fc2ブログ
疑問に応える 43 続・科学的な方向で
ニワトリが先かタマゴが先か?といった疑問を皆さんも子供の頃考えたことがあろうかと思います。確か、歌にもなってましたね。

ニワトリがタマゴを生んで、そのタマゴからニワトリが生まれて、それがまたタマゴを・・・とぐるぐる回って答えが出ずに子供心に悩んだ方も多いかも(笑) 私はぐるぐると回ってアホらしいとすぐに止めてしまった記憶が(^_^;)

神仏や天使、悪魔や幽霊など、似たような側面があります。つまり、これらが存在するのかしないのか?とこれらだけを幾ら考えてもニワトリとタマゴのような展開に陥りがちになるのは、TVなどの賛成・反対の討論番組?でウンザリするほど観たことがあるでしょう。

将来ゲノム解析などで、これらの能力の持ち主のDNAパターンも解析されるかもしれませんね。こうなれば、名称はともかくも何らかの異世界(現時点では)の存在もより客観的に把握されるかもしれません。そうなれば、これらが存在するや否やから、それらの世界はどういう世界なのか?と様々な科学的手段で検証が進むでしょう。

ではこれで、神霊などの存在が証明されることになるのでしょうか。

これは実に興味深い展開となるでしょうね。

宗教家の束の間の喜びと困惑、そして憤り、否定派の驚きと好奇心、そして猜疑心・・・

そしてぐるりと一螺旋してまた同じような論争が始まるでしょう。

おっと、今回も理屈っぽくなってしまうところでした(^_^;)

前回、宗教的な観点は必要性がないと言いましたが、今はまだ科学的に解明されていない以上、言葉が見当たりません。そこで、既存の(宗教的)言葉を使っていきます。『なにか?』のオンパレードではそれこそ、なんにもわかりませんから(笑)


富士山で出会った女性、仮にAさんとしておきましょう。Aさんは生まれながらに神霊が見えたらしく、大人になった時には、仕事から帰ってくると既に霊達が冷蔵庫からビールを出して酒盛りしているような状態だったそうです。つまり、人間とほとんど同じ存在として接していたらしいのです。

そんな事があるのか?そもそも、霊がどうやって冷蔵庫を開けたり、ビールの栓を抜くんだ?とかの疑問を当然持ちましたが、当時は思考はそれ以上進まず(正確には進めず)、そんな事より、凄いなぁという感情が発露して、それこそ疑問より尊敬の念のほうが遙かに勝っていました(笑)

後楽園の件もあり、まるで生きている人間のように霊が存在しているかもしれないという事は受け入れることが出来ても、流石に物理的にそんな事が可能なんだろうか???と思わざるを得ません。ですが、山田先生のAさんへの信頼がある以上、私には疑いの余地はなかったのです。私の山田先生への想いはある種の信仰心のようなものでしたから(笑)

物理的にあり得るのか?という話で思い出したのですが、伊勢神宮に一緒に行った友人に凄い一族の人達がいるから会ってみる?と誘われました。今生でまたそういう方面の方々と縁を繋ぎたくなかったので丁重にお断りしました(笑)

今の時代にそんな一族がいるのだろうか?と疑問を持ちましたが、昭和の中頃までサンカと言われるような方々がいらしたわけですから、その系列で凄い能力の一族がいても不思議ではないのでしょう。その能力は伏せますが、たまたま似たような話を見つけました。この方の話が本当かどうかはわかりませんが、聞いた時(似てますが、友人の紹介してくれる一族はもっと凄まじい)、やはり世の中には不可思議な人(一族)がいるのかもしれないなぁと改めて思いました。太母さんもそういう能力の一族はいると明言してましたが、直ぐにあんた達はそういう人達に関わるな!ときつくクギを刺されました(^_^;)

さて、山田先生はAさんにキッパリとそういう生活(霊達との同居)は止めなさい!と仰りAさんも苦労しつつ止めたそうです。先生曰く、所詮低級霊で、生きた人間の生気を吸い取って生きながらえていて、Aさんの真の霊的な成長には何ら役に立たないからとのことでした。

山田先生の指導の下、高級霊や神霊、魂やアートマン(真我)などより高い波動の世界へアクセスできる能力へと変容させていったそうです。

Aさんとたまたま太母さんのお寺でお会いした時の事です。食堂で皆で食後太母さんのお話を伺っておりました。太母さんは、椅子に正座して食べるのですが、たまに居眠り?瞑想?をするのか、しばし黙ることがあり、我々(その時は8人くらい)もその間は黙っておりました。シ~ンという無音も素敵でしたし(#^.^#)

その時、太母さんがオ~ゥ!!!と大きな声を上げました。我々はビックリして太母さんのほうを見ると、太母さんが『今、江ノ島の弁天様が通っていったね!』とAさんのほうを見ながら言いました。Aさんは『はい!お美しいですね!』と笑顔で答えると太母さんも頷きながら、『本当じゃのう~』・・・残りの我々は顔を見合わせ、見えた?と聞きあいましたが、当然、皆、全然見えず(笑)

我々とは別次元を見聞できるAさんに伊勢神宮に一緒に行った友人と私、そしてもう一人の友人が命を助けていただくことになるのが天川での一件です。
【2012/03/29 17:02】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 42 科学的な方向で
ここ何回か理屈っぽい展開の話が多かったので、今回はできるだけ昔の思い出話で(笑)

ところでコウモリが超音波で虫を捕らえているのは今や子供でも知っている一般常識ですね。人間には聞こえない周波数が聞こえるわけです。ひょっとすると若者にしか聞こえないモスキート音のほうが有名かな。このサイトで調べたらボリュームを大きくすると18000Hzくらいまでは聞こえました。最大にしても20000Hzは聞こえませんでした(^_^;) つまり大音量でこの周波数のモスキート音を流されても、聴覚的には一向に聞こえないわけですから、私にとっては存在していないことになります。

同様に視覚も周波数が異なると違うものが見えてくるのでしょう。猫が部屋のある一点とか、空間の一点をジーッと見ているなんてことも聞きますね。人間の目には見えない何かを見ているのでしょう。

つまり、自分が、我々が、人間一般が感じないからといって、ある種の何かが存在しないということは上記した科学的な見地からもあり得ないわけです。

私は若い頃、普通の人間が知覚しえない領域を知覚する人達と多少の交友があったことを書いてきましたが、コウモリの話のように科学がさらに進歩すれば彼らが知覚している領域(世界)を何らかの形で我々も実感できる日がやってくるでしょう。

科学的に解明されるのは、まだ遙か先のことでしょうが、今この瞬間もそういう領域は実在しているわけです。ですから、何かの偶然性でそういう世界に足を踏み込む、あるいは踏み込んでいるのかもしれません。

さて、少し回りくどい書き方をしましたが、何故かと言えば、こういう視点から眺めてみれば宗教的な観点は何ら必要性がないからです。もちろん、それらを否定しているのではなく、このエリア(狭い領域限定かもしれませんが)の話に神や仏はなくても差し支えないといっているだけです。

前置きはこれくらいにして昔話から~♪

友人に誘われて初めて天川神社に行くことになった時のことです。

当時、私の運転で行くことにしたのですが、運転できるのは私だけでしたので、途中でどこかに寄って一泊し、ついでに波動の良い所にも足を伸ばそうということになりました。一泊したのは諏訪湖で、諏訪大社があったからですが、それ以外にもせっかくだからどこかに行こうということになり、私の提案で戸隠に行くことにしました。

戸隠は何故か心惹かれるものが以前からありました。多分、中学生の頃夢中して読んだ、男組という漫画に出てきたからだと思うのですが、記憶は定かではありません。ふいに何故か思い出して、しきりと行きたくなりました。

当時は山田先生の所に出入りしてましたが、山田先生達が富士山を中心とした清めを行っていると風の噂に聞いていました。その一環で富士山に登るとの事でしたので、我々も便乗して富士山に登りました。私は八合目で高山病で倒れ、頂上に登れなかったのですが、そこに山田先生と一緒にいらしていた方で、やはり頂上まで登らずに八合目に残っていた方が私の面倒を見てくれました。

その方(女性)は額にヒランヤのシールを貼っていて不思議な雰囲気を醸し出しておりました。頭痛と嘔吐に苦しんでいた私の側に来て、私の額に手を当てると不思議と症状が緩和され、さらに不思議な事を言いました。

『富士の光を天川に運んで、諏訪湖と戸隠に繋げてくれるのはあなたたちなのね!だから私はここに残っているのね。なるほど意味がわかったわ!』と微笑んでいました。

私は高山病で苦しんで???でしたが、不思議な風貌と不思議な事(ルートは誰にも言ってません)を言う人だなと心に深く残りました。
【2012/03/21 22:40】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
中学生武道必修化
来月から中学生の武道が必修らしいですね。

いろいろネット上では、意見が飛び交っているようです。お子さんをお持ちの方でご心配の方も多いのではないでしょうか。武道に関する知識や体験の無い方はこれは当然です。漠然としたイメージや武道に関する好悪の感情から来るものでしょうから。ですが、経験者の方々から、愛好家や専門家からすら危惧の念が聞かれるのは相当な問題がありそうです。

私は心配でなりません。今の段階では正直反対です。

まずは幾つかの疑問点を列挙しておきます。

1.なぜ中学生に武道を必修化するのか?

2.武道の中でなぜ柔道なのか?

3.たかだか何度か講習を受けただけで、素人が素人に教えることができるほど、柔道とは簡単かつ安全なものなのか?

4.道徳や礼儀、伝統を重んじるからと言っているが、柔道家は他の分野に比してそれほど立派な人が多いのか?

上記した疑問に派生的な疑問を加えると相当な疑問が生じます。今は便宜上、これだけにしておきます。

さらに、付随的な疑問も幾つか挙げておきましょう。

1.そもそも何故急に武道、それも柔道を必修化する事になったのか?

2.1の意図、すなわち真意は何なのか?誰が言い出したのか?

これら付随的な疑問には何らかの政治的な意図が感じられるんですよね。どこか、国旗・国歌の強制に根っこが繋がっている臭いを感じます。

私は国旗や国歌は大事にしたいと思っている人間です。ですが、強制してやらせるのは反対です。どうすれば、自らの感情で国旗を仰ぎたい、国歌を高らかに歌いたいと感じる人間を育てるか?

国歌斉唱とか国旗掲揚というと、すぐに右翼や民族主義者と考える視野の狭い頭でっかちの人もいるようですが、私は右翼は嫌いですし、民族主義者ではありません。日本民族は好きですが。


これらの問題は考えるのは面白いですが、中学生のほうが先ですね。

1.なぜ中学生に武道を必修化するのか?

これに対する明確な理由は何なのでしょうか?

ネットで調べてみると、他のスポーツに比べて死亡確率が高い柔道の武道必修化は2006年に自民・公明政権下で改悪?された教育基本法を受けて、文部科学省が進めてきたものらしいのですが・・・

いろいろ調べてみても、何故、中学生に武道を、それも死亡事故の高い柔道を必修化する必要性があるのかという明確な理由が見つからないんですね(^_^;)

だから、付随的な疑問1と2が生じるんですけどね。

ここからは私の個人的な感想ですが、武道、それも柔道を現状で必修化する必要はないどころか、問題多しで止めた方がいいでしょう。その理由の幾つかは、2~4でも少し触れます。


2.武道の中でなぜ柔道なのか?

1が曖昧で大局的な視点から考察できない以上、2を考えても仕方ないんですが、狭い範囲に絞って考えてみましょう。

幾つかある武道の中で、なぜ柔道なんでしょう?

競技人口が多いから?国際化しているから?剣道に比べて柔道着だけで安上がりだから?・・・etc.

そもそも柔道って武道ですか?スポーツと認識されているんじゃありませんか?特に世界では。

柔道家の中にすら、柔道の必修化に懸念を表明している方々が多々いるのは救いですが、柔道団体として、反対と表明できないのは残念の一言ですね。危険だとわかっているのにそれに反対の声を上げないのは武道家(の団体)として自負されているのならいかがなものか・・・


3.たかだか何度か講習を受けただけで、素人が素人に教えることができるほど、柔道とは簡単かつ安全なものなのか?

これはもう、絶句ですね!必修化を考え出したり、賛成した人間は、ご自分で何らかの武道をまったくやったことのない知識秀才か、ご自分が武道大好きの脳筋と言われても仕方ないタイプの方々でしょう。

まずやるべきは、子供達を危険に晒すことではなく、例えばたった一件の死亡事故から深く反省し、何十年も死亡事故や重大事故を起こさないフランスのような柔道教育を徹底的に研究し学ぶことでしょう。

優れたものから学べない、まして本家意識が邪魔をしてなどという事があるようでは、悲惨な子供達がでた場合(出るのはわかっているのですから)当事者たちはどう責任を取っていくのですか?

想像もできないんすかね。我が子が死ぬ、半身不随になる、脳挫傷を起こす・・・幾らお金貰ったって人生は帰ってこないのに!

事故を起こした先生の責任、ご本人の精神的な苦悩(真摯な方ほど)はどうするのですか?

3に関してはツッコミどころ満載なので、このくらいにしておきます。


4.道徳や礼儀、伝統を重んじるからと言っているが、柔道家は他の分野に比してそれほど立派な人が多いのか?

これに関しては1~3ほど、重要ではありません。もちろん、命に関してはという意味です。つまり、この一点で他とは並置するべきではありませんが、道徳や礼儀、伝統教育の重要性を持ち出して、1~3への反論として使う小賢しい輩もいますので、クギを刺しておきます。

柔道をやっている方には大変失礼な言辞となりますが、つい最近逮捕された金メダリストを例に出せばわかるように、別段柔道をやっているからといって人間が立派になるわけではありません。何であれ、立派になろうと思っている人が立派になるだけです。粗暴というタイプの人はひょっとすると柔道を囓った人のほうが、他の分野に比して多い可能性が大でしょう。

どの分野であれ、立派な人もどうしようもない人もいます。ですから、比率を問題にしているだけです。例えば、粗暴なピアニストとかバイオリニストはいるかもしれませんが、粗暴な性質の人間がそもそも精緻さを要求されるピアノやバイオリンに惹かれるかどうか(笑)

私は分類すれば粗暴に入りますから、到底ピアニストやバイオニリストなどは無理です(笑)子供の頃から音楽は大嫌いでした。要するにジッとしてしてること、絵を描くとかなんてのも性格的に無理だったわけで・・・


いろいろ書いてきましたが、個人的には私は武道は大好きです。スポーツに比しての利点も充分判ります。それでも、やはり現状での性急な中学生の武道(柔道)必修化は反対です。

以上、小学校5年生の時に柔道で骨折して3か月以上入院生活を送ったことのある体験者が危惧した、未来ある子供達への不安です。
【2012/03/15 21:07】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 41 背後にあるもの
前回は少し理屈っぽかったのですが、今回はその中で少し分かりにくい事を取り上げておきます。

サブタイトルに背後にあるものと書きました。その内実は抽象や具体など論理とか概念に関わるものですが、こう書くとまた分かり難いので、今回はなるべく平易な例を挙げてみます。

知識は学校教育で充分すぎるほど教わりますが、その論理や論理を駆使することは今でもほとんど習うことはないのではないでしょうか。私はまったく記憶にありません。ですから、高学歴の優秀な方でも事実と論理を区別することが出来ない方も多々いらっしゃるでしょう。

ですので、論理どころかこの知識に関してもサッパリ???という方でもなんら心配はいりません。むしろ、あまり知識のないほうが論理は受け入れやすい脳ともいえます。でなければ、頭の悪い私(若かりし頃のお粗末さはこのシリーズの前半でいろいろ書いてます)が論理的な文章なんて書けるわけありませんから(笑) 書くのはともかくも読んで分かるほうは非常に高度な論理的な文章でない限り心配無用です。

さて、角度を変えて、例えば私が以前『ガラスの仮面』を教育学的、上達論的、指導論的などの視点から眺めると宝の山だ!というような事を書いたのを覚えていますか?

あの中には教育という言葉も、上達(上手とかうまいとかは出てたかもしれません)、指導(教えるは出てると思います)というような言葉も出てはこないと思います。ましてや、その言葉の下に論なんて付いてはいません。

ですから、北島マヤやライバルの姫川亜弓に対して、指導者の月影千草は言葉としては何一つ、教育とか指導とか上達、ましてや下に論なんて付くような言い方はしていません。つまり、文字としては以上の言葉は何一つ使っていないのに、各場面は上達論から、指導論から、あるいは教育学的視点からはお見事!という展開となっているのです。

ですので、文章の背後にある内実、つまりその背後の世界(意味)を読み取れない、文字通り文字しか読めない方は、どこにそんな上達論とか指導論とか教育学に関する事(というより、文字でしょうけど)が書いてあった???ということになります。

むしろ、こんな言葉を知らない人のほうが、人に教える時はたとえば、こうすればいいのかぁと素直に学べる可能性が高いわけです。

つまり、ガラスの仮面の中で展開されている各場面(光景)の様々な所で個別に描かれている事を例えば上記したような言葉(というより概念ですが)で括れるということです。

ですから、この各概念を知識で知っていたとしても、感性と論理で掴めなければ識っていることにはならない、つまり使えないということです。だから、知らない方が感性としてはすんなりと入ってくる可能性が高いわけです。言葉に引っかかりませんから。

概念が便利なのは、皆さん誰でも知っています。例えば、明日は鉛筆か、シャーペン、ボールペンか万年筆やマジックなどの書くものを持ってきて!というところを『筆記用具』を持ってきて!といえば済むでしょう。

さらに、書かれるもの、例えば、ノートとかメモ、原稿用紙、さらにはそれらに付随した、消しゴムや定規、コンパスなども含めるならさらに広い範囲を包含する『文房具』という概念を使えばいいわけです。

そしてこの概念が共有されているので、誰しもがいちいち事細かに説明されなくても直ぐに分かりますし、用具を限定したければ、例えば、『筆記用具を持って来るように!黒のボールペンか万年筆ね!』といった使い方をします。

で、概念ですから、筆記用具も文房具も実体ではないわけです。つまり、『筆記用具を買ったんだ!』と友達が仮に嬉しそうに言ったら、普通、『何を?』と訊きますね。つまり、筆記用具という実物は売ってないわけで、鉛筆なのか、シャーペンなのか、嬉しそうなんだから、高級万年筆かな?と実物を想像したりします。

また『武道を始めたんだ!』と友人が言えば、『何の?』と訊くでしょう。武道も概念ですから、直接武道を習う事は出来ません。武道という概念に包含されている個別の何かを習うわけです。柔道とか、剣道とか、空手とか。

考えてみれば、こんな事は幾らでも見つかりますね。ただ、あまりに日常の事なので、意識にのぼらず、いつの間にか、概念と実体(観念的実体という概念もありますが、今は複雑になるので止めです)、すなわち論理と事実が一緒くたになってしまっているわけです。もちろん、日常レベルではごっちゃでも大過なく過ごせますから良いとしても、ごっちゃのレベルの脳の機能(場合によっては実質までも)では、もっと複雑な問題を処理する時には多分に不都合が生じるのです。

そこで、おそらく多くの方が分かり難い、あるいは、ヘ(゚д゚)ノ ナニコレ?という風に目に映ったのではないか?と私が想像した箇所を挙げれば以上の展開から成る程と思われる方もいらっしゃることでしょう。

その箇所とは・・・

何故自分が凄いのか?自分の凄さは何なのか?どうすれば他人もそのようになれるのか?自分の凄さと他の人の凄さの違いは何なのか?自流のみならず他流との違いは何なのか?今という時代から見るのみならず、歴史的な視点での己の凄さとは何なのか?そもそも、この凄いとは人類学的、社会学的、文化的など、他の見地から覧るといかなることなのか?・・・etc.

というところの、特に2行目中程の、今という時代・・・以下のくだりだと思います。

もう解説は必要はないでしょう。当たり前ですが、これを直接質問する人なんて普通いませんね。つまり、これらは上記したように概念です。知識でこれらの概念を知っていても、文字しか読めない人は、『こんな質問する奴いるわけないじゃん!』となるでしょうし、知らない方は、なんだかサッパリ???となり、『世の中、こんな難しい、めんどくさい事を考える物好きもいるんだね!』といった感想を持つこととなるわけです。

ですが、今までの説明を読まれれば、格段、難解な事を言っているわけではない事も解るでしょう。

たとえば、こんな質問をする人はいくらでもいますし、かつての私もしました。

『幾ら鍛えても、外国人、例えばアメリカ人とかロシア人のように身体の大きい人、力のある人には勝てないでしょう?』・・・身体の比較という人類学的な観点から問うているといえますね。

『今の時代、銃があるのに、一生懸命、技を覚えても仕方ないのでは?』・・・社会学的、文化的、歴史的な観点から例えば考えていますね。

武道の例で一つ二つ挙げてみましたが、武道のところに政治でも経済でも、芸術や美術、さらには料理とか健康法とか、何を入れても役立つ論理というわけです。

要はご自分で自分の専門分野を入れて考えてみればいいわけですから、いちいち個別の例を挙げる必要はないわけです。それを個別に例を挙げて、解説までしていったらどれ程の膨大な量となるか・・・

今回もやはり理屈っぽくなってしまいましたが、理屈(ある種の論理)は面白い、興味深いと感じていただける人が出たとすれば私としても嬉しい限りです。

【2012/03/08 19:17】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 40 教える立場になってみて・・・
今の自分にとっては、どうでもいいような昔話を書き綴っていますが、見方を変えると一概に無駄とはいえないんですね。例えばこうして題材があるわけですから(笑)

私が人生で出会った方々は微々たるものですが、その中で『この人は!』と思う方々には幾つかの共通の特徴があります。そのうちの一つが『他人の経験から学ぶ能力が桁外れに高い!』ということです。

もちろん、逆もまた真なり!で、かつての私のように自分で直接体験しているのに他人事に感じてしまう鈍感な能力の高い方々もたくさんいます(笑)この能力に格段に秀でると『人生万事塞翁が馬』といったある種の境地?に到達するのでしょう。この遙か彼方に似て非なる絶対他力の境地もあるでしょうが、これはいずれとして・・・

さて、私は若い頃からいろいろな先生に就いてきましたが、共通している特徴の一つが上記した能力でした。ふとしたキッカケで、教わる側から教える側になったのですが、身をもって教わるのと教えるのは桁違いな能力が必要だと嫌というほど気づかされる事となりました。例えば、この先生はダメだ!と見事に生徒が去って行ってくれます(T_T)

単に実践家であれば自分さえ見事にそれができればさして問題はありません。要は自分の凄さを見せればよいだけですから。

何故自分が凄いのか?自分の凄さは何なのか?どうすれば他人もそのようになれるのか?自分の凄さと他の人の凄さの違いは何なのか?自流のみならず他流との違いは何なのか?今という時代から見るのみならず、歴史的な視点での己の凄さとは何なのか?そもそも、この凄いとは人類学的、社会学的、文化的など、他の見地から覧るといかなることなのか?・・・etc.

教えるとなると習う側は十人十色、千差万別、千状万態、質問・疑問も多種多様となります。

教わっているときは先生がそれなりに見事に実技を踏まえて納得できる答えを示してくれましたから、先生なんだから答えられるのは、当たり前くらいに思っていましたが、教える側、つまり訊かれる側にまわったら頭の中は真っ白で(笑)

見せるものがあればいいのだから、それだけでも御の字だろう!と言う人もいるかと思います。帝国ホテルのシェフが教える料理教室?程度ならそれでもいいでしょう。誰だって幾ら教わったって所詮そんな見事な料理が作れるとは思いませんから(笑)

ですが、そこら辺の料理教室に行って、先生はテキパキと上手な料理を作ってくれるけど、教えて貰えなければ、自分が料理を作れるようになれなければ満足できますか?先生が出来たってしょうが無いでしょう。自分が出来ないと。

先生は凄いで満足できる人は、宗教でもやったほうが余程満足できます。先生と自分の距離があればあるほど、幸福感を感じられますから。

つまり、教えるとなると自分のすべてを総動員しなければならなくなるということです。ですが、自分のごく短い人生かつ、自分の狭い範囲で体験したものから教えられる事はごく僅かです。だからこそ、無限にある他人の体験から学んで自分の生徒がより上達、成長できる方法を見つけなければなりません。

今日は悪霊に憑依されているから何をやってもダメです。明日は天使が憑いているハズだから上手くいきます。明後日は北の方位が良くないから南を向いて練習しましょう・・・etc.

気分ならともかくも、何かの技能を向上させようと師を探している時にこんな人を師にしますか?中国の諺に『三年かかっても良師を探せ!』とあります。取りあえず、誰かに習っておこうと即始めるよりも、三年遅れてもいいから良い先生を探し出したほうが、結果、早い(見事になりうる)ということです。

この逆は以前ブログでちらりと取り上げたように、今、巷であるタレントが洗脳されてるとかで話題となっていますね。

ちなみにこのタレントさんからも学べる事が幾つかあります。我々(向上心のある人)が学ぶべきは、このくらい情熱を傾けて学ぶべし!ということです。社会性を無視しできる程に変質し、風貌すら変わっているでしょう。見上げたモノです。惜しむらくは師と仰いだ人が・・・

でも類は友を呼ぶ!という厳しい諺の真意を身をもって体験しなければならないのでしょう。大きな代償であり、いずれ途轍もなく辛いものとして実感するときがやってきますが・・・でも、心配してくれる人もいるわけですから。今ある豊かさよりも無いものねだりが人の常かもしれません。私も他人事ではありません(^_^;)

今回は少し、理屈っぽい展開でしたが、私は自分の過去話には興味はありません。わざわざ過去話を引用するのは、自分の過去話を他人事として眺め直して、そこから何が学べるのか?と再度問いたいからです。

そうそう、優れた指導者の特徴をもう一つ!この方々は当事者以上にご本人達の過去をよく覚えていますよ。私も後になって、昔はあなたはこうだったじゃないか!!!と言われて、それがズバリ的を射ていて顔が赤くなったり青くなったり(苦笑)

自分の過去(過程)を忘れちゃう人はある意味幸福かもしれませんが、指導者には向きません(笑)

ところで、これは指導者としての資質の一つを語ったものですから、人生かくあるべし!とかのより大きな視点とか、ハッピーであればOKのような人生論とは論の次元が違うことは当然です。
【2012/03/01 17:55】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
いざ!自由へ フェルデンクライス・メソッド


フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

プロフィール

kanfuboy7

Author:kanfuboy7
フェルデンクライス・プラクティショナー

夢は猫や虎のようにしなやかに自由自在に動く爺になる事です(笑) 現在、夢に向かってばく進中?

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

リンク

FC2カウンター

カレンダー

02 | 2012/03 | 04
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する