然、複合的なものです。ただ、個人によって比重が違うだけです。

この同一視は特定の反応の仕方が長期に続いた結果、いつの間にか、自分と一体化してしまうまで浸透してしまうことがほとんどでしょう。一番顕著なのは、習慣とか躾け、育ちや教育などでしょう。特に、幼少の頃からのものは、自我が形成される前に獲得してしまいますから、習得(習慣)過程が無意識な分、気づくことは至難となります。

ところでサーカスで象に芸を仕込む時に、子象の足を縛って、杭に括り付けおくそうです。こうすると最初は自由になりたくて散々暴れますが、何度やってもロープは切れず、杭も抜けないため、しばらく経つと諦めます。大人になって杭を抜く力があるにも関わらず、抜こうとはしなくなるそうです。何百、何千と繰り返して無駄とむなしさ?を実感して諦めてしまうのでしょう。つまり、事実は大人の力のある象にも関わらず、当人?の心理?は自分の力では所詮抜くことは不可能という観念が植え付けられるわけです。つまり、自分の力は子象なみ!と同一視する(させる)ことに成功するわけですね。

さてバブルがはじける頃、刑務所に経済犯が増えた時、刑務所内に不思議な光景が現れたとか。通常、刑務所内の序列は肉体的な力、その筋の方が上位になるわけですが、経済犯は何故か、入所前の肩書きで序列が出来たそうです。刑務所に入る前は、○○会社の部長とか××会社の専務とかで序列が決まる・・・真に奇怪な光景です(笑)

そもそも、刑務所に入ったら(もちろん出所したらなおさら)、以前の会社や役職なんぞ何の価値もなければ拘束力もないのに、中に入ってまでサラリーマン根性から抜けられないわけで。象以下の頭と堕しているから無理もないですが、当人達は刑務所の中で、まだ会社や肩書き、役職ごっこをやっていることに気づかない(苦笑)

気づけば真に愚かなわけですが、当人達が共同幻想を抱いているわけです。会社や肩書き、役職にそこまで同一視していくわけですから、見上げたモノともいえますが、そんなものに自分を同一視するほどの価値があるのかどうか(笑)

さて、塀の中の事ならば笑い話で済ませる事も出来ますが、同一視が他人を巻き込んでとんでも無い事を引き起こすことも多々あるから、このブログでも取り上げるわけです。

今回の原発の事故は想定外と散々、政治家や御用学者、マスコミが言ってきましたが、今となってはこんな事を信じる人はいないでしょう。

つまり、事故は起こるべくして起きたし、このままでは確実にまた起こる!という戦慄すべき事例です。

私はたまに頭の良い人達の驚くべき頭の悪さ!と皮肉を込めて書きますが、頭の良い人達は影響力が大きいのだから当然です。

自己を自分の信念、思想などと同一視どころか、それらに完全に取り込まれてしまっていて、普通の人間としての感性を完全に育て損なった人達です。馬鹿は死ななきゃ治らない!と言われてますが、こういう人は死んでもダメでしょう。

まぁ、より客観的に眺めたほうがよろしいと思いますから、こちらをジックリ読んでみてください。

こんな人達が意気揚々?と、意気軒昂?に原発バンザイなんですから、また必ず事故は起きますよ(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

さて、愚かな話はこのくらいにして、同一視は避けがたいのか?と考えられた方もいるでしょう。私は避けがたいと思って(実感して)おります。

昔はどうやって同一視から抜け出すのか?と考えたものですが、同一視している実感がないのですから、どうすればいいのかサッパリ分からず(^_^;) で、実はずうっーとほったらかしだったわけですが、別の角度から眺めてみると有効利用?できないこともないという事に気づきました。

つまり、自分が何と同一視しているのか分からない、実感がなくて、抜け出し方が分からなくても、より優れた同一視(している人)が見えたら乗りかえちゃおう!ということですね。もちろん、相当な努力は要りますが、見えますから何とかなります。

今の自分には分からなくても、後に分かるという体験は誰しもしますね。つまり、今の自分の能力で抜け出せないなら、将来の自分に任せちゃえば良いというわけです。では、将来の自分は能力が上がるのだろうか?という問いが次ぎに続きます。答えは上がる人もいれば下がる人もいる!というものでしょう。停滞も今のままで、解決不可能なんですから、下がるでOKです。

とすると次ぎの問いはではどうすれば、上がるのか?ですね。それは答えは簡単で、自分より優れた人から学ぶ(真似ぶ)でしょう。自分でダメなら他人しかありません。

すべてとは言わないまでも、可能な範囲で優れた方々から学べば、例えば3年後の自分は今の自分ではなくなります。今の自分では解けない問題も3年後の優れた別人?の自分ならば解ける可能性が出てくるわけです。

つまり、優れた人達と同一化(客観的に気づいている可能性が高いので同一視とはいえません)していけば、自分でありながら、自分でなくなり、結果、優れた自分になるというわけです(笑)
【2011/12/15 22:46】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 31 自己イメージ
今回はちょっと脇道に逸れます。もちろん、サブタイトルにあるようにまったく別というわけではありませんが、視点を変えて見るということですね。

前回の最後に『自分』という感情から離れてと書きましたが、考えてみれば『自分』とか『私』というものは非常に曖昧なものですね。古来から『私』というものが何なのかを知ろうと哲学や宗教を筆頭に様々な観点から考察されてきました。

現在は哲学的観点や宗教的観点のみならず、生物学、医学、心理学、社会学など様々な観点から人間とは何か、そして、自我、すなわち自分とは、『私』とは何かということが探求されているのだろうと思います。

さらに、上記のような人間一般の視点のみならず、個別的、すなわち個々人のレベルで考えてみれば、自分、すなわち『私』って何?『私』って誰?というごくありふれた問いを誰しもが抱いたことがあるでしょう。

自分の中にはたくさんの自分がいて、どれが本当の自分かわからず、時には同時に幾つもの自分が出てきてしまう。そんな体験は誰しも持っているわけです。

肉体レベルを自分と同一視している人もいれば、感情レベルを自分と同一視している人、思考レベルを自分と同一視している人もいます。

さらにこれらを相対化してメタな意識で客観視している意識を自分と同一視している方もいますし、メタ意識を含めて、これらは自我の一形態に過ぎず、本当の自分は魂、真我(アートマン)であると考える人もいます。

ことほど左様に自分とは、すなわち『私』とは様々な種類、段階があるわけで、私が前回、『自分、自分という感情』と書いたのは『自分』という内実はこれほどに多様性があるので取りあえず脇に置いて、平均的な人が抱くであろう『自分』に対する『感情』を脇に置いてみれば・・・メリットがあるかもしれませんよ!ということだったわけです。

つまり『自分』を我慢?犠牲?にして相手、他者を優先させたらと言っているわけではないのです。

自分、すなわち『私』の内実は個人的には実に興味深いですが、これを考えてみても実感(感覚)を伴わなければ、単なる知識、言葉遊びになってしまいます。

私は合理的にモノを考えるのが好きなので、これらは関心はありますが、今はあまり深く考えません。理由は上記したように感覚を伴わなければあまり意味はないと思っているからです。

以上の『自分』、『私』という内実は問わないとした前提で、その『自分』に対する感情や思いを問う、考えることは人生を改善する上で効果的だろうと考えるわけです。もちろん、『私』という本丸を落とせれば、そのほうが格段に素晴らしい結果を生むかもしれませんが、本丸は守りが桁外れに堅いですから(笑)

さて本題です。

誰しも『自分』を向上させたいと願うものですが、実は『自分』『自分』と『自分』を大事にしているようでいて、本当は自分、自分という『感情』を大事にしていることにすり替わっていないのだろうか?ということが前回の最後の問いかけでした。

前回(もちろんこれまでのブログも)のブログを読まれればすぐに判るように、私は自分を成長させたい、自分の能力を上げたい、すなわち自分のレベルを上げたいと願って、山田先生をはじめ、様々な能力開発法などに手を出したわけです。ですが、自分の期待通りにならないどころか、むしろ、悉く逆の結果を生んでいます。

本来であれば、ここを問わなければならないわけですね。何故なのか?と。ですが、自分のスタイル(思考や感情)でまた同様に新しいモノに取り組み、似たような結果となり、失望して、別の何かにまた希望を持って・・・と、延々と同じパターンを繰り返していきます。

これは、私がよく使う例え、A夫に懲りた女性が、今度は違うタイプといってB雄を選び、やはり別れてC男を選ぶ・・・のように本人は相手を変えていくので、別人を選んでいるつもりでも、他者が見ればまた同じような奴を選んで・・・と見えるあの現象と類似の構造をしているわけです。

本人は今度こそ新しいつもりでも、毎度、古いモノを確実に選ぶ・・・まるで100枚の宝くじに当たりが99枚あり、一枚だけハズレなのに、見事な精度でこのハズレを選ぶような能力の高さ?です。まぁ、本人にはこの一枚だけが光り輝いて見えるのだから仕方ないでしょうけど(笑)

つまり、『自分』を高めたいと本気(これは本当でしょう)で言っておきながら、実は無意識ですが、自分を高めたいという『感情』を自分は愛しているんです(笑) だから、自分の『感情』が気にいることは耳を傾けたり、やりますが、『感情』が気に入らなければ、『自分』は嫌だと言うわけです。本当は自分の『感情』が嫌なのに。

本気で『自分』を高めたいならば、『感情』を優先させるような愚かなことはしないはずでしょう。でも、『自分が大事という感情』が迸るならば、本人は『自分』ではなく自分の『感情』を大切にしているんですよ。私は別にこれをダメだという気は毛頭ありません。何故なら、感情を大切にされているのですから。

問題は『感情』を大切にしているのに、『自分』にすり替わっていることに気づいていますか?ということです。わかって(実感して)いてやっているなら、これは生き方の問題ですから、私がとやかく言う筋合いではないのは当然です。

つまり、今度こそ、A、B、Cとは違うとご本人が思い込んでいるD太やE吉やF助を持ってきて相談されても、こちらからは、あれだけ殴られて痛い目に遭ったのに、また乱暴な男の中から選ぶの?としか言いようがないということです(笑)

まぁ、気づかない限り、Zまで行ったって同じですね。私が『自己啓発』とか『自己変革』、『能力開発』とか『成長』の名の下に取り組んでいたのは、それに向かって突っ走る『充実感』・『感情』を愛していたというわけですから、『自己啓発』しちゃったり、気づく『能力』が本当に上がっちゃったら、愛するものを失うことになるというわけです(笑)
【2011/12/08 17:54】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 30 クール!
前々回で幾つかの過去話をしましたが、そのうちの幾つかは山田先生経由でした。ある意味能力開発法のご紹介ですが、面白いのは、奨めているようでいて奨めてないんですね(笑) もちろん、当時はまったく気づきませんでしたが。

山田先生はご自分の明確な立ち位置を持っていて、必要ならばそれらのツールを使えばいいが、必要ないなら、執着しないほうがいいという感じです。

何故かというと、例えば形というのは形特有の力を持っていて、その形を取ると次第に自分の意識がその形に感化されてくるわけです。刀は鉄の塊ですが、あの形を取ると切ってみたくなり、銃もやはり鉄の塊ですが、あの形を取ると撃ってみたくなるわけです。

誰もが影響を受けますが、好みならば一段と強く影響を受けますし、その気が無くても、持っているとふと使ってみたくなるわけです。さらに別のモノに触れてみたい、集めてみたいとなっていくと抗しがたい魅力になっていきます。

そしてこれはモノや金、権力などに限らず、知識、能力も同様です。つまり集まる(集める)とさらなる吸引力が働くようになります。

たとえば、ヒランヤをお弟子さんが作った時、最初は役に立つよと言っておきながら、似たような形を次々に制作しだしたら、イメージが実際リアルにできれば別に必要ないんだよね。と言ったり。お弟子さんがせっかく作ってくれて、我々も役に立つから良いのに!と不思議に思いましたが、その後会社を作られ、会社を大きくすることが目的となっていき、次第に様々な形のヒランヤを生み出すことが目的となっていったように見えました。

もちろん、ご当人は精神世界を世の中に広めるためで、そんな気はないかもしれませんが、外からはそう見えるようになったということです。山田先生はですから、モノの力、形の力、そして形のないもの、能力ですら客観視していたようです。特に、当時はスプーン曲げなど超能力というものも一世を風靡していた時代です。この能力を求めると悟りとは関係ない魔境に落ちやすいというようなこともおっしゃっていました。

こういう時の先生はもの凄い透徹した眼差しで射貫くような目で見つめるので、内心、アッ欲しい~~~~!と思ったのがバレたと焦ったことも度々です(笑)

先生はモノであれ、能力開発法であれ、何でも使いたければ使えば好いが、それに使われるな!取り込まれるな!という立ち位置が明確な方でしたから、取り込まれ出すとさり気なく諭しますが、無駄だと判断すると意識の深いレベルでバッサリ繋がりを切ってしまうようでした。ですので、何となく遠ざかっていくんですね。自分から、自然と(^_^;)

これは私の主観ではなく、ご本人も直接仰っていました。マインドを使いこなす時、良い縁を作るために有効に使えるけど、悪い縁も深いレベルで切るのにいいんだよね~♪と。にこやかに笑いながらポロッと呟くのでその時はこちらも釣られて笑ってましたが、考えてみれば怖いわけで(笑) まぁ、当時は切られるのは他人事のように聞いてましたから怖いモノ知らずでしたが、今となっては私も切られた口かも(笑) でも自覚がないので、何ともないし、平和なものです。つまり、別段、誰かが不幸になるわけでもなく、むしろ、みんな自分のレベルで、適した場所で成長することになるわけですから、丸く収まるわけです。ただ、先生からすればもう少し頑張っていればもうちょっと上に行けたのに・・・残念!といったところでしょう(笑)

先生は高いレベルの悟りを目指しておられたでしょうから、素晴らしい手段や方法に出会っても、それらはあくまでツールの一つです。それらに夢中になることはありません。自分の目的、目標をハッキリ自覚しておられました。

私はそこら辺があまいので、先生が奨めたものはすぐに悟りに役立つと勝手に曲解し、手段、方法に夢中になっていきました。

気をつけなさいよ~!!!と散々言われたにも関わらず、まったく無視(もちろんその気はありません。結果的にです)でした。

先生は優しかったです。何度もさり気なく微笑みながら仰ってくれましたから。ただ、私には過ぎたる先生だっただけです。そして先生をいろいろ変えて何度も似た体験をし、やっとわかった頃には齢を重ねてしまったということです(^_^;)

人の話、ましてや先生の話に耳を傾ければ宝の山です。自分、自分という感情を脇に置いてクールに眺めてみると、その宝をもう少し拾えるかもしれませんね(^_^)v
【2011/12/02 01:23】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
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フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

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