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疑問に応える 55 秘訣
前回のブログでは何ヶ所か随分とまぁ大言壮語な事を・・・と思われて苦笑された方もいるかもしれませんね。

このブログを毎度読んでくださっている方は、さほど違和感はないと思いますが(笑) 私の生徒さんは当然!!!と思って(自分の事のように実感して)いる方々も多いでしょう。

日本の社会では、謙虚である事が美徳ですから、あまり大きな事は言わないほうがウケは好いですね。皆さんの御陰で・・・と言っておくのが無難でしょう(笑)

これに関しては私も郷に入れば郷に従え!派ですから異論はありません。ですが、内実に立ち入れば、そう単純ではありません。

何故、大きくブチ上げたのか?ですが、以前にも書いた記憶がありますが、脳は自分の考えに規定されるからです。つまり、一番思いを込めて考え続けた事が現実化する可能性が一番高いわけですから、どうせ考えるなら壮大に・・・は当然です。

だからこそ『少年よ大志を抱け!』は真理であり、こうした壮大な志、大志、野望を鼓舞する言葉が死語の如く化してきた現在、日本人全体が凋落し、その成れの果てが今日も国会で騒いでいるわけです(苦笑)

冗談はさておき、サブタイトルに秘訣と書きましたので、一つ二つ。

上記したように、本来であれば大言壮語は、日本社会ではしないほうが賢明ですが、絶対的というわけではありません。あいつならば、やるだろうね!というような段階にまで達している人は、逆に他人の力(想念)を自分の願望成就に利用することが出来ます。

何かを達成しようとしている時、願望を発しているのは自分の脳なわけですが、他人の脳にも『あの人ならやるんじゃない!!!』と発してもらって、自分の負担を軽くする、加速してもらうわけです(笑)

度々ご紹介した山田先生は、自分の中で7割方達成したら、後は周囲の人に話すと一気に加速するよ!と仰ってました。

5割くらいできつい時は、親しくて自分の考えに同意してくれる少数の肯定的な人に話すと、建設的な想念を発してくれて、道筋が見えたり軽くなるとも言ってました。

というわけで、だからの大言壮語だったわけです(笑)

さらに、私は試してみて効果的な方法はこうして皆さんにお伝えしてしまうわけですが、自分だけ独占しておけば・・・と頭を過ぎる方もいるかもしれません。私が若かりし頃は当然そうでした(笑) これで、頭一つ抜け出せると(笑)

ですが、私が出会った凄い人達は誰一人として、そんなケチ臭い、ちっぽけな人間はいませんでした。もちろん、私が出会った人たちは、既に凄くなっていたわけですから、若い頃は知りません。ですが、過程が見えるようになってくると、仮にあったとしてもごく僅かな期間であったはずであり、論理的に考えてもケチ臭いとあそこまで行くのは至難なんですね。

たとえば、今と違いネットなんてありませんから、情報は自分の足を使って、あるいは人から聞(訊)いてとなります。ケチ臭いと相手もそれに見合った情報しか提供しません。というか、類は友を呼ぶ!で優れた人間とは出会うチャンスが減ってしまいます。優れた人間は隠しませんから(笑)

ですから、こういう人達は自分からどんどん情報を出してしまうんですね。そうすると、情報を求めていろいろな人が勝手に集まって来ます。集まってきた人自体は大したことがなくても、こういう人はあちらこちら渡り歩いて良い情報を持っている事も多々有ります。当人はその情報は使えなくても、凄い人達は一を聞いて十を知る!かの如く、モノにしてしまうんですね。私は散々その凄さを見てきましたから、その能力差には唖然として。・゚・(ノ∀`)・゚・。

というわけで、能力差は致し方ありませんが、まずはケチ臭いところは改善できるなと(笑) 私には取れなくても、このブログを読んでくださった皆さんのどなたかが、もっと素晴らしいモノを引き出して、盗ってくださるなら望外の喜こびなんです。

そしたら、私にも少しお裾分けしてくださいね~(^_-)
【2012/06/27 00:56】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 54 少し戻って
前回は同年代の聖子ちゃんの話題も取り上げたので、前々回との繋がりが多少薄くなった感があります。

例えば、前々回の最後に次回は衝撃的だった体験談をと書きながら、前回のどこが衝撃的だったのかと思われた方もいらっしゃるでしょう。

中年の伊藤さんがテキパキと若々しく軽やかに、青年の我々がドッシリと重々しく?という件のところだろうとは思っていただけているとは思いますが。

この時、我々もフェルデンクライスを始めて2~3年は経っていて、多少この方向での神経系も育ち始め、僅かながらの知識も得ていましたから、比較する能力くらいは持っていました。ただ、我々は若造でしたし、時代の先端を行っているかの如き(単に人より早く知っただけですが)思いを持っていましたから、まさか、自分たちがお粗末な方の代表格になろうとはこれっぽっちも脳裏に過ぎっていなかったわけです(笑) だからこその、伊藤さんに対する『中々、気の利く青年だねぇ。感心、感心!』とまったく自分のレベルも解らない人間の上から目線となっていたということです。

こんな事は社会では、世間ではあまりにありすぎて、ない事があり得ない程の常態ですが、我々は気づきを高めて云々・・・と宣うていたわけですから、情けなさたるや(^_^;)

さて、ここまでは若かりし頃、過去の情けない失敗談を回想したものですが、ここからはこの時点から架空の未来へ向けての推理というか予想をしてみると今の自分はまさに背筋が凍るような怖さを感じることとなります。

あの時点で伊藤さんは我々よりも実年齢が20歳前後上だったわけですが、我々は伊藤さんよりも20歳(内実は40歳)以上も年寄りだったともいえます。というか、正確に言えば、こちらが事実です。

若々しいのは若いのであり、老けて見えるのは老けているだけなのです。とはいえ、後者は受け入れがたいことですが(^_^;)

さらにです!!!ある程度年齢のいった人が、若く見えるのみならず、若々しく動けるとあれば、この人を見て、劣っている若者が『俺はでもまだ20歳だぞ!』と叫んだところで、若い老人の戯言でしかありません。誰が見たって、彼のほうが年寄りくさいわけですから(笑)

では、この若者は20年後、この若々しい人のまさにその歳になった時、どうなっているのか?は言わずもがなですね。何も手を打たなければ、当然の如く本物のオッサン(年寄り)と呼ばれる存在となっているわけです。

この写真は玉三郎さんと海老蔵さんが並んで写っていますが、60歳ちょっと前くらいですね。海老蔵さんは20代後半くらいでしょうか。20代とタメを張れるのですから、恐るべきアラ還ですね(笑)

これは特別な人じゃないか!!!と思う方もいらっしゃるでしょう。そうです!!!特別な人です。こんな凄い人が師と仰いだのが伊藤さんであり、そんな凄い人が我々の直ぐ隣にいて、まったく我々にその凄さを感じさせない、気づかせないほどの所作と物腰を体現していたのです。

さて、別段、若々しいからといって、人間が立派であるとか優れているという気は無いことは常々申し上げているとおりです。若々しくなければいけないなんていう気も毛頭ありません。

ただ40代以降の人や田舎で育った人は子供の頃、自然の野山や田んぼを駆け回り、一日中遊び回った頃の思い出を思い出すことがありますか?遠い眼差しとなる素敵な思い出ですか?

若々しく動ける人は実際に動けちゃうんですよ。本当に楽しく気持ち良く。ただ、大人ですから、配慮はしますよ。まして、こんな時代ですから、例えば公園ではしゃいでいたら、即、警察に通報されちゃうでしょう(笑)

もちろん、子供の時や若い時と同様に長時間動き回る、遊ぶ事ができるわけではありません。それでしたら、子供と年寄りの違いがないですから(笑) 束の間ないし、短時間ではありますが、子供の頃と同様の感覚に想像ではなく実体(肉体)を介して同じように(人によってはそれ以上に)浸れる、味わえるわけです。

リアルに感じるということは現実そのものでもあるわけですから、アキレス腱を切るお父さん達とは別次元の現実、能力を持っているともいえます。

そして、これは求めれば誰にでも手に入る可能性があるという歴史上極めて希な時代に我々が生きていることでもあります。これは壮大すぎますか(笑)

では最後に・・・伊藤さんは、50歳の時に試しに初めてスキーをやってみたそうです。スキー教室に入って未だかつて無い上達の早さ(同年代どころか若者でもあり得ない早さ)に、そのスクールから教材に使いたいから、上達風景の映像を使わせて欲しいと頼まれたそうです。

私が凄いですねぇ~!!!と感嘆すると、別に普段どおり動いていただけなんだどね!と飄々と仰っておりました。

私もいつの日か、伊藤さんのように・・・と憧れていましたが、年齢が近づくにつれて、むしろ彼の動きを思い出すと距離感や凄さばかりが実感される今日この頃です。

伊藤さんの足元にも及びませんが、30歳の自分が今の自分を見たら、なんなんだ!!!このオッサン!!!と思うレベルには来てしまいました。凄まじい努力をしたのなら大いに自慢したいところですが、伊藤さんの仰る通り確かに普段どおりですから実感がありません(笑)伊藤さんが何であんなに飄々としていたのか、多少わかる気がします。

だから、これを読んでくださっている皆さん、皆さんも当然可能です!!!

○○や××に何を入れるのかは皆さん次第です。

今の自分が10年後の自分に遭ったら・・・こんな○○を吐かせたい!!!
バケモノって本当にいるんだな((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル(妄想です 笑)
【2012/06/21 20:58】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 53 一つ先をいく・・・
聖子ちゃんが結婚されたそうですね!

たまたまテレビで観たのですが、大騒ぎぶりにもビックリです(笑) ですが、同年代の私としては嬉しさもあります~♪

私の嬉しさは多くの方のご想像とはおそらく違うものだろうと思います。前回の続きともちょうど絡むところもありますので、面白い偶然です。

私は聖子ちゃん(聖子さんとは言わないと失礼かな)のファンではありません。ただ、随分と彼女の曲は聴かされました(笑)

大学生の頃、北海道を1ヶ月ほど友人2人とツーリングして、そのうちの1人が大ファンで、カセットに録音し、彼が運転するときはカーステレオから彼女の曲ばかりが流れてくるので、頭の中で彼女の歌声がこだましっぱなしになりました(笑)

当時もアイドルでしたが、今でもアイドルと言われて違和感がないのですから、大したものです。この違和感のなさ(凄さ)は、単にアイドルの雰囲気のままでいる(いられる)からではなく、アイドルの内実の変化をも彼女の実力で社会に認めさせてきた、認めさせていくというものだからです。

ですから、当然周囲(その時代の社会)と凄い摩擦も生じますし、その摩擦すら己のエネルギーに変えていけるような精神力も必要であり、生半可な気力や意志程度ではあっという間につぶされてしまいます。

単に自分のやりたいようにやるではダメで、次なる社会(時代)が何を求めるかを敏感に察知し、その一歩先を行く(生く)必要があるわけです。

例えば、2度目の結婚の時はビビビと来た!から結婚!!!で通用するというか、社会が受け入れはじめる時代性でしたが、今、そういう発表をすれば反感やひんしゅくを買いかねない雰囲気(社会、時代)です。

50歳だから、落ち着いたともいえますが、そればかりではなく、「同世代の伴侶と新たな人生を歩き出します」という件は、3.11以降の不安な世相を反映して、人々がシンプルに求める安心感を代弁したものともいえます。

彼女なりの次ぎの人生が必要としているテーマが、時代の一歩先を行く(生く)感があるからこそ、多くの人が受け入れられる、共感していくわけで、遙か先を行けば、変人奇人扱いされ思いっきり叩かれるのみとなります。

とはいえ、単に先を行く(生く)だけでは、一過性のブームや一発屋が関の山です。次ぎの社会(時代)という大きなうねりを捉え、その最先端に乗ってそちらに社会(時代)をより見事にリードしていける実力も必要です。表には出さずとも、並外れた苦労もあるはずです。

ということで、同年代の私としては大いに刺激を受けるわけで、嬉しいとなるわけです~♪

さて、ここから前回の続きとなりますが、私の若い頃はフェルデンクライスを学べる機会は今とは違い、ほんの僅かでした。特に、本格的に指導できるドロン・ナボン氏のワークショップは基本的には春と秋の2回くらいでしたから、春と秋になるとどこからともなく学びたい人間が集まってくるわけですが、このメソッド自体を知っている人が日本で希でしたから、集まってくるメンバーも必然的に毎度同じような顔ぶれとなります。

神田の体育館で開催されたワークショップの後、地下にある食堂で皆でお茶をする事になりました。暑かったので、ビールでもということになり、20人以上いたと思いますが、1人の人がテキパキと見事に手配をしてくれました。

この方は何度か見かけてはいましたが、明瞭に意識に上ったのはこの時が初めてです。この時、私と同年代の人が何人かおり、彼らと、『中々、気の利く青年だねぇ。感心、感心!』と我々はどかりと真ん中に座って、おしゃべりをしておりました。

後に、とんでもない失態を(^_^;)(^_^;)(^_^;) と我々は雁首揃えて真っ青になるわけですが、この時は知る由もなく(笑)

この方こそ、以前何度か触れた、今は亡き伊藤昇さんでした。当時、40代半くらいだと思いますが、我々20代半ばの人間が同年代と勘違いするほど若々しいのみならず、我々以上に若々しく動き回っていたわけですから、今の私でしたら、目にとまりますが、当時のジジイの私の身体意識及び認識力では、気の利く若者程度が関の山です(苦笑)

後に、トレーニングコースで、どういう動きをしているか、例えば部屋に入ってくる時の足音の立て方で、どの程度の人間かわかるんだよね!と言われた時には冷や汗をかいたものです。当時は、足音は立てたくなくても出ちゃいましたから。今はいつの間にか足音は立たなくなりましたが、当時はどんなに頑張っても(これがそもそも間違い)出てしまい、爪先立ちしか音を出さないのは無理と嘆いたものです(笑)

もっとも伊藤さんは武術家ですから、その眼力の基準は我々一般人より遙かに厳しいわけですが、それでも今は成る程と思えるところが多々あり、良い方と出会えて幸せだとしみじみ思います。

さて、以上は昔話とその感慨ですが、考えてみるのはここからです。

今は、思えるところもある!と少し上に書きましたが、さらに上の段に、当時のジジイの・・・と書いてあります。

つまり、若い頃はジジイでお粗末な身体意識と認識力の人間が、歳を取れば自然とジジイから若者?に若返り、仮に認識力は上がるとしても、身体意識(≒身体能力)も上がるのか?という疑問が湧くわけです。

当然、答えはノーです!歳を取る意味がありませんから(笑)

伊藤さんは、確か、みのもんたの午後は○○おもいっきりテレビに出て、50歳すぎの時の免許証を見せて、観ている人達が20代にしか見えないと驚いたわけですから、特別な眼を持っている人達のみの判断ではないわけです。

特別な眼を持っている人(要するに身体分野の専門家)は、若者(それもかなり運動神経の良い人達)にも困難というか希な若々しさ(動き)に着目して驚嘆してしまいます。

最近テレビでよく見かける50代とか60代にはとても見えない人達とは共通性もあると同時に異質なものもあるわけです。すなわち、見かけのみならず、動きすら若者を超えているわけで。

だからこそ、玉三郎さんのような方が慕って師と仰いだわけです。彼ほどの人が自分より遙かに劣る身体性の人を単に優れたメソッドを知っているからというレベルでは先生とはしないでしょう。優れた人ほど、迂闊に人を師とはしません。それが何故か?はいずれとして。

これ程の人でしたから、フェルデンクライスの能力も素晴らしいものがありましたが、それ故に、一般人に普及するあたっての困難さもまた実感されていました。

彼の目的は例えば自分の武道の生徒のレベルを上げる事が最優先でした。しかし、フェルデンクライスの良さは体験してもらって実感してもらえても、彼らの直接の目的は自分の専門である武道が上手くなる、あるいは強くなる、すなち試合などに勝つことが第一義でしたから、フェルデンクライスがそれに資するまで待てないんですね。

そこで、彼としてはより効率的な方法と考えて、伊藤式ともいえるほどのメソッドを考えつきました、動きをわずか3つに集約してしまったのです。確かにそれだけでも相当な違いを実感できましたから、私も凄いものを作ったものだと当時は感心しきりでした。

もちろん、伊藤さんはその限界も知っていましたが、生徒の大半は続かないのですから、それならば思いっきり実感できて短期間に身体が変わる可能性のあるものをという視点から、構築したわけで、フェルデンクライスの動きに関してはかなり本質的な事を押さえていたからこそ出来たわけです。

もしも、存命ならば、彼のメソッド経由でフェルデンクライスに流れ込んでくる人達もたくさんいたことでしょう。彼の晩年、まさに一世を風靡するかもと思うほどでした。

彼もまた一歩先を行った(惜しくも逝ってしまいましたが)人でした・・・
【2012/06/14 22:56】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 52 自分は・・・、自分も・・・
前回の『若いとき・・・』の・・・以下は人それぞれのフレーズが入り、それが今のそして未来の自分を方向付けていると指摘しておきました。

前回のブログを読んで、皆さんなりに感慨を抱かれたであろうと思います。

そこで、大きく括ってしまうと、以下のフレーズにだいたい収まってしまうでしょう。自分(私)は○○だ!自分(私)も××だ!

例えば、自分は無理だ!自分もやるぞ!自分はやりたくない!自分もやれるかな!・・・etc.

○○や××は肯定的、否定的、賛成的、反対的、建設的、非建設的、懐疑的なモノなど、何でも入り得ますから、要するに何でもいいわけですが、何が入るのであれ、自分(私)というところは、皆同じです。

ということは、○○や××に何のフレーズが入るかによって、自分(私)は見事に規定されている、規定される、規定されていくわけです。逆に言えば、○○や××が自分(私)であると宣言しているのですから。ですので、真正面から見据えれば、自分の人生がかかっているわけで、何でもいいわけはないのですが(^_^;)

ところで、以前にも書いた記憶がありますが、頭ではこういう話を理解できても、感情的に無理という方もたくさんいらっしゃるでしょう。あるいは、その気はあるけど、・・・という理由が並ぶ方とか。

で、こんな話はおそらく自己啓発書などを読んだり、精神世界系の本を読めば、詳しく例を挙げながら説いてくれているのだろうと思います。私はほとんど読んでいないので、遙か昔に読んだことがあるモノを思い出しての事であり、最近の本は知りません。

ですので、おそらく、あまり自己啓発書などで触れられていない、領域から考えてみようと思います。

たとえば、立ったり、座ったりするときに皆さんは、自分であれ、他人であれ、『よっこらしょ!』とか『どっこいしょ!』という呟き?掛け声?を耳にした事は有りませんか。

自分で呟いている方はいつからでしょうか?ふと気づいたら呟いていた・・・という方がほとんどでしょう。テレビなどで、ギックリ腰などの方は、これから立つぞ!と脳に気合いを入れてから立ったほうが準備して良い!と観たからやり始めたという方もいるかもしれません。

いつ頃から言い始めるのかは個人差がありますが、さすがに幼少の頃から言っている人は希でしょう。両親や祖父母に頻繁に言っている人がいて、その人が大好きだったりすると真似をして言うこともあるでしょうが、大人のように実感は伴っていません。

つまり、まず実感があり、それが『よっこらしょ!』とか『どっこいしょ!』という呟き?掛け声?として出てくるわけです。

この場合の実感には、かったるい!とか面倒くさい!とかなどの感情も当然付随してきます。つまり単なる感覚ではなく、感情をも伴っているわけすから、頭で立つという命令を下したものに対して、現実の感覚とそれに伴う感情の二つが絶えず対立しながらも、現時点では何とか、頭が勝っているわけです。

ですが、体調や気分により、1対2の不利な戦いですから、負ける事も度々ありますし、いわんや通常は歳と共にその戦いは負け戦となっていきます(笑)

この戦いに勝利するためには、通常強大な意志力を要求されるわけですが、そもそも1対2の不利な戦いですから、無駄なあがきをしてもと、むしろ、頭も敵側に寝返ることが度々で、晩年にでもなるとお尻に根が生えたように動くのが億劫な自分として出来上がってしまっている方もたくさんいるでしょう。

そもそも、人間にとって実感や感情のほうが思考よりリアルであり、自分の行動原理となっているわけですから、意志の力で無理矢理頑張るという戦術は余程の意志力を日頃から鍛錬?している人でない限り不可能でしょう。逆に言えば、それほどの人であれば、自己啓発書なんて読まなくても、自分で決めた事をさっさとやってしまうわけで(笑)

ですから、私のような凡人はどうやって、実感と感情という敵対するモノを味方に仕向けるか?に腐心するわけです(笑)

さて、立つや座るという例を出して、頭(思考)と実感(感覚)と感情の絡みを挙げましたが、○○や××に何が入るのであれ、同様に○○や××にもこの絡みがあるからこそ、仮に自分もやる気になってもなかなか難しいわけです。

そこで、次回は、私が若い頃(年寄りだった頃)に衝撃的だった体験談を例に挙げながら、その中身(内実や構造)がいかなるものなのかを通じて、皆さんのお役に立つ視点も提供できればと考えております。
【2012/06/07 18:16】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
いざ!自由へ フェルデンクライス・メソッド


フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

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Author:kanfuboy7
フェルデンクライス・プラクティショナー

夢は猫や虎のようにしなやかに自由自在に動く爺になる事です(笑) 現在、夢に向かってばく進中?

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