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疑問に応える 47 自由とは必然性の洞察である
何度も書いておりますが、私は人がどんな考え方をしようがその人の自由ですから、どうでもいいというスタンスです。そもそも、自分も干渉されるのが嫌いですから(笑)

ですが、その選んだ自由によって自分が規定されてくるという事に関しては多くの方が無関心というより、無頓着なのではないでしょうか・・・

例えば、ファーストフードのハンバーガーが大好きだからと、そればかり食べていたら栄養が偏り、最後はガンになってしまったとか。タバコと肺ガンならもっと分かり易いかな。止めるくらいなら死んだ方がマシという方も結構いらっしゃるでしょう(笑)

食べ物は分かりやすいですね。本、友人なども選んだもの(人)によって多大な影響を受けます。朱に交われば赤くなる!というように、諺では誰しもが知っています。ですが、指摘されると、俺の勝手だろ!!!と大抵はなります。特に若い時は・・・

イラクで命を落とした青年は、まさに自分の自由(好き勝手)を謳歌?して散りました・・・

皆さんは彼をどう思いますか?

時は小泉政権の時代です。自己責任が声高に叫ばれた時代でした。自業自得ですか?因果応報?カルマですか?

あるいは今流行の引き寄せですか?死を引き寄せたのでしょうか?ポジティブシンキングが足りなかった?

信仰心の欠如?あるいは神も仏も無いのでしょうか?

単純に危ないところに行くような馬鹿だからですか?他人の忠告を無視するような我が儘だから死ぬのでしょうか?

どれが正しく、どれが間違いなんでしょう?それとも、どれもが正しくどれもが間違いなんでしょうか?あるいは他に原因や理由があるのでしょうか?

私は聖人君子ではありませんから、正解など出せませんが、一つだけ自分自身にハッキリと言えることはこんな事では死にたくない!ということです。死は必然ですから、誰も避けられません。不慮の死という事も当然あるでしょう。ですが、これを不慮といえるのかというと・・・

ですから、私が考えるのは、彼の感覚、感情、思考様式は⇒死というものに非常に近づきやすいものではないのか?ということですね。

そして、このとても楽観的な破滅的?流儀は彼独自のものではなく、誰しもが大なり小なり持っているものだろうと思います。大多数の人は、破滅するような環境にないので、偶然、生きていられるだけで・・・条件が揃えば一挙に花開くことになります。

彼を眺めていても、漠然として明瞭な答えが見つからないと感じる方もいらっしゃるでしょう。もちろん、止めておけば良かったんだよ!と一刀両断に切り捨てられる方もいらっしゃるでしょうが、彼だって馬鹿じゃ無いんだから何故???と・・・


ちょっと回り道をして、太母さんとインドに行った時の話をします。

一緒に行った友人達の中に一人の若い女性がいました。彼女はとてもポジティブシンキング?な方で、様々な問題を巻き起こしてくれた方です(笑)

夜、食事を終えて皆で話していると、急に彼女が散歩に行くと言い出しました。若い女性が夜一人で散歩するのは危ないから止めなさい!と太母さんが言うと、『私、大丈夫な気がする~♪』とニコニコしながら立ち上がりました。

私も何度かインドは旅行してましたから、人に襲われるよりも、野犬に、それも群れで襲われるから止めなさいと忠告しました。インドの犬は痩せこけて、昼は道端で昼寝をしていておとなしいのですが、夜になると爛々と目を輝かせて、集団で行動します。当時は2匹に1匹が狂犬病、つまり噛まれると狂犬病になる確立は50%でした。

良い子達だから大丈夫よ~♪とニコニコしています。夜行性で昼と夜は別物だからと言いましたが、『私には敵意はないし、大丈夫って気がするから~♪』と言いながら部屋を出て行ってしまいました。

太母さんが空手をやっている若者二人に目配せをしてついて行くように指示。私も牙に触れるとヤバイから棒のようなモノを持っていきなさいと言いました。

ものの数分で、キャ~~~~~!という悲鳴と犬たちの唸り声、彼らも、うわ~~~~っと逃げ帰ってきました。昼間の犬とあんなに違い、凄い数で襲って来るとは・・・と驚いていました。

さて数日後、皆でカレーを食べいると、このカレー味が変だと誰かが言いました。太母さんは、わしゃー、何を食べても大丈夫だけど、あんたらは止めておきなさい!と言いながら、パクリと一口。その瞬間、うっ、これはだめじゃ!と言ってはき出してしまいました。それを我々は見て、太母さんがダメじゃ止めた方がいいなと皆、食べるのを諦めると、あの彼女が、『私大丈夫な気がする~♪』と言って食べ始めました。我々が『太母さんでもダメなんだから止めておきなさい!』と言っても、『大丈夫な気がするから、大丈夫よ~♪』とパクパク。

翌日、見るも無惨に憔悴しきってゲッソリとした姿で、現れたときには一同唖然。命があっただけ幸運ですが・・・


またまた話は飛んで(笑) 

このシリーズを読んでくださっている方は、以前、私がニワトリとタマゴの話をチラッとした事を覚えているかと思います。一体全体、何が言いたいのかと思われた方も多いでしょう(笑)

その部分を視ても分からなければ、過程を視る、歴史に尋ねてみれば答えが見つかる可能性があるわけです。部分だけがいきなりポツンと出現するわけではありませんから。

人間はいきなり人間として出現したわけではなく、サルから、その前はほ乳類から、つまりは動物から進化したわけです。

動物一般の特徴として、自分の身を守るという事、すなわち、いかにサバイブするか?ということは最優先事項であり、例外はありません。

では何故、人間はかくもサバイブする事に無頓着な人たちが続出するのでしょう。それは、動物のように本能が認識を統括するのではなく、自分の認識が自分を統括するからです。

例えば、犬や猫がガマン大会なんてしますか(笑) 好き好んで、真冬に寒中水泳をしたり、真夏に厚着をしてストーブを囲むとか。

猫や犬を初めての部屋に放せば、必ず隅っこやテーブル、椅子の下などに隠れます。つまり、自分の生存率を上げるため、サバイブするために、身を守る事を最優先にする行動を取るわけです。生物一般として警戒をするのが当然な行動なわけです。本能に規定されて。

ですが、人間は本能ではなく認識が統括する分、個性が個人差が出ます。本能が薄らいだからこそ、人間になれたわけですが、一方でサバイブするという生物一般にとっての最優先事項も薄らいでしまいました。

この認識が非常に希薄になってしまった人達が多数いて、条件によっては危機的な状況が生じるわけです。日本では死ななくても、イラクやインドでは死ぬということですね(^_^;)

サブタイトルの『自由とは必然性の洞察である』とはエンゲルスの言葉だと思いますが、彼の言う自由とは、我々の好き勝手の自由ではなく、自由に生きている、振る舞っている人の背後には、その必然性があり、その必然性に気づいて、その法則に則って生きているからこそ、自由度が高いのだ!ということだろうと思います。

以前にも書いた、蜘蛛は縦糸(法則)を踏むからこそ、自分の横糸(困難)に絡まない(自由自在に動ける)ということですね。


不本意であったでしょうが、彼の死が何らかの役に立つとしたら、決して無駄にはなりません・・・でも、彼の気持ちは・・・痛いほどわかります。・・・何で、こうなってしまったんだ!!!!・・・

ところで、彼は誘拐されたあの危機的状況下で助かる術はあったのでしょうか?

おっと、長くなってしまいました。この考察と私の似た話は次回にしましょう。
【2012/04/26 21:11】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
クリスタルサウンドセラピー
今日はパピヨネさんのクリスタルサウンドセラピーを受けてきました~♪

パピヨネさんはたまにフェルデンクライスのほうにも遊びにきてくださいます(#^.^#)

このセラピーはクリスタルボールを身体の周囲や上に置いて鳴らすものですが、それ以外にも音叉や様々なストーンなども用います。

シンギングリンを身体の上に置いて鳴らすセラピーを以前たまに受けていて、それが受けられなくなったため、飢餓感が芽生え始めていた頃、偶然、クリスタルボールに出会ったわけですが、クリスタルボールを身体に乗せて音を聴く、波動を感じるセラピーは今回が初めてであり楽しみにしておりました~♪

せっかく受けるのですから、眠りに落ちないようにと充分睡眠を取ったつもりでしたが、始まるや否や、あっという間に玉砕です(笑)

ストーンを各チャクラに置いて、音叉での調律?が始まるまでは意識がありましたが、クリスタルボールが身体の上でなり始めるとすぐに落ちてしまい(^_^;)

何度、自分のいびきで目が醒めたことか(笑)

各ボールの違いなんて感じる間もなく、終了~~~~~でした。まぁ、いつものことです(笑)

帰りはフラフラというよりヘロヘロ、朦朧です。ただ、全身の波動が調律されている感じはいつもながら素敵な感覚で、やはりクリスタルボールの波動や振動は凄いなぁと感無量です。

音楽を聴くと、身体中に響き渡りますし、音も凄くクリアに聞こえるので、これも帰りの楽しみの一つです~♪

今回は猫ちゃんにも一段となつかれて・・・少しは波動(雰囲気)が和やか、穏やかになったのでしょうか(笑)

演奏会とはまた一味違った感覚で興味深いです。たまには受けたいですね~♪

クリスタルボールを身体の上で直接鳴らしてもらう機会はあまりないでしょうから、興味のある方は一度体験してみては。にゃんこ先生の眼差しもなかなか興味深いですよ。『何か』を視ているような時もあって(笑)
【2012/04/23 20:30】 | クリスタルボール | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 46 グレーゾーンつながり・・・一つ二つ
前回グレーゾーンが拡大中・・・とチラッと書きましたが、それ繋がりの話題で一つ二つ。

グレーゾーンが拡大するというと、白黒付けたい人はイライラするかと思います。若い頃は私も当然そうでしたし、今でも多分にそういう傾向はあります(苦笑) だからこそ、それを何とかしようと四苦八苦しているわけで(笑)

もしも何らかの説明や解釈で満足できる質(タチ)なら大した問題ではないのですが、自分で出来るようになりたがるから、大問題と化してくるわけです。

前回のようなオカルト的な領域は今の科学では解明しきれていない領域が莫大で、仮にこの種の能力が本当に実在しているとしたら、現時点ではその能力(本物)を持っている人と持ってない人、あるいは発現しない人は、イチロー選手と草野球の選手以上の開きがあると思うんですね。

草野球を楽しむ程度の人がイチロー選手レベルの技能を獲得するのは至難というよりまずは不可能ですが、少なくとも野球という共通のモノがある以上、何が違うのかくらいは多少なりともわかります。

しかし、この分野では、何をしているのか?何が違うのか?どうすればいいのか?どんな事をすればその能力が発現または獲得できるのか?など、わからない事が多すぎるので、ひょっとするとこの能力差は紙一重かもしれないなんて期待もまた抱けたりします(笑)

高度なマジックのタネを自力で見つけて、見事にそれを独力で出来るようにすることのほうが類似性があるかもしれませんね。

タネが見つからなければ、まったく話になりませんが、タネを見つけるだけでもおそらくほぼ不可能。見つけたところで独力でそれを可能にするのもまた凄まじい難事でしょう。

前回書いた、若い頃は頑張れば!努力すれば!・・・頑張るって、努力をするって、何を頑張る、努力するんでしょうねぇ。若い頃の私に訊いてみたいものです(笑) まぁ、ムッとした怒りか、本や雑誌にでも書いてある○○開発法なんて知識を口走るのが関の山でしょうが・・・

所詮、精神論なんですね。戦時中にアメリカのB29爆撃機を竹槍で落とす!というアレです。気合いや根性だけで勝てるなら当時の日本が戦争に負けるわけはないわけで(笑)

もちろん、気合いや根性はとても大切ですが、さて、ではまったく取り付く島もないのでしょうか?

多少の手掛かりはあるでしょう。そういう能力を持っている人たちの共通性を洗い出せば、ひょっとすると手品のタネのようなものが見つかるかもしれません。

一族に他にその手の能力を持っている(いた)人はいないか?育ち方は?嗜好性は?生活の特徴やパターンは?地域の特性は?・・・etc.今であればDNAの特徴も当然あり得るでしょう。

自分の出会った人は極少数ですから、一般化は出来ませんが、これらの人達がその不可視の領域にアクセスする時、ある独特の表情(特に視線)とその時発する独特の雰囲気があります。

モデリングをしてみると、何かしら有りそうだと明瞭に判りますが、それがあまりにも不明瞭な感覚であり、同時に明瞭にヤバイ!という感覚が迸るので、私はやりません(笑)

手掛かりがあるなら、試せばいいのに!と思う人もいるでしょう。

まぁ、その意気や良し!ですが、私は命が惜しいですから(笑) 即死はしないでしょうが、精神的に病むか憑依?(実際はその両方でしょう)という方向は私の場合確実です。このルートは私には危険すぎますね。

今の私には得るモノがないのでやりませんが、若い頃の私なら飛びつくでしょうね。やってみなければわからない!!!って。あんたは死ぬかもしれないが、私が死ぬとは限らないと。死んでもその能力が欲しいとやるだろうなぁ(笑) 若さゆえの無謀ともいえますが・・・世間では想像力の欠如といっていますが、要するに身体意識が希薄なんですね。宗教的な言い方では以前も書きましたが下根です。

最悪の場合、死!!!というものにリアルさを感じられないわけです。どこか他人事なんですね。イラク戦争の時にイラクを旅していた若者が誘拐されて処刑されましたね。ご記憶のある方もあるでしょう。私は偶然、彼がネット上で首を切り落とされ、殺害される場面を観てしまいました。

彼の姿に昔日の自分をハッキリと視て・・・私は偶然生きていて、彼は偶然死んでしまった・・・その必然性は・・・・私と彼を別つモノは何だったのか・・・

次回は、私も彼とまったく同様であるという昔話でもしましょう。
【2012/04/19 22:28】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 45 惻隠の情
さっそく前回の続きから。

名迫さんの離れの造りは、広い部屋をふすまや障子で仕切って何部屋かにしてあるものでした。我々しかいませんでしたので、入り口の比較的広い部屋を貸していただけました。

当時は新築で、離れですから気兼ねもせず、まして誰もいませんから、次回も泊まるならここだね!と(笑)

さて、伊勢神宮の友人と話している間、もう一人の友人は寝転がってジャンプを読んでいました。今と違い、ネットなんてありませんし、田舎には本屋とてありませんでしたから(当時はコンビニなんて田舎にありません)、買った雑誌や漫画を何度も繰り返し読むわけです。精読?のお陰で、漫画の内容の細かな点で結構、盛り上がりました(笑)

ですから、寝転んでいた彼も精読に精を出していたのですが、我々のおかしな挙動に気づいたのでしょう。ふと頭を挙げてどうした?と訊いてきました。

我々は、この音聞こえないか?と彼に静かに言うと、彼は聞こえないけど!とハッキリ言いました。我々は顔を見合わせ、その音の方向を追っていきます。

我々の異様な雰囲気に彼も尋常ならざるモノを感じたらしく起き上がり、耳を澄ましていましたが、彼には聞こえないようです。彼は何の音が聞こえるの?と訊いてきたので、我々が足音だよ!と言うと、この離れには我々しかいないじゃん!と言います。開けて見る?と言うので、この足音は変だからちょっと待て!と伊勢神宮に一緒に行った彼が言いました。

足音自体は廊下を歩いている音、すなわち床を踏んでいる音ですが、一緒に響く音が異様なんですね。歩く度にガシャーン、ガシャーンとあの時代劇で聞き覚えのある甲冑の音が響いているのです。

我々はあれ、甲冑だよね?と言うと、流石に寝転んでいた彼もそれはヤバイじゃん!!!と言い出して、自分のバッグの中から、いろいろなお守りや護符を取りだし始めました。この彼は、エソテリックな魔術に詳しく、日頃から護符も身に付けていたので、彼には聞こえなかったのかもしれまんせん。

部屋に入られるのは嫌だからと、ラテン語の呪文を唱え始めました。彼曰く、超強力だから大丈夫との事でしたが、素朴な疑問でサムライらしき日本人にラテン語が分かるのか?と我々は思いましたが、まぁ、やらないよりは良いので、彼に任せました。

これで大丈夫!と彼が言いましたが、もっとハッキリと足音が聞こえだしました。我々がオイオイ、まだいるぞ!!!と言うと、彼曰く、部屋には入れないはずだから!と言います。何とかならないのかよ!と言うと、除霊や浄霊の呪文は知らん!との事。足りなければ、他のもあるからと、別の呪文も唱え始めました。

確かに部屋には入って来ませんが、我々の部屋の周りをガシャーン、ガシャーンと歩いています。入り口の障子の前にその霊?が立ち止まった時です。我々は息を飲んでしまいました。障子越しに確かに武将らしき人?霊?が立っていたのですが、頭がありません。なんと、右手にザンバラ髪の頭を抱えているシルエットがハッキリと見えました。

また歩き出して、音が遠ざかり、いつの間にか、気配が消えていましたので、ホッとしていると、呪文を唱えていた彼も終わったらしく、我々にまだ聞こえる?と訊いてきたので、お陰で消えたみたい!と言いました。彼は、やはり効果あるんだね!と満足気でしたが・・・

帰路は一応、何事もなく帰れました。伊勢神宮に一緒に行った彼が、一応ご報告という事でAさんに電話すると、電話が繋がるや否や、開口一番、凄い人にあなたたち取り憑かれているわねぇ~!このままだと皆、すぐ死んじゃうから、今、取ってあげる~♪と言われました。

ものの数分で、ハイッ!もう大丈夫!浄めて、高いところへ行っていただいたから!との事。

無防備(我々はもちろんそんな気はありませんが)に高野山のお墓に行ったからよ!と言われました。今後は気をつけなさいね!と言われましたが、当時はどうしたものかと(笑)

さて、お陰様で今日までこうして生きていてブログを書いております(笑)

ああいう場に行く時にはやはり、しっかりと気を張る、さらには霊験あらたかなお守りを身につけるなどの必要性が、こういう波動に敏感な人は特に必要なのでしょう。

もっとも当時は、それ以上に、何の悪意もない一般人に取り憑くなんて、たちの悪いしょうが無い武将だなと思いましたが・・・


さて、ここからは私個人の感想です。

当時は若さ故に、取り憑かれるのは怖い、嫌だ、あるいは単なる未知の世界への好奇心ばかりが先行しておりました。

しかし、今は、一方的にあちらが悪いという感情を抱きにくいのもまた事実です。歳を取ったせいでしょう。人生とは往々にして思った通りにばかりはいきません。若かりし頃は、何でも頑張れば出来る!ような気持ちでした。

ですが、ここまで生きてみると、むしろ、思い通りにならない、あるいは、不条理、さらには理不尽ともいえることまで・・・ですから、今の自分には一方的に白か黒かを決めつける物の見方は出来ず、グレーゾーンが拡大し続けています。

あの武将に想いを馳せると・・・さぞや無念!!!な生き様、死に様であったのでしょう。

少なくともサムライたるもの、まして武将クラスであれば、死というものをいつも覚悟して生きていたはずです。同じ人間なんだからとも言えますが、我々の今のような平和な時代の人間とは常在戦場のような生き方をしている彼らとは精神力のモノ(内実)が違うのもまた当然でしょう。

それ程の日頃から覚悟している人間が、何百年もの間、無念の極みで彷徨っている・・・どれほどの恥辱、屈辱があったのでしょう。自分のみならず、一族郎党まで非業の死を遂げたのではないでしょうか。

もしも私であれば、己自身は覚悟の上ですが、自分の家族や一族が言われ無き汚名でも着せられて、惨殺されたら・・・やはり、鬼となるかもしれません。

そう想うと・・・あの武将にそこはかとない惻隠の情が湧いてしまうのです。

取り憑かれて殺されるところだったのに!と思う方もいらっしゃると思います。確かにそうですが、己を見失うほどの苦しみ。あの武将一個人ではなく、そこに人間としての悲しい性を見ます。だからこそ、その渦(輪廻)から解き放つために仏陀やキリストのような人が誕生したのでしょう。

理屈では判りますが、感情はやはり鬼となる!だから、今の自分には恨みきれない、責めきれないのです。

今、あの武将は霊界のどこにいるのかはわかりませんが、我々が縁となってAさんに救われ、何百年もの彷徨いから解放されたのだとしたら、あの旅行も無駄ではなかったんだと思えます。

こうしてブログに取り上げる事も、ひょっとすると多少の供養になるのかもしれないと思っています。完全に理解されることは無理でも、惻隠の情を持つ者がいてくれるとしたら、私なら随分と救われた気持ちになりますから・・・
【2012/04/12 22:13】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 44 相対化の視点で
前回の続きからですが、相変わらずわかりにくい文章もあったことだと思います(^_^;)

詳しくは各論の際にという事になりますが、今の自分の立ち位置、観点はなるべく相対化して物事、現象、事象を眺めるということです。

たとえば、北がミサイルを発射するということで、騒ぎとなっていますが、北にとって正義、善であっても多くの近隣の他国にとっては不正義、悪です。

しかし、仮に百歩譲ってミサイルではなく衛星だとすれば、正義、善ということにはなります。つまり、ロケットの打ち上げは絶対的に善悪は決められません。が・・・地球に意識というものがあれば迷惑かもしれませんね。残骸は落ちて来て地球を汚すし、衛星は頭の周りをブンブンとハエのように飛び交うし(笑)

サブタイトルの相対化という言葉は以前にも使ったと思いますが、どちらかに固定して物事を見がちなので、それに注意を払いたいために、私は意図して使っています。

前回の展開にも多少関連する事でもう少し考えてみます。

神は正義、善で、悪魔は悪なのでしょうか?

こんな話を以前聞いたことがあります。

悪魔は人を誘惑して堕落させるのが仕事?なわけですが、様々な誘惑に屈せず乗り越えていく人も少数ながらいるわけです。

誘惑を乗り越えた人は勝利、乗り越えられてしまった悪魔は負け!悔しさのあまり涙を流すわけですが・・・実はこの涙は喜びの涙であると。

もちろん、悪魔の仕事は進化の高度な段階に達し始めた人を堕落させて、出来れば自分の手足としたいわけです。ちなみに、私のような凡人には悪魔は関与しません。ほっておいても、自分の欲望で勝手に堕落しますから(笑)

さて、個々の悪魔は自分が負けたのですから、悔し涙です。ですが、悪魔という存在の意義を考えると実に興味深いことがわかります。悪魔は人間を堕落させるのが仕事ですが、悪魔という強大な制限が存在するからこそ、人間はその試練を乗り越えた時、急激に進歩するわけです。だからこそ、仏陀やキリストにも誘惑の場面が出てきますね。それも最大級の悪魔の・・・

人間サイドから見れば、悪魔がいたからこそ、ここまで成長できた!と言えるかもしれません。もちろん、落ちなかった場合限定ですが(笑)

つまり、悪魔は堕落と誘惑という試練を人間に与えるという仕事を何としても全うしようとして、それで負けたとき、つまり乗り越えられてしまったとき、実はその人を最大限に進歩させた功労者?でもあるわけです。表面意識では負けた悔しさの涙ですが、悪魔本来の存在意義からすれば、人間よ、よくぞ乗り越えた!!!という祝福の涙となります。

なぜ祝福の涙なのか?自分がかつて魔道に落ち、このカルマを解消するために悪魔として存在することになり、その職責を全うすることで、自分のカルマを解消していくわけですが、最高の解消方法が、自分が悪の限りの全力を尽くして相手(人間)に負けることなわけです。

ですから、悔し涙としてしか実感してなくても、存在意義からすれば祝福の涙です。その視点から観ると、悪魔を絶対的な悪と決めつけられるのか???という問いかけでした。

若かりし頃の私は悪は悪なのに・・・という感情が最優先でしたから、嫌いなモノは嫌い!でお終いでした。しかし、今となってみると、その方が言いたかった事がうっすらとわかるような気がします。もちろん、悪魔を好きにはなれませんが、しかし、絶対的に嫌いという感情もまた起きにくい自分に気づきます。

さて、悪魔がいるや否やの話をしているのではないという事は、このブログを当初から読んでくださっている皆さんにはご了解いただけると思います。

悪魔を自分の心の中のエゴに置き換えても、あるいは嫌いな人に、人種に、民族に、国々に置き換えてもかなり当て嵌まる論理です。


では肝腎の前回の続きです。

天川神社に着いてすぐに、柿坂宮司さんにご挨拶に伺ったのですが、当時は知る人ぞ知る状態でしたから、修験関係の方々か、パワースポットを探知できるような能力者、後はたまたま知人が住んでいるとかというような程度ですから、今のような忙しさほどではなかったのでしょう。我々若造にも快くお会いしていろいろお話をしてくださいました。

その時の開口一番に出た言葉が、『あんたらよく一回でここに来れたね!』というものでした。『普通、初めて、一回でここに来れるわけないんだが。特に縁のない人間は・・・』としみじみと言うのです。

当時はまだ今の社ではなく古い社、訪れる人どころか一般人は天川神社のことを知っていること自体が希です。民宿も2軒あるだけ。皆さんの娯楽も家庭用のカラオケが主流という時代です(笑)

宮司さんの言うとおり、着くまでには、当然、いろいろありました(^_^;) 東名を走っていると凄まじい豪雨、目の前での大型トラックの横転、etc. 

伊勢神宮に一緒に行った友人は一度、山田先生のグループ合宿で天川に来ているので、彼のお陰で一度で行けたのでしょう。

初日は柿坂宮司さんのご親戚が営む民宿に宿泊でしたが、運転は私一人ですし、悪天候や様々なアクシデントがあり皆疲れ果てて、昼近くまで寝ていて、村の人達からは、都会の若者はよく寝るんだねと村中の噂となったそうです(苦笑) 村では全てが筒抜けのようでした(笑)

午後からは、近く(といっても山の反対側ですが)の高野山に行きました。広大な墓地の奥に弘法大師が祀られている奥の院があります。そこまでかなりの距離を歩くわけですが、途中、歴史上の人物たちの墓やロケットの墓まであり、不思議な雰囲気を醸し出していました。

天川に戻り、もう一件の民宿名迫さんに泊まった時の事です。祭事のない時期ですから、村には我々しかいませんでした。ですので、名迫さんの離れをお借りしたとき、我々しかおらず、気兼ねする必要もないので開放感に包まれて漫画を読んだり、話をしながら楽しく時を過ごしていました。

伊勢神宮に一緒に行った友人と私が会話をしていたその時、二人同時にふと妙な気配、音に気づいたのが最初の始まりでした・・・
【2012/04/04 18:33】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
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フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

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フェルデンクライス・プラクティショナー

夢は猫や虎のようにしなやかに自由自在に動く爺になる事です(笑) 現在、夢に向かってばく進中?

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