fc2ブログ
疑問に応える 51 若いとき・・・
若いとき・・・以下に続く言葉は人それぞれでしょうが、若いとき・・・と呟くような方はそれなりの齢を重ねた方でしょう。

若い方(文字通り、10代とか20代前半とかの実年齢が若い方対象です。気持ちが若いとかは今はナシ!)は過去へ思いを馳せる人達の姿から自分の未来を想像&創造してください(笑)

さて皆さんは、若いとき・・・と呟く時、・・・にどんな言葉が続きますか?

例えば、自分が若い頃は○○だった!とか、若いときは××できた!とか、若ければ△△できたのに!とか、etc. つまり、かつてはできていたり、可能だったけれど、今はもう無理という感慨を抱く、そういう感覚や感情、思いがこもりながらの呟きですか。

あるいは若い頃は○○だったし、今も○○だ!とか、若いときは××できたし、今も××できる!とか、etc. こういう思いが過ぎる方もいるでしょうが、この場合、現役ともいえますので、普通、若いころ・・・という思いは過ぎりませんね。ただし、今の自分と若い頃を甚だしく誤解?勘違い?されている方もたくさんいます。子供の運動会で張り切ってアキレス腱を切るお父さん達など(笑)

もちろん、若い頃には、今のようなモノの見方、考え方は到底無理だった!というような建設的な捉え方もよくある事です。これの内実に踏み込んで考えてみるのも興味深いですが、これはいずれという事にしましょう。

ですので、通常、若いころ・・・という件を使う方は、それなりの齢を重ねて、今の自分を若い頃と対比させることができるくらいの経験を重ねて、どちらかというと若い頃は出来たけど、今はちょっと・・・という方が大半でしょう。

要するに、齢を重ねるに従って、今まで出来たモノが出来なくなったり、やるのが難儀、難事になってきた今日この頃であるので、多少の、あるいは大いなる感慨を内に秘めて、過去に思いを馳せるということになります。

こんな事は別段、説明するほどの事でもなし、言われなくてもわかるよ!!!という実感を込めて皮肉の一つも言いたくなる方がほとんでしょう(^_^;)

ですから、考えてみるのが好きな私はもう少しこの意味を考えてみたくなるわけです(笑)

私は長年フェルデンクライスを教えていますので、人の変化(≒成長)を目の当たりにしてきているわけですが、長く続けている方の初期の頃の呟きの特徴の一つに、『若いころ・・・』というものがあります。・・・に入る言葉は当然、フェルデンクライスをやっていれば!というものです。

つまり、今、フェルデンクライスをやってこんなにいろいろな可能性が開けてくるのであれば、若いときにやっていれば、随分と違う(もっとハッピー)人生を歩めたのに!!!という強烈な思いです。

まぁ、今更言ったって仕方ないわけですが、頭レベルの知識ではなく、感覚を伴った感情ですから、本人にとっては返す返すも残念!という強烈な思いが沸き上がってくるのでしょう。気づかなきゃ仕方ないで済んでいたのに、ひょっとしたら別の道があったのか!!!!!!!という痛恨の極みを抱く方もいるかも(苦笑)

過去には戻れません。それもまた人生~♪としか言いようがないのです(笑)

で、しばらくすると、ああしていれば、こうしていれば、と過去の自分の失敗や反省を口にしていたこの人達もいつの間にやら、黙るというか忘れてしまいます。それは、今更仕方ないからという消極的な理由からではなく、フェルデンクライスをやっているうちに、更なる可能性が開けてきて、今と今の連続していく未来が身に染みて実感できはじめ、どうにもならない過去なんぞに拘るより、選択肢のある今、そしてその自分の選んだ選択肢から生じる未来に希望を見いだしたほうが遙かに楽しいと気づくからです。

明るい未来を信じているのではなく、未来は自分で選べるという当初は微かな、後には強烈な実感が、そして長く続けている人にとっては、そんな事は当たり前すぎて云々する感覚を忘れているいような段階を経ていきます。

さて、若いとき・・・と呟いているなぁと実感のある方はいつまで呟きますか。若いとき・・・は死ぬまで続きますよ(笑)

30歳で20歳の頃を多少の実感がこもって呟くようであれば、50歳になったら遠い眼差しで若かりし頃の思い出に浸るなんて事にもなりかねません。70歳過ぎたら忘却の彼方・・・なんて(^_^;)

私は生徒さん達の呟きで若いころ・・・と頻繁に耳にしていたので、いつの間にやら、若いころ・・・が明るい未来への期待とともに、知っていれば・・・のノスタルジーとして意味合いが変容しておりました。

過去を振り返る時に、今の肯定(≒妥協、諦め)、その結果の今の未来の連続ではなく、未来へのより素晴らしい架け橋として今を、過去を生きられる(当然、過去の捉え方です)方法もあるのですから、たくさんの方々にこういう世界も身近にあるのだと知って頂けたらと思います。

まぁ、私がどうのこうのと言っても信憑性が乏しいですから、若いのに?一生懸命取り組んでいる方をご紹介しておきましょう。遠い目線の若いころ・・・にしたくない!!!というか、したら引退という方々です。だからこそ、一生懸命取り組んでいるのでしょうね。

お一人は、主にアメリカで活躍されているプロゴルファーの宮里藍さんです。フェルデンクライスを取り入れたトレーニングをしているそうです。

もうお一人は俳優の近藤芳正さんです。この方は職業柄もさることながらこの種のメソッドがお好きなようです。
【2012/05/31 16:20】 | フェルデンクライス・メソッド | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 50 一般化して考える
このシリーズの前々回くらいで最後にイラクの青年が助かる方法はあるのか?という問いをしましたが、まだ考察していませんでした。

この問いを考える価値、意味はあるのか?と問われれば、あるとも言えるし、ないとも言えるというのが私の思いです。

またまた曖昧な言い方をしてとむかつく方もいらっしゃるでしょうが、私にとっては至極明瞭な事なんですね。この個別的な事例を個別的な視点のまま、すなわち彼(我々に置き換えても)が助かる方法という直接的な事柄として考えるなら、無駄とは言いませんが、今の我々にはあまり益はないでしょう。

ですが、彼が置かれたような非常に厳しい状況からの脱出とか克服という視点から見れば、非常に学ぶものもあるだろうということです。

宮本武蔵の五輪の書が、何故、生き馬の目を抜くような厳しい状況に晒されているビジネスマンやスポーツマンに愛読され、のみならず世界中の多くの人々に読まれ続けるのかは同じ理由だからです。武蔵が単に剣の振り方や操作の仕方、それを使った戦い方を直接的に説くだけでしたら、剣術家や武道家などの当事者にしか役に立ちません。

武蔵は剣を通じて、剣を使った命がけの戦いを通して、その心構えを、さらには人間とは何かという根源的な問いまで繋がる一般論を展開していくからこそ、武蔵のように自ら望んだ過酷な状況下で生きていく人達に共感や教えを請いたいという思いを呼び起こすわけです。

つまり剣という個別的・特殊的なものを一般化して人間にとって、特に高いレベルで生きたい人にとって役に立つ普遍的な観点というものを提示しているからこそ、誰にも役立つ(もちろん高いレベルを目指す人達が対象です)教えとなっています。

ですから、イラクの青年の話も彼(我々)がテロリストやゲリラから助かる方法という視点から考察するならば、一番いい方法はそういう所には行かない事となります。あちらは見せしめの意志を持って拉致するのですから、覚悟が違います。掴まればほぼ100%助かりません。金目当てなら少しは生存率は上がるかもしれませんが、大差は無いでしょう。

ですから考えるだけ無駄ともいえますが、それでも何かないのか?と思う方もいるでしょう。微々たるものですが、助かる可能性を高める生き様(死に様)はあります。

これはまさに奇蹟的な事が幾つか起きない限り無理なんですが、起きたとしたらという前提で考えてみましょう。

まず、自分が殺されるのは100%確定なわけですから、要は死ぬのは既定路線であり、これに変更はありません。では、この状況下で自分で選べる可能性のあるものはなんでしょう?

それは人間として見事に死ぬ事です!!!

幸い?我々は日本人です。生き死にの美学というものを昔日の日本人は持っておりました。ですから、散り際の美学とか往生際が悪いとかの言葉も今に残っています。DNAレベルでは我々の中にはしっかりとあるはずなんです。

つまり、個(人)としては散りますが、日本人として、日本民族としては見事に華を咲かすことが出来るや否や・・・ということが、ひょっとすると生に繋がるかもしれないということです。

観念的に見事に死ねたからこそ、命拾いしてしまうこともあるかもしれないということです!!!

これは今の我々には途轍もない難事ですから、だから考えるだけ無駄と上記したのです。単に見事に死のうなんて頭で考えたところで、そんなものは死が一歩一歩近づいて来る現実があっという間に吹っ飛ばしてくれます。

つまり、頭で考えるのではなく、肚を括れるか!!!という境地の問題です。生きるなんて、これっぽちも考えず、如何に見事に死ぬか!!!に思いを馳せるのです。

テロリストやゲリラの目的は我々が怯えて命乞いをする姿をネットで世界中に配信して、アメリカを始めとする同盟諸国に脅しをかけることです。

つまり、例えば自分でサムライの如く、見事に肚を切って死なれては、日本人の凄さの宣伝にはなっても、自分たちのイデオロギーの宣伝には逆効果です。つまり、殺す価値がないのです。

さらに、このグループに人間を観る目を持つリーダーがいたとしたらどうでしょう。本来であれば泣き喚いて命乞いをするのが当たり前と思っていた人質がまさに昔日のサムライが目の前に出現したかのような行動を取りだしたら・・・こいつは使えるかもしれない!!!面白い!!!と思うこともあるかもしれません。生かしておいてまずは話をしてみたいと・・・

ですが、これはリーダー次第です。ハラキリは面白そうだから見せてくれ!!!と下衆レベルであれば死ぬことには変わりありません。だから、奇蹟的な事といったわけで、まさに運次第です。

当然、じゃー、助からないじゃないか!思う方もいると思います。だから、考えるだけ無駄でもあると書きました。これは考えとか、まして演技のレベルの話でありません。こういう反応が出ること自体、ハウツーとして捉えているわけです。

何度も言うように、見事な死に方(生き様、死に様)の話をしているのであって、助かり方の話をしているわけではありません。本気で必死に見事に死のうとしたら、待て!!!と止められちゃうかもしれませんよというお話です。止められなければ、見事に死ねばよい!!!というだけの話なのです。


さて、イラクの青年がひょっとしたら助かってしまうこともあるかもしれない話をしました。

では、ここでこの話を一般論として捉え返し、自分の置かれた過酷な状況(個別的・特殊的)に置き換えたとしたら・・・という興味深い展開もあります。

個別的・特殊的な事はここでは話題は避けますので、そういう状況下にある方はご自分で適用してみてください。

以上、偶然助かってしまった私からのイラクの青年へ哀悼の意といたします。彼の死も決して無駄にはしたくありませんから。

合掌
【2012/05/24 15:51】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
クリスタルボール演奏会・・・異国の風~♪
今日はマーパイさんRAURAさんのクリスタルボール演奏会でした!

クリスタルボールは16個、今回はクリスタルベルも幾つかありました。そのうちの一つを持たせて貰う栄光に浴しました・・・というか、一番大きいのが重いので私が持つことになったと思いますが(笑)

クリスタルベルはとても高音で、魂の領域に働きかけるそうです。非常に透明感のある澄んだ音で、響きが長く続くのが特徴的です。

演奏の前にそれぞれの人が持ったベルを鳴らしていくのですが、とても気持ちいいものでした。持って良かったとしみじみ思いました。

そして演奏が始まるわけですが・・・

今回はいつもに増して素敵でした。まず、音の質がいつもと明らかに違います。

どんな分野でも同じだと思いますが、パフォーマンスのレベルがある程度以上になると、技術の差よりもその人の内面、精神性の影響の差が大きくなってきます。

今回アメリカから一時帰国されている間の演奏ですが、以前聴いた雰囲気、波動とは明らかに違いました。まず、音がとても軽やかで、爽やかな波動です。

ご本人が一皮むけたのでしょう。開放感があり、伸びやかな音です。技術に関しては私は語れるものはありませんが、技術的にも違うのはわかりました。


さて、ここからは一般的ではない私の感覚的な体験の話です。

私は自分が日本人で良かったと思っておりまして、日本人の感性が大好きです。間の文化や以心伝心をベースにした細やかな心遣い、気配りなど世界に類を見ないものもあると思います。

ですがたまに、わからないでいられたら、気づかずにいられたら・・・なんて、贅沢な想いもふと過ぎることもあります。わかる、感じるということは良いことばかり感じるわけではありませんから。

今回演奏を拝聴して、ハッキリと感じられたのが、音や波動を通じてのRAURAさんの(RAURAさんのみならずアメリカの)今までとは違う波動、雰囲気でした。

これはリズムとかビートとか、あるいは演奏技法という表現のレベルの違いではなく、ご本人の質的な変化が響きとなって現れているものです。

上記したように、日本人特有の微妙な間合い、気持ちを感じてしまうなど、ある種の心の襞に微かな澱のようなものがまとわりつき、拘らないようにしようとは思うのですが、感じてしまうものですから如何ともし難くというような感覚、感慨は多くの方がご経験されているでしょう。

今回、RAURAさんの演奏を拝聴して、ここが感覚的にスッキリしました。頭で拘らないように、受け流すようにとしてきましたが、感じつつも気にならないという明瞭な感覚を体験しました。

梅雨の日本からハワイに行ったような感覚が近いと思います(笑)

ライブファン限定の新しいCDを早速聞きながらこのブログを書いているわけですが、奏法がほとんど同じなので、今も強烈に余韻に浸っております~♪

あっ、暑かったので帰りに缶酎ハイを買ってきて飲んだので、それも効いちゃってます(笑)
【2012/05/20 23:16】 | クリスタルボール | トラックバック(0) | コメント(0)
初心を思い出す
一昨日からPCの具合が悪く、ログイン画面から先に入れずループ状態で、サポートセンターにメールで問い合わせたり、バックアップ可能なものはしたりと、大変でした(T_T)

初期化も覚悟でしたが、いろいろ手を尽くして何とか回復しました。もっとも騙し騙し状態ですが(^_^;)

結局、丸3日費やし、いつも思う事ですが、PCのトラブルは影響大かつ壮大な無駄なものですね(苦笑)

その前の3日間が充実していましたので、プラマイゼロというところでしょうか(笑)

土曜日~月曜日まで、ワイルドマン博士のWSを受けてきました。タイトルは・・・


<ダンサー、俳優、志望者、指導者のための バランスとテクニックの再構築>
フェルデンクライス ワークショップ フランク・ワイルドマン博士と共に学ぶ


対象は主にダンサーです。

ワイルドマン博士はダンサー対象にやりたかったようですが、募集期間も短かったため、俳優以下がプラスされて、私もかろうじて対象になり得たわけです(笑)

ですから、内容は主としてクラシックバレエの基本からというものでして、私には凄く高度かつ困難なものでした。

もっとも、何らかの困難さが生じるであろうことはタイトルからも想像していましたから、私なりに課題を立てて、その範囲で何か得られれば御の字でしたが、予想外に得るものがありました。

今回は主として対象がダンサーですから、私のような平均的一般人よりは格段に身体意識及び身体レベルの高い人達が集まるので、普段身近に接することのない人達の動きを直に見ることができることが、受ける際の最大の理由です。

で、受けてみてやはり、圧倒的に私とは違う!!!(T_T)という事を強烈に実感できました。

もっとも、ここまでは既定路線ですから、凹みますが、当然という感情と思いもあります。

予想外の収穫とは、フェルデンクライスを媒介にすれば、自分には到底無理と思えるバレエもひょっとすると可能かも!と思わせてくれるような感動でした。

ターンやさらに跳躍しながらターンをして移動していくことをたった3日間で可能かも?と思わせるようなやり方があるのかと感嘆しきりでしたが・・・出来るようになるにはそう簡単にはいきません(笑)

そして、フェルデンクライスの初心者だった頃の幾つかの気持ちを思い出させてもらいました。

跳躍して空中で姿勢を制御しながらのターンは、ダンス経験者でないとまずは不可能です。ダンサーは見事に課題をこなしていましたが、私を含め素人衆はそれはもう、見るも無惨でして(笑)

自分が空中でどんな姿勢をしているのか、サッパリ分からず、バランスどころでなく・・・

そこで、伝家の宝刀を抜くわけです。そうです!!!イメージです!!!

まずは見事なジャンプやターンをしている人をしっかりと観察し、頭の中で何度も再生し・・・この能力は初めてフェルデンクライスをやった頃とは雲泥の差と思えるほど、レベルが上がっているのを感じました。

し・か・し・・・頭の中のイメージと現実に自分が空中でターンをするのがこれほど落差があるとは思いもしませんでした(≧◇≦)

分析してみると、空中でターンをする際の身体情報が皆無といっていいほど乏しく、まさに脳内イメージ(妄想レベル)に留まっているのです。

ですから、目の前の見事な動きをしているダンサーを見事にイメージしても、そのイメージと自分の身体感覚はまったく結びついていませんので、白馬に乗った王子様を夢見るが如くの妄想と同じです。

この場合、大事な事は、白馬の蹄の音や、馬や王子の香り、馬の嘶きや王子の声、馬から降りてきて自分に近づいて来る感覚、そして自分を抱き上げてくれる王子の腕の力強さや体温、鼓動、etc.をイメージしなければなりません。

つまり、どれだけリアルに感じられるか!!!であって、テレビの画面を見るようなイメージではダメなのです。このレベルではまさに妄想レベルです。もしも、イメージしても実現しない、し難いという方はこのレベルでイメージしているのです。

そして、まさに私がやったこと(正確にはやれたこと!)がこれでした。目の前で、素晴らしいターンを見せられ、自分を重ね合わせましたが、まるで実感はなし。

ですから、頭の中では見事な空中でのターンをするはずなのに、実際にはぴょこたんと飛び跳ねているだけのリアルな情報が脳にやってきて、その落差に愕然とすることのオンパレードです。

そして、これが、これこそが、イメージの初心者やイメージ能力が伸びない人の特徴の一つだ!と強烈に思い知らされた一コマとなりました。

当初はリアル情報はゼロでしたが、何度もやっているうちに、ちょっとずつ、不正確ではありますが、その動きの情報がもたらされ、自転車が乗れる一瞬を体験するかの如くの感覚や動作が蓄積されていくと、脳内のダンサーのある部分の動きと自分の身体の同じ箇所が動く感覚が育ってきます。こうして、実際とイメージ能力が上達していくのだなぁと上達過程を眺める事ができたのは、自分にとっては最大の学びでした(#^.^#)

バレエは観ても素晴らしいですが、自分で出来ればその感動は途轍もないものでしょう。

私のように高齢者で身体が硬くても、その気にさせてくれる道があります。もちろん、安易な道ではありませんが、不可能ではありません。高度なレベルは無理でしょう(というか、普通にバレエの動きは一般人には高度で難易度が高いと思います)が、お好きな方は受けてみたらいかがでしょう。観るよりやる(やれる)ほうが人生、何倍も楽しいと思いますよ(^_-) ちなみに来年以降もこのWSは続けるそうです。
【2012/05/17 23:19】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 49 他力との邂逅
さて、このシリーズもいつの間にやら50回近くなりました。私は以前書いたものは読み返さないので、似たような話や、同じサブタイトルも使うかと思います。覚えていれば避けるのですが(^_^;) 同じものを見た記憶がある方は、本人が関心の強いものなんだな!くらいに思っておいてください(笑)

また、一応、不特定多数向けですからなるべく一般的な話題、書き方をしているつもりです。それでも、私の好みの領域に偏るのは当然ですし、門外漢のエリアはなるべく踏み込まないつもりです。

たとえば、イラクの青年、インドで出会った女性、そして私の認識も個別的に立ち入れば、当然、違いがあります。神経システムも育ちも違うわけですから、同じわけがありません。精神分析とか心理学的な技法で、より詳しく立ち入れるのかもしれませんが、私は専門家ではありませんから分かりません。

さらに、専門の領域から話を始めると、広い意味での教育からは遠ざかります。専門にしている方なら役立つかもしれませんが、部外者にはサッパリ???となるわけです。それでは不特定多数向けではなく、特定少数派向けになってしまいます。

ですから、なるべくアバウトに書いていくので、深い知識もいりません。むしろ、細かな事実?に興味がある方や厳格さや精密さを要求される方には不満だらけだと思います。ですが、そのような方がこのブログを延々と読まれるとは思えませんし、私とは志向する方向が違うので、この形式は変えません。

とはいえ、私の教養の至らなさと適切な概念や表現を知らないために、他分野から借りてくることはお断りしておかなければなりません。サブタイトルの他力も宗教的な世界からお借りしております。以前もちらりと自力、他力と使いましたが、以上のような事情によるもので、別段、私は宗教の話をするつもりは毛頭ありません。

たまにスタンスを書いておかないと文字だけ読むと何かの宗教の話かなとここから読む方はお思いになるでしょうから、念のため(笑)

さて、前回の続きです。

イラクの彼もインドの彼女も私も自分の好きなように行動していきます。現象的な違いは、彼は思い通りになり、彼女は思い通りになりにくく、私はまったく思い通りにはならないという違いだけで、頭の中では、思い通りにしようとしているわけです(笑) 

もう少し大きな視点で眺めてみると、三者にさらに共通しているのは外界と自分との関係性を認識する能力がまったくと言っていい程欠如している点でした。それを、サバイブするという一つの観点から考察してみたのが前々回です。

さらにもう少し考えてみると、この三者にはもう一つ共通したものがあります。それは、当人主体の立場では、チャンス、他者的な、擬人的な観点からは救い!があるということです。要するに俗に言う幸運ですね。

彼は、今のイラクは危険だからと、多くの方から一刻も早く出国するように諭されました。彼女は我々経験者から、そして私は、見えない力?によって。

もしも、神という存在がいるとしたら・・・本人の為を思い、他人の口を借りて、何度も言っていることを、かくも見事に無視している人間を救おうとしているのですから・・・これぞ、私にはまさに神の如し!と思えます(笑)

彼も彼女も私も一度ではありませんね。何度も何度もです!!!私がアドバイスする立場だったら本人の自由意志を尊重し、基本的に一度で終わりです。だいたい、こういう人間は最後は神も仏もいないのか!!!と絶叫し、逆恨みも甚だしいですから(苦笑) 自分の事ですからハッキリわかります(笑) 

逆の意味で触らぬ神に祟りなしです。私は逆恨みされて笑っていられるほど、人間は出来ていません。ですから、今の私のレベルでは、関わる場合、逆恨みは覚悟の上となります。そこまでしても関わりたいという人、恨むどころか、それで命を落としても悔い無しというところまで惚れ込まないと、とても、ここまで私にはできません。今の私は人を恨みたくないですから・・・

オーバーなとお思いの方もいるでしょうが、命がけの人の逆恨みです。文字のみで軽やかに読み流す人はお気を付けを(笑) こうしてお互いが逆恨みの連鎖に入っていって、(逆)が取れて、本当の恨みの連鎖になってしまうのでしょう。以前書いた、武将の霊も私があれで命を落とせば、私が誰かに取り憑いていくとも限らないわけで。

ちょっと、横道に逸れましたね。で、私は何度も『君はついている!!!』と聴く事になるわけですが、私としては、今度こそ自分の思ったとおりに!!!が一度も実現しないどころか、悉く、自分の望まない、真逆の方向へ行かざるをえないわけですから、結果として確かについているとしても、感情と思考ではまったく納得できなかったわけです。

当時の私の感情、思考と状況をもう少し補足しておきます。

当時、インドへせっかく行くのだから、できる限り日本人とは会わないと決めてました。ですから、観光地には行きませんし、なるべく日本人のいないところへ、ホテルも日本人のいなさそうなところへと渡り歩いていました。

私はヒンズー語は全然わかりませんし、それどころか英語すらよくわかりませんでした。私は弱い人間ですから、日本人に会えば、どうしても頼ったり、群れたくなります。そんな自分が嫌でしたから、あえて、できる限り関わらない旅にしようと決めていました。こういう頑なさが命を縮めるんですけどね(笑)

スルジェハウスに行かざるをえない時も、そんな状態なのに、日本人ばかりのところに行かなきゃならないのかよ!!!という感情が迸っているような状態です。自分を客観視できない人間の哀れさです。自分の思ったとおりにならないと感情が迸る、まるで聞き分けの無い幼児です。自分の事しかないんですね。もしも、神という存在があるとすれば、こんな人間すら救おうとする・・・本当になんと神とは偉大で慈悲深い存在なのかと思わずにはいれません。

結局、スルジェハウスには静養する必要性もあり、一ヶ月ほどいました。ネパール人の気性は非常に日本人に近いのですが、インド人はかなり異質で、相手をするのが凄く疲れるのです。インドを長旅をする人は、疲れるとネパールで静養し、英気を養い、気合いを入れて、またインドに旅立ちます(笑)

私がスルジェハウスに来て一週間ほどした時、誰かが、最近、インドからツーリストが来ないねぇ~!と言いました。私が来てから、パタリと人が来なくなったのです。今までは必ず、毎日、何人かは来ていたので、不思議だねぇ~とのどかなものです。

そんなある日、インドで何か起きたらしい???と噂が流れてきました。ちょうど、日本人の女の子が帰国のために家族に国際電話をかけたら、インドで、インディラ・ガンディー首相が暗殺され、あちこちで暴動が起き、大変なことになっていると聞き、すっ飛んでみんなに報告してきました。隣の国で起きた事なのに日本のほうが詳しいわけで。携帯なんてあるわけもなく、当時はそんなノンビリしたものだったのです(笑)

シク教徒に暗殺されたので、ヒンズー教徒の報復が始まるのではと、暴動に巻き込まれるのを怖れ、商店は皆、シャッターを降ろし、国境は即座に封鎖されました。戒厳令下のような状態になり、それでツーリストも誰も来なかったのです。

つまり、なぜ私は急き立てられるかのようにインドを出て、ネパールに入らなければならなかったかが、これでハッキリわかりました。私が留まりたいと思っていたところは、ネパールとの国境に近い田舎町です。もしもその時、インドにいたら・・・おそらく助からなかったでしょう。人々は暴動を怖れて家々は戸締まりをし、店も全部閉まっていたそうですから、医者にかかることや薬を手に入れることはまずは不可能でしょう。平時ですら、少し特殊なものは都会に出なければ入手は難しい田舎の上にです。

自分の思ったとおりにしたいのに、その真逆になったことすべてが悉く正しく・・・

スルジェハウスには日本人が残していった日本語の本が何冊もあり、私も暇でしたから、読んでいたのですが、その一冊に『如是我聞』というタイトルのボロボロの本がありました。著者は五井昌久、神社仏閣などに『世界人類は平和でありますように』というピースポールが立てられているのを見かけますが、この方の団体が建立したものです。私はまったく知りませんでしたが、帰国してから、あちこちの神社で見かけました。何度も行ったことのある神社なのに、目にしているハズなのに気づかないんですね。まさに、『吾人は己が能力の範囲内でしか事物を認識することは出来ない』ということですね(苦笑)

この『如是我聞』は、五井先生の言葉が短く綴られているのですが、読んで衝撃を受けました。まさに自分が体験し感じたことが見事に書かれていたからです。

まさに他力という世界(観)が、とてもやさしい話し言葉で書かれていて、まるで染み入るように私の心に染み渡っていきました。

当時、五井先生は既に他界されていましたが、道場はご近所の市川にあり・・・でも、私の感情が、感覚が、思考が、その教え、概念を受け入れられるようになるには、すなわち、頑な認識が解放されるためには、命を落とすようなプロセスを辿らない限り、変容は起こりえなかったというわけです。そして、こういうわかり方を下根という!とその本にしっかりと書いてありました(笑)

私がインドに行ったのは、宗教的な言い方をすれば他力の教えに出会うため、認識論的には己の頑なな認識を解放するためだった!!!ということです。顕在意識ではまったく知りようもありませんでしたが。それに知ったところで、偏狭な顕在意識は受け入れるわけもありませんから(苦笑)

もちろん、知ったからとて、そう簡単に己の性が変わるわけではありません(^_^;) 知ってから生き様に変えていく作業が死ぬまで(その後も?)続くのでしょう。
【2012/05/10 00:39】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 48 変化をしたくないならば変化しなければならない
サブタイトルはイギリスのブレア元首相が言った記憶があります。チラッとTVで見ただけなので、細かい経緯は知りませんが、その言葉が印象的だったので、未だに記憶に残っています。

言葉だけ眺めれば(聴けば)、矛盾ですが、このブログでお付き合いしてくださっている方々には何となくではあっても、脳裏を過ぎる、引っ掛かるものがあるかと思います。

要するに彼は、古き良きイギリスの文化や歴史、伝統的なライフスタイルなどを変えたくないのならば、激動の世界情勢の渦中にあって、それらが継続できるように、そのシステムを変えて(改善して)いかなかければならない。さもないと、失いたくないのに結果として失ってしまう!!!というような事を言いたかったのでしょう。

前回と合わせて説けば、動物(生物というより自然)も、社会(歴史、例えば国々の栄枯盛衰など)も、人間(個々人の認識)も同じような原理(法則)で貫かれているわけです。

つまり、ヘラクレイトスの発見した、万物は流転する!という法則を個別の分野や事例で、その世界の言葉で語っているわけです。

だとすると、流転は必然であるにも関わらず、流転したくない場合は・・・となるわけですが、万物に通じるような高度な法則ですから例外はないわけです。

ですが、この法則は長い目でみれば、流転するは必定であると言っている抽象性の高いものです。どのような必然性の過程を辿るか、辿らせられるかという過程の構造にまでは踏み込んでいません。というより、捨象しているわけです。

生物は、代謝という形を取って、外界から絶えず新しいモノを摂取し、自己化し、老廃物を排出するという形式を生み出しました。つまり、絶えず変わることで変わらないという道です。それでも、限界が来た時、DNAで次ぎの世代に自らを引き継ぐという形ですね。

歴史を眺めてみると、古来より様々な民族や国々の栄枯盛衰がありました。様々な民族や国々が勃興し、栄華を極め、衰退し、時には滅んでいきます。ヘラクレイトスの言った通りの過程を皆、辿っていきますが、もう少し、その内実に立ち入ってみると、変化の仕方に違いがあります。数世代、時には一世代で終わってしまうような国々がたくさん有る中で、ローマ帝国のように2千年近く(諸説ありますが)続いた国もあります。

その差は何かといえば、ブレア元首相が言った変化を上手く(当然ダメな方向もあります)行えたか?ということでしょう。

そして、この万物に適応できる論理から眺めてみれば、新しい環境(外界の変化)に、前回の彼も彼女もそして、これから書く私も適応(変化)しているでしょうか?となるわけです(笑)


もうここまで分かれば、同じ論理ですから私の頭の中も同じなので、読む必要もありません(笑)ですが、別な側面でも興味深い事がありますので、次回以降に繋がるので書いておきましょう。この側面は彼にも彼女にもあります。要はそこから何を学べるか?ですが、これは個人差があります。学べないかもしれないし、学ぶ前に命を落としてしまうかもしれないわけで・・・

インドやスリランカ、ネパールには仏教の四大聖地とか八大聖地、ヒンズー教のやはり四大聖地や八大聖地などがあります。各宗徒にはまさに聖地なわけですが、私には今流行のパワースポット巡りのようなものです。結果として、四大とか八大とか名の付く聖地は全部巡りましたが、例えば真面目?なヒンズー教徒の人に言うと、呆然とした眼差しで、ニルバーナ(涅槃)に行ける!!!と度々絶叫されました。彼らの真面目さ、真摯さを思うと自分の軽薄さは情けないですが、その場所に行きたいという情熱は、何故かは分かりませんが、彼らに負けず劣らずありました。

というわけで、何故かインドに行くハメに陥った私は、泣く泣くインドに行く事になりました(笑) この経緯は書きませんが、まさに泣き面に蜂!の如くです。

さて、もう何から何まで、矢継ぎ早に不測の事態の連続ばかりに遭遇することになるわけですが、そんな事を書いていたらインド旅行記になってしまいます(笑)

肝腎のところだけ書きます。本当は、その各状況の時の認識に踏み込むと面白いですけど(笑)

仏教の四大聖地を巡り始めた時からそれは起きました。

そこで食べたものが大当たりだったようで、アメーバー赤痢に罹りました。赤痢の超強力版ですね。コレラほどではありませんが、いずれ確実に死にます。死ぬまで下痢が止まりませんから(笑)

サルナートからバスを乗り継ぎ、8時間くらいだったと思いますが、クシーナガラーに到着。そこで、一気に発病しました。まぁ、普通じゃないのはトイレに行けば分かりますから、しまった!!!となり、そこから何日くらいで死ぬかと逆算を始めるわけです。いとも簡単に書いてますが、頭の中はパニックです(笑)

この時は嘔吐と下痢で寒気もして、衰弱が一気に進みました。インドでは基本、何でもカレー味です。体調が崩れると臭いだけで吐き気を催し、身体がカレーを受け付けないんですね。そこで、リンゴだけを囓りながら、水分を補給し、まずは静養し少しでも体力を回復してと、勝手に判断しました。

当時はクシーナガラーには、政府公認の立派(他があまりに酷いので)なツーリストバンガローと巡礼宿が幾つかありました。窓もない土蔵のような造りで、簡易ベッド一つあれば良い部類です。そして、まずはノミやシラミ、南京虫付きです(笑)

身体がきついのに、虫たちとの格闘は辛すぎるので、当然、ツーリストバンガローに宿泊です。クシーナガラーはお釈迦様が亡くなった場所ですが、私が死んだとて、シャレにもなりません。馬鹿なバックパッカーが下痢で死んだだけですから(笑)

とてもじゃないが、下痢が止まらず、バスの旅は続けられないので、支配人に数日泊めてくれと頼むと、それはダメだと断られました。

体調が悪いからと何度も頼むと、泊めてやりたいのはやまやまだが、明日は団体が入っているから無理だと。今日は泊まれるのだから、ラッキーじゃないか!と慰められる始末で(苦笑) 巡礼宿はとてもじゃないけど、泊まる気にはなりません。仕方なく、下痢を減らすために断食して翌日、ルンビニーに旅立つ事にしました。

ルンビニーはネパール領で、インドとの国境近くですが、バスを何度か乗り継ぎ、入国手続きをしてやっと到着。今では日本の援助もあり法華クラブなど立派な施設もありますが、当時はやはり、ツーリストバンガローと巡礼宿のみ。当然、選択肢はツーリストバンガローのみです。そして、幸運な事に、そこには日本語が多少分かる従業員もいました。日本からの仏教徒の団体が時期によっては結構来るので、日本人向けのスタッフでした。

彼に事情を説明すると、おかゆと梅干しを持ってきてくれました。この時は涙が出るほど嬉しく(笑) おかゆと梅干しなら身体が受け付けてくれるので、しみじみと自分は日本人だなぁと(笑)

元気も出て、ここなら、何とかなりそうだと希望も出てきたので、ここに何日か泊めてくれと頼むと、キッパリとそれはダメ!と断られました。彼曰く、君はラッキーだよ!今日泊まれたじゃないか!明日からはタイの団体が入っているからダメだよ!

ひょっとして、クシーナガラーからタイの団体が私の後を追いかけてるのか?!? 彼曰く、ニヤリ!と笑いながら、そうだね!本当に君はラッキーだよ!今日は泊まれるんだから!・・・私は、身体にこんな良い場所はないとの思いで、どこか、物置でもいいからないか?と頼むと、ダメだとキッパリ。

仕方なく、他の宿を当たるしかなくなりましたが、当時は、巡礼宿のみですから、ルンビニーにはないので、またまた断食でバスを乗り継ぎ、ネパールのポカラまで行くことに。

ポカラの湖の近くのホテルに泊まることにしていたのですが、バス停がレイクサイドからかなりの距離があり、衰弱している身体では息も絶え絶えで、やっと探し当てたホテルに行くと、従業員同士がおしゃべりしていて私の相手をしません。

私はまっすぐ立っていられないので、両膝に手をついて話す時に身体を起こすのですが、ハエを追い払うように相手をしないのです。交渉する気力も体力もなく頼むからと拝むような仕草をすると、日本人は日本人のところに行け!と追い払われてしまいました。

朦朧としながら、彼らに言われた、日本人のロッジ(当時はレイクサイドにあった)、スルジェハウス(平尾昌晃さんの弟さんが経営)に辿り着きました。

平尾さんは、私を見るなり、君はラッキーだねぇ~!今朝、ドミトリーのベッドが一つ空いたよ!ズーッと最近、フルだったからなぁ。

とにかく、宿がキープでき、日本語も通じる事のありがたさ!!!その部屋に居た日本人にテトラサイクリンという抗生物質を飲めば治るよ!と言われ、これで治ると気分も上々!とまではいきませんが、助かった!!!と思ったの束の間・・・治らないんです(T_T)

数日のうちに、どんどん症状が進行し、骨と皮だけになっていきました。歩くのも骨が軋んで痛いんです。平尾さんも、流石に死なれるとマズイと思ったのでしょう。ロミラさん(ロミラの夢という本の主人公の女性)を私に付き添わせて、医者に行かせました。ロミラさんは日本語も話せたので通訳してくださいました。

クロロストレップという当時は最強の抗生物質を処方し、君はラッキーだねぇ~!!!明日来てたら死んでたね!!!と真顔で言われました(苦笑) 二度と汚いものは食べないようにね!次ぎ、再発すると死ぬから!とも言われました(T_T) まぁ、2年後、性懲りも無く、また行ってネパールに入って速効で再発することになるわけですが(苦笑) この時には知る由もありません(笑)

さて、何度も、ラッキーと言われ続けると、さすが下根の私でも、これはなんじゃ???と疑問が湧くわけで(笑)

長くなったので、続きは次回!
【2012/05/02 19:26】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
いざ!自由へ フェルデンクライス・メソッド


フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

プロフィール

kanfuboy7

Author:kanfuboy7
フェルデンクライス・プラクティショナー

夢は猫や虎のようにしなやかに自由自在に動く爺になる事です(笑) 現在、夢に向かってばく進中?

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

リンク

FC2カウンター

カレンダー

04 | 2012/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する