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疑問に応える 60 対象の構造に斬り込む・・・
今回も早速前回の最後の2行からいきましょう。

そんなに上手くいくものなのだろうか???とか、それで上手くいくなら、そのほうがいいじゃん!!!とか、それを追い込まれてではなく、意識的に使えるようにできないだろうか?とか・・・

これらの疑問は前回のブログを各論的に検討していけば、それなりに答えは出てきますが、結びつかない方もいらっしゃるでしょう。

○○さんに言われると納得できるけど、××さんだとイマイチなんていうのと似た構造があります(笑) 私が疑問に応える!として、ブログに書き始める時、世間には素晴らしい専門家の方々がいるのに私が書く意味はあるのかと自問自答しました。ネットや本を読むなり、習ったほうがいいのじゃないかと。その通りだと思いますが、全然違うもの(人)のほうがピンと来ることもあります。

100人には無駄でも1人でも何か得るものがあれば、無駄ではないと思います。ですから、誰一人無駄ではないのですね。もしも、自分なんて・・・と思われている方がいるとすれば、その体験は、同じように自分なんて・・・と思われている方には相当役に立つかもしれません(笑)

さて、2行を直接考えると私のやり方では、前回のブログの各論的展開になって読むほうもしんどいと思いますので、違った角度から考えてみましょう。最後の2行と似たようなことですが、こんな疑問を抱かれた方もいらっしゃるでしょう。

そんなに確実に願いが叶うなら、なんでそのやり方でやらないんだろう???

まさにその通りです!!!

なんで私はこのやり方を使わない(使えなかった)のでしょう?

これが、サブタイトルの対象の構造に踏みむ!ことができなかったからです。論理的には対象の構造に分け入る!ですが、今回は論理よりも感情を込めて、斬り込む!にしました。

対象、この場合は願望を成就するために、マインドする(≒ビジュアライゼーション、イマジネーション)というやり方です。

私が対象の構造に踏み込めなかった主な理由は、一番は対象の構造に分け入る能力の欠如ですが、これはさておき、権威性と信仰心(信念)が最大の理由でしょう。

私がマインドするという変な、何か凄い特別なものに思える言葉に、強烈な印象を持ったのは山田先生からSMCを習った時です。当時、マインドする(≒ビジュアライゼーション、イマジネーション)という言葉自体が、何か凄く特別な、脳力&能力を高める魔法の言葉(知識)として、私には反映してしまいました。

そして、高度なマインドを発揮するためには、深い意識(潜在意識とか超意識、宇宙意識、etc.)でマインドすることが大事である、つまり、深い瞑想状態でマインドするほど、効果的であると信じ込んでいました。さらに、脳波の研究がちょうど脚光を浴びて、意識と脳波が結びつけられ、アルファー波よりもセーター波、さらにはデルタ波などという科学的?かつ客観性?のある情報が一世を風靡したような時代だったのです。

ですから、マインドする(今流に言えばイメージするですが)には、特別な深い意識(潜在意識など)にアクセスして、そこで静かに思うことが、一番効果的であると信じ込んでいたのです。これに、間違いが有りうるなんて、まったく脳裏に過ぎりませんでした。

権威性、つまり、尊敬する山田先生も実践していて、科学的?に脳波でも証明されているのですから、完全な信仰状態です(笑) 自分が正しいと信じ込んでいますから、正しいものを疑うはずもないのです。なかなか効果が出ないのは、自分の努力が足りない、深いレベルに入れないからだと信じ込んでいました。

ですが、一方で必死になったものはほとんど、成就しているんですね。なんで疑問をもたないのでしょう?

これは学歴信仰とか肩書きと似たようなモノです(笑) 

静かで深いレベルでマインドする事が効果があるはずなんですから、感情的に必死なんていうのはあり得ないわけです。ところが、そのあり得ないほうが、効果がある!としたら権威性や信仰の否定となります。すなわち、自己否定です。ですから、認めるわけがないのです(笑)

そんなバカな事をするのか?社会を見回せばそれだらけでしょう。事実とか現象、人をありのままに見るのではなく、出身や学歴、肩書き、権威で人を無意識に判断していく・・・私もまったく同じです。その事に気づいていないのです。

では効果があるのはどう考えていたのか?ですが、これはもう、神の恩寵、神様の御陰で、私の力、引き寄せではありません。つまり、奇跡としてラベルを貼ってあったのです。奇跡ですから、彼岸にあり、私の力の及ぶところではありません。ですから、このやり方に対して、検討すらしたこともありませんでした。必死になった時、神様は応えてくれる、救ってくれるかもしれない!けど、神様に迷惑をかけちゃーいけない(笑)

まさに自分にとってはパラダイムです。その渦中にいるときにはまったく気づかないというより、気づけないのです。

では、途中で気づく事はなかったのでしょうか?例えば、何年か後に、イメージトレーニングや、アルファー波の問題点が浮上しました。効果の出る人もいる一方、効果の出ない人も続出していたからです。その違いは何か?ということで、調べてみると、どれほどリアルに感じているのかの違いが大きいとわかったのです。

私も知識としてはリアルが大事なのね!と知りましたが、深いレベルのほうが価値があると信じ込んでいたので、やるときは半ば無意識に今までどおりでした。それほどに、権威性、信仰心から抜け出ることは私には難しかったのです。目の前で事実を見ていながら、自分の信じたいものを信じる・・・どこでも見る光景ではありますが。

リアル、つまりどれだけ感情や感覚をイメージの中で実感するか?が大事なわけですから、私が必死こいてやった事は、実は理にかなっていたわけです。

一瞬で判ることを幾星霜・・・まぁ、これも人生ですね(笑)
【2012/07/31 20:53】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 58 対象の構造に踏み込む・・・
前回の最後の2行の部分『引き寄せとか願望成就という視点からは一応、OKとして、学習論や指導論、教育論的な視点から視ると大問題が何点もあります・・・』から早速いきましょう。

上記した引き寄せとか願望成就という言葉は一般的な言葉で、もう少し内実に踏み込んでみると、幾つかのファクターで構成されています。そのうちの一つが、マインドする(≒ビジュアライゼーション、イマジネーション)です。他にも、肯定的に考えるとか、楽観的に考えるとか、成功を期待するとかなど、幾つかの重要なファクターがあります。

ですから、上達論的な視点からは、逆に学習論や指導論、教育論的な視点と絡めて視ることができいないようでは大問題ともいえます(笑)

ではどちらが正しいのか?ですが、当然、どちらも正しいとなります。

たとえば、数学を学ぶ前の算数の習得とか、剣術や槍術を学ぶ前に剣や槍を扱える体力や筋力をつけるといった段階性で考える事に似ています。

我々が九九を習得する時、今ではいともたやすく出てきますが、子供の頃はどれほど苦労したことでしょう。加減乗除という基本がしっかり身についていなければ数学どころではありません。つまり、算数という基本がしっかり意識的に習得されているものが、数学では当然の如く基本構造に前提条件として組み込まれていて、算数は無意識的に駆使されています。

同様に、幾ら剣術や槍術を習いたくても、剣や槍を持つ、振る体力や筋力がなければ入門すらできません。その力がある上で、剣や槍を扱う、習得していくに従って、生の体力や筋力が剣術的、槍術的に変化(変性)していきます。ですから、素人目には剣や槍を同じよう振っていても、中身(発揮されている筋力の質)は一般人とは異質なものとして再構築されているわけです。

ですので、私のように苦し紛れに引き寄せとか願望成就を使って成功したとしても、試験の一夜漬けのように己の実力に資することはまずはありません。こういう成功は実は失敗であり、かえってしないほうがいいくらいなのです。たいていは、付け焼き刃の心理、感情、精神として自分の性格に統合化されてしまうからです。

レベルが上がっていくほど、ポジティブシンキング、ビジュアライゼーションなどの各ファクターの質・量が大事になりますし、学習論や指導論、教育論とどう絡めて考えていくか、つまり、自分(あるいは生徒)をどう成長させるかが、一層問われます。頂上的な領域に近づいて行くに従って、数学であれほど苦労した算数(どころか数学の基礎的なことすら)が無意識に駆使され(溶け込んで)、あるいは、当初は剣や槍を振るどころか持つことすら大変だった体力や筋力が、箒とか棒きれを意識せずとも軽く振っただけでも凄まじい破壊力を生んだりします。

ですから、上達過程を考えると、まずは、課題を明確にするために明瞭に分けて、意識的に徹底的に鍛え上げ、それが、無意識に発動する(している)ところまでどう過程を組み、辿らせる(歩ませる)かとなり、それを各論的に、例えば学習論、指導論、教育論的な視点から各々考えていく作業が必要になるわけです。

こういうことを野放しでは、せいぜい私のように運が良かった!助かった!という一夜漬けの何ら実力の向上には役に立たない経験しか積み上がりません。これが、いかなる意味(どういう点が良くて、どういう点がまずかったのかなど)はブラックボックスと化しており、相当な認識力を持っていない限り、意味を見いだすのは困難であり、況や、そこから方法論を構築することはまずは不可能です。こういう経験が幾らか積み重なった場合、人が走る方向はたいていは、僥倖を願う、運に頼る、神頼み、そこからくる意味のない楽観視(楽観的ではありません)くらいしか発想は出ません。

そもそも意味を見いだせ、方法論を構築出来るほどのレベルであれば、私のような無様な事はする(起きる)はずもないのです(笑)

今回の話題を各論(学習論、指導論、教育論など)から考察もできますが、ブログで事細かに検討しても余程興味のある方以外はウンザリしますので、何かの折りに一般論レベルで取り上げることにします。最後に、これらの各論は人間をどう見る(考える)か?という人間論が根底を支えることになります。この視点を欠くと、人間機械論的な視点(視野)に知らず知らずに落ちてしまう危険性があるからです。

少し、面倒くさい話が続きましたので、ちょっと視点を変えて、前回のブログを読んで、こんな感慨を抱かれた、あるいは疑問をもたれた方はいませんか?

そんなに上手くいくものなのだろうか???とか、それで上手くいくなら、そのほうがいいじゃん!!!とか、それを追い込まれてではなく、意識的に使えるようにできないだろうか?とか・・・
【2012/07/24 22:02】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 57 続・願えば叶う!
前回のブログを読んで、これまたでかい話だ!あるいは、こじつけだ!と思われたり、頭のほうは大丈夫か?と思ってくださる心優しい方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)

何回か大きな話が続いたので、今回は等身大?の話からいきましょう。もっとも、私にとっては大きかろうと小さかろうと内実は同じなので、気分的には大差ないんですが(笑)

遙か昔、兪さんから太極拳を習い始めた頃のことです。当時はまだフェルデンクライスもやっていなかったかもしれないくらいの時代です。

ある套路(とうろ・・・型のようなもの)の中の一部分がどうしても出来ず、兪さんに毎回ダメ出しされていました。当時の私は、今のような身体意識、身体能力も論理的思考能力も皆無といっていいほどありませんでした(これに関しては以前のブログで膝を痛めた経緯で書いています)。

ですから、ダメと言われても、何がダメなのか?それどころか、自分が何をやっているのかすらわからずにやっているほどの低レベルだったのです。兪さんが、あなたのはこうで、私のはこう動いてるでしょ!と見せてくれるのですが、ダメな私の真似すら見事過ぎて、そのダメなほうでもいいから出来るようになりたい!!!と惚れ惚れして見ているほどお粗末な認識能力と感性でした。

卑下ではないのか?と思われる方もいるでしょうが、周りの友人達に聞いても、あれだけ見事だと、間違っててもいいか!と思っちゃうよね!!!と言ってましたから、私の卑下や謙遜ではないのは当然です。それで、兪さんの動きは凄すぎるので、友人達に私の動きの事を聞くと、違う感じはするけど、真似できないから違いを教えられないと困惑されました。

今のように手軽に携帯で撮影なんて時代ではないですし、ビデオもまだ普及し始めた頃で高価な時代でした。ですから、自分がどんな動きをしているのかわからない以上、何をどうすればいいのかサッパリわからず、仕方なしにそのうちわかるだろうと放っておいたわけですが、とうとう兪さんが業を煮やして・・・

私があまりに直らないので、『そのうち、そのうちって、いつですか?そのうちなんて死ぬまであるじゃないか!!!』と兪さんが怒りながら言いました。虫の居所が悪かったのか、激しく言われてびっくりしてしまい、焦っていると、『じゃー、次回(来週)までに、直してください!!!次回までに、直らなければ、どうせやっても無駄だから、太極拳、止めたほうがいいね!!!』と速攻で通告されてしまったのです。

大好きな太極拳を最後通告されたわけですから、絶望的な気持ちにまずなったのは当然です。何ヶ月かやったって何が悪いのかさえわからない状態で、半ば諦めていたわけですから、一週間でどうにもなりません。そもそも、何がダメで、どうすればいいのかわかっていればこんな状態にはならないわけです。

その日はショックで何も手に着かず、どうしよう?どうしよう?どうしよう?という言葉のみが頭の中を駆け巡り、止めるのは嫌だ!嫌だ!嫌だ!という感情が激しく胸を逆巻きます。

2~3日、こんな状態が続き、疲れ果て、やっと何か出来ることはないか?と頭を過ぎり、神様への祈願、お祈り、瞑想など知っていることを全て試そうと思いました。練習してもダメなわけですから、苦しいときの神頼み、要するに他力本願です(笑)

イメージ・トレーニングという言葉もまだ日本では馴染みのない時代です。私が似たもので使ったのはSMC(シルバーマインドコントロール)というメソッドの『マインドする』という、どうにも馴染みがたい言葉でしたが、これを使うしかない!!!と猛然とマインドを始めました(笑)

最近になって『マインドする』という言葉は、自分なりに意味(内実)が把握(理解)出来ると、なんて便利で機能的な言葉なんだ!と感嘆しましたが、当時はそんな原理(≒対象の構造)に踏み込めるほどの認識力はありませんから、完全な信仰レベルです(笑) この言葉に関してはいずれ、取り上げましょう。

その時にやったことは以下です。

イメージの中で、ひたすら、兪さんが、『OK!何だ!やればできるじゃないか!ヨシ!ヨシ!』と笑顔で嬉しそうに手のひらを叩いているところです。これが、兪さんが一番満足した時に出る表現でしたから、残り数日、ひたすらやったことはこれです(笑)

そして、当日、ひょっとして忘れてないかなぁ~なんて淡い期待をうっすらと抱きながら、恐る恐る行くと、しっかり覚えていて、開口一番、さぁー、やって見せてください!!!

もうダメだ!と頭の中が真っ白になって、何にもわからず、いつもどおりやったら、兪さんが、凄く嬉しそうに手を叩きながら『OK!何だ!やればできるじゃないか!ヨシ!ヨシ!』と言ったのです!!!

私は思わず、『エッ!出来てますか???』と訊いてしまいました。友人達を見回したら、『なんだ!できるじゃん!!!』と言うのです。一番、驚いたのは自分です。何がどうなっているんだか、サッパリわからず???

要するに聖書に書いてある如く、『求めよさらば与えられん!!!』ということだったわけですが・・・

過程はともかくも本気で願えば叶う!ということです。似た事例はその後、幾つか体験しました。皆さんも一つや二つある方もいるでしょう。

結果オーライですから万々歳ですが・・・

引き寄せとか願望成就という視点からは一応、OKとして、学習論や指導論、教育論的な視点から視ると大問題が何点もありますので、次回はこれらの点を考えてみましょう。
【2012/07/17 18:59】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
疑問に応える 56 願えば叶う!
前々回の続きです。前回はこのシリーズから外しました。別に前回の『真と信』も関係はあるのですが、あまりに低次元なので、前振りとして書いていていたあの部分だけで完結させちゃいました(笑)

少し昔話です。

私は自由が好きなので、束縛されたり、束縛するのは好きではありません。皆さんもそうだろうと思います。

以前にも書いたかもしれませんが、私が若い頃は精神世界という言葉すらなく、宗教一般で一括りにされ、若い時に嵌まった人間は、イコール精神異常というくらいの時代でした。私もご多分に漏れず、『○○さんちの息子さんは、変な宗教に取り憑かれて頭がおかしいらしい!!!』とヒソヒソというより、まことしやかに言われたものです(笑)

当時は若かったですから、何で好きな事をしていて、それも迷惑をかけているわけでもないのにキチガイ扱いされなきゃならないんだ!!!と憤ったり悲しんだり。私個人は好きでやっていますから、ある意味自業自得ですし、類は友を呼ぶ!で地元から離れて仲間が出来ましたが、家族は、たまったもんではありませんね。善意でご近所や親戚から心配されるんですよ。『お宅の息子さん、大変なんですって?病院いったの?』あるいは『良い霊能者が見つかるといいわね!』・・・

ですから、当時、本当に心底願ったのは、こういう世界が当たり前の時代になってほしい。ひそひそと声を潜めて話さなければならない時代が終わってほしいというものでした。

そして、それから10年くらい後に、女優のシャーリー・マクレーンが『アウト・オン・ア・リム』を世に送り出し、『バシャール』でチャネリングという概念が広がった時には、精神世界に対する雰囲気が、暗い禍々しいイメージから、明るい何かとても素晴らしい世界であるかの如く、世の中に一挙に広がりました。私は当事者でしたから、まさにコペルニクス的転換、パラダイムシフトを垣間見て驚いたものです。

これ以降、精神世界で出会う人達は、私のような暗い?重い?雰囲気は漂ってはおらず、ノリノリの軽~い爽やかな雰囲気で、『行』というよりはピクニックとかハイキングのようなノリの方々が大挙押し寄せてきました。隔世の感があり、まるで自分が化石と化したかの如く(笑)

もっとも、ちょうどその頃、太極拳と出会い、せっかく願っていた世界になったにも関わらずまたまた、眉間に皺が寄るような難しい世界へ飛び込んでしまいました。まぁ、霊能力的な力のある人達に、行好きのカルマを持っていると言われていましたから、明るい軽やかな雰囲気は当時の自分の志向性や嗜好性と合わないんでしょうね(笑)

今は、明るく、軽くて、爽やかな雰囲気が好きですから、重くて、沈んだような生き方はしたくありません。自分で選べばいいだけの話ですから。カルマとか因縁とか、そんなものには興味なくなりました(笑)

で、前振りが長くなりましたが、願えば実現するということです!!!

当時、私だけではなく、多くの人達(圧倒的少数派ではありますが)が、いつの日か、当たり前の如く話せる時代になって欲しいと願ったはずです。ですから、実現しました!!!

前回のブログもそうですが、例えば原発のない安全で快適な世界を願って(イメージして)ほしいのですね。単に、注意を向けない、興味を持たない、無関心では、彼らは強烈な意志を持って実現させようとしていますから、現実は彼らの思い通りになっていきます。

別にデモに参加しろ!反対活動をしろ!といっているのではありません。こうあったらいいな~♪という世界を想像(創造)するということです。

別に彼らの欲望を否定しているわけではありません。ですが、行き過ぎると莫大な人々が困るどころか命の危険にまでさらされます。私としても、自由気ままが阻害されるので大変困るのです(笑)

私は若かりし頃、強烈に願ったこと事が実現して、目の前でパラダイムシフトを目撃しました。今一度、巨大な願いが叶う事を体験してみたいと強烈に願っています。また、目の前で奇跡のような事を観てみたい!!!この願いの実現には私一人だけの願いでは力不足です。是非、皆さんの明るく、爽やかで、ハッピーで楽しいなぁ~♪という想念(イメージ)の一票をよろしくお願いいたします(笑)
【2012/07/12 06:07】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
真と信
さてさて最近、世の中、不思議な事が頻発していますね。

私はどちらかというと相対的に物事を眺めたいと思っておりますが、流石に陰極まって陽となる!事を受け入れられるほど人間はできておりません。

騙す方と騙される方、騙される奴が馬鹿なのだ!と教訓的な、すなわち個人レベルで体験から学べ!という意味では分からなくもありませんが、騙される奴を取り締まる法律はないわけで、騙す奴が悪いのは至極当然ですね。

ところで軍備(軍隊)は不要という理念は本当に素晴らしいし、私もいつの日かそうなったらと願わずにはいられません。ですが、現状では最低限のものは仕方なかろうというのが正直なところです。斯く言うと、本気でないからだ!とお叱りを受けるかもしれません。こちらが、武力を放棄して攻撃の意図を捨てればいいのだと。

こう言われてみると、確かに、自分は人を信用しきってないんだなと正直思います。軍備(軍隊)というものは通常他国との衝突に際して用いられます。外国人は自国民同士以上にコミュニケーションが難しい分、信頼関係を一段と築きにくいわけです。

ゆえに、どこまでを最低限とするか?という具体的な事はさておき、多少は必要だろうと思うわけですが、理想高き方はまずは自ら放棄しなさいと仰るわけです。

私は試してみるのが好きなので、こういう理想を掲げる方はご自分でお試しになったのだろうか?と思うんですね。当然、軍隊なんて持ってないよ!と仰るでしょうが、何も軍隊なんて大げさな事はまったく必要ありません。たとえば、自分の家の戸締まりをしないで数日家を空けておけば、あるいは、自転車や車にカギをかけておかなければいかなる仕儀になるかで充分体験できることだと思うわけです。

当然、軍隊どころか警察にご相談と相成る可能性が桁外れに高いでしょう。外国人よりも遙かに信用度が高いであろう自国民に対してすら完全な信用が成り立たないから、警察組織を作らざるをえないわけです。先ほどの論理から考えると、コミュニケーションの困難な外国人には心を開いて接すれば、軍備はいらないのですから、当然、もっと心通じる自国民に対して何で武力(この場合警察権力)なんて余計なモノがいるんですか?となります。

極論だ!暴論だ!と憤る方もいるでしょう。実際、すべての人間が良い人間なわけないじゃないか!!!と仰るでしょうが・・・だとすると日本人に比べて外国人は善人しかいないのですか?とお聞きすることになるわけで。

何で今日はこんな屁理屈?を並べるんだ!?!?と思われる方もいらっしゃるでしょう。

確かに理屈だとは思いますが、裏を返せば筋を通すという事は、世界に社会に多種多様な人間が存在する以上、必要なんじゃなかろうか?と思っているわけです。別に、筋を通す事が最高だと言う気は毛頭ありません。もしも、全ての人が聖者賢者、例えばキリストのような人しかいなければ、軍隊どころか警察もいらないでしょう。ひょっとすると、法律なんてモーセの十戒の如く、10個くらいでいいかもしれません(笑)

ですが現実には騙す者、盗る者、殺す者などがいるわけでこれに対処せねばならないのは高尚な理想家とて現時点ではやむなしでしょう。

ですから、理念や理想の素晴らしさを充分認めた上で、この世には段階性があり、時間というものが存在して変化の為に一定の時間が必要な以上、スモールステップを作って、如何に理念に近づき、さらには達成するかという過程を考える必要があろうと思うわけです。

そして理念や理想が一気に実現する事は通常あり得ないわけですから、その途中途中で検証し軌道修正しつつ、それ(検証や軌道修正など)が万人とはいえないまでもより多数の人が納得、同意できる手順で行われる必要があるわけですね。何故なら理念や理想ままだ実現してないわけですから、結果で判断できず、その結果にしっかりと向かっているのかという途中経過で判断するしかないわけですから。

さて、十人十色ですから、様々な人がいて様々な考え方があるのは至極当然。だからこそ、物事を決めていくときに筋を通さないと万人が納得(承服)できません。つまり、一定のルールにおいて物事の成否を決めましょうとなっているわけです。でないと、己がルールだ!となって物事は纏まりませんから。国連であろうが政府であろうが、表向きはこのルールに従うわけです。ルールですら、今の世の中、不公平ですが(笑)

少し具体的に考えてみましょう。

今、与党は民主党ですが、何故に民主党に付託したのかは、自民党の官僚や経団連を中心とする利益団体ばかり裨益する事から、つまり既得権益を打破し、新しい仕組みを作ってもらいたいからでした。

私は民主党が自民党になるのは別に構わないと思っています。世の中は変化していますから、あの時点の民主党と変質するのも仕方ない側面があると思っています。

変質するならば、一定の手続きを経て変質するのが当然じゃ有りませんか?と言いたいだけです。十人十色と言ったように、変質した民主党でもいいと言う人もいれば、自民党と同じなら嫌だと言う人もいるわけですから、上記したように手続き(ルール)に従ってくださいよ!という至極当然の事をいっているだけです。こんな事は小学校低学年の子供ですらわかることでしょう。

自民党政治から変わるんだ!と『信』じたから一票を入れた人もたくさんいるでしょう。民主党の自民党とは違うという理念を、『真(まこと)』の思いを『信』じたから入れたんですよ。自民党のように、口先だけでどうせ変わらない、変えない政治が嫌だからだったわけですね。民主党の各議員の真を信じたんですが、騙された我々がアホというわけですか?

騙す気はない!必要なんだと仰るならば、何故、ルールに従ってまず最初に国民に信を問わないのでしょう。

私は政治談義をする気は毛頭ありません。世界中が急激に変化しているわけですから、理念が現実に媒介されて変わるのも仕方ないだろうという立場ですが、ルールを破って勝手に変えるなら、やったもん勝ちでしょう。次回、何を信じて一票を投じればいいんですか。権力を握れば嘘つきでも正義なんですから。

この一点において民主党議員の多くが、自民党議員(例外もいるかもしれませんが)よりも格段に悪質です。何故なら世の中に信用は裏切って騙して構わない!さらには、それを正しい、正義といってなんら恥じる必要もないという悪しき風潮を首相が先頭を切ってばく進して蔓延させているからです。子供に正義なんて勝った者勝ちと教えているようなものです。

さらに、自分の信念(始めから紙の如く薄っぺらだったのでしょうが)なんて口先だけのもので、いとも軽やかに捨て去って、それどころか宗旨替え出来てしまう程の人間の薄さです。御利益がありそうなら、いとも簡単に神様から悪魔に乗り換えられる精神構造、そして、口先だけは反対だったんだけど・・・と強い方へへつらっていく情けなさ。

松下政経塾の人間が多いですが、松下さんは草葉の陰で泣いているでしょう。おそらく松下さんが大嫌いなタイプがかくも見事に育ってしまう(育ててしまう)ことになろうとは。彼らに恥じという感覚はない以上、まさに、松下さんは死んでも死にきれないでしょう。草葉の陰で泣いている松下さんの心中を察すると余りあるものがあります。

松下さんは経営の神様で、悪質な経営者とは真逆にいたんでしょう。己の理念で、政治もと思ったんでしょうが・・・真逆なモノが出てしまうとは。人を育てるとは真に難しいものですね。

さて、言葉というものが信じられないものに堕してしまったわけで、次ぎは何を基準に、何を信じて一票を投じればいいのでしょうか。

こうして観ると、信じる、真に応えることは人間関係において、社会にとって途轍もなく大事なものだと思います。今までもそうだったのでしょうが、3.11以降、露骨に表に出てきています。あらゆる面に。大手マスメディアなんてその最たるもので、今でもその凄さには唖然とします。

彼ら既得権益の人間の強烈な意志に対抗できるモノは我々一般大衆にあるのでしょうか。

私はあると信じているというより、確信しています!!! 

我々はこういう世界でありたいと願うのみならず、彼らのように強烈に斯くありたいと意志して生きる、それに目覚め始めたと。

これから世界は、そして日本は大きく変わると思いますよ~♪

こうしてみると、一人一人の多くが目覚め始めたのは、野田総理を始めとする多くの民主党議員の御陰ですから、やはり松下さんは先見の明があったのかな(笑)
【2012/07/03 23:54】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
いざ!自由へ フェルデンクライス・メソッド


フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

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kanfuboy7

Author:kanfuboy7
フェルデンクライス・プラクティショナー

夢は猫や虎のようにしなやかに自由自在に動く爺になる事です(笑) 現在、夢に向かってばく進中?

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