fc2ブログ
2012 備忘録3
2の続きです。

キッカケからですね。今年の3月くらいのことだと思います。自分がやけに雨に当たる事に気づき出しました。引きこもっているわけではないので、出歩く限り、まぁ、雨の日に当たるのは当たり前です。ですが、何故か、出歩く日に限って雨ばかり・・・週間天気予報を見ると、出歩く日は見事に雨の周期に当たる。

いつの日からかは思い出せませんが、気づいた頃には雨男だな!というくらいになっておりました(笑) まぁ、この手の人はいますから、俺もついてないな!というくらいだったのですが、大雨だとズブ濡れになるし傘を持って歩く手間はかかるし面倒くさいわけです。あまりに雨に当たるのでだんだんむかついてくるんですね。だって、出かける時は当然、雨ですから(笑) のみならず、だんだん酷くなり、降っていなくてもあと少しで駅、家というところで雨、さらには直前で大雨なんていうのもザラとなると、むかつきを通り越して激怒したわけです。

一体全体、俺が何したって言うんだ!!!何かの祟りか!!!バチでも当たったのか!!!と・・・。

こんなに続くなんて馬鹿なことがあるのか!!!と激情したわけですが、激情しても雨が止むわけでもなし・・・。理由を考えても思い当たらず、この時『これって俺が引き寄せているのか!!!』と声に出して、叫んだのです。その時の自分の叫び声を聞いて、そんな意識もまして言い方もしたことがなかったので、『引き寄せ』という言葉が強烈に意識に上ったんです。激高した感情と共に。

この時、この言葉が頭の中で木霊し、祟りやバチでは自分ではどうにもならんが、引き寄せなら、何とかなるのではと頭を過ぎり、それで初めてネットで引き寄せという言葉を検索してみたら・・・出るわ出るわ(笑)

チラッと検索して、自分が引き寄せているという件を読んで、ならば、激怒の勢いでこれからは絶対に晴れを引き寄せてやる!!!と決意!!!

さて、その日を境に梅雨を挟んで4ヶ月以上、まったく雨に降られることなしとなりました(笑) 今はたまに降られることもありますが、降る降らないより、如何に降っている最中もいい気分でいるかのほうが大事なので、こだわりはありません。大丈夫と思っていれば、たいてい大丈夫ですし。

さて、その日を境に雨に降られないわけですから、一転したわけで、当然、引き寄せの法則とは何なのか?に俄然興味が湧くわけですし、本当かどうか確かめたいのは人情でしょう。実験あるのみです(笑)自分にとって些細なことなら、圧倒的高確率で引き寄せます。

当然、時間のかかるモノ、苦手なモノ、困難を感じてしまうモノなどが願いとして出現してきますので、あとは多くの人が辿るであろう、テクニカルの問題、気持ちや意識の問題など、ネットを調べれば、経験談や乗り越え方、本の紹介など多数ありますから、ご興味のある方はそちらへどうぞ(笑)

さて、引き寄せの法則なる類いの本は精神世界のコーナーにあるそうですが、私自身は最近は本屋すら行ってはおらず、ネット注文で済ましてしまうため、出会う可能性がほとんどなかったのでしょう。

ただ自分はこういう形で出会ったため、精神世界というジャンルに括られるているのは非常に違和感を感じました。というのは、これは日常の『法則』(というより森羅万象を、当然思考も感情も感覚も肉体も含めたそのもの)なんだから、精神世界という、どちらかというと精神的な宗教的な領域のお話と潜在意識下では受け取りがちなエリアに置くのはそもそも、如何なモノかと。

既にこの法則をご存じの方々とお話する機会があって、無意識に精神世界の話だからと日常と分けて考えている方もおられるようだったからです。

私は仕事柄、顕在的に『法則』というものがつきまとってきます。たとえば、地球では重力というものは例外なくすべてのモノに働いているわけですが、重力というモノを自覚している人は稀でしょう。通常、病んだり老いたりすると強烈に感じさせられるハメになりますが(笑) 若くても太ったり、女性なら妊娠したりすれば実感はありますね。ただ、通常は重力の重いという感じを相殺できる能力、たとえば筋力とかが優位なので実感せずに済んでいるだけ、これが劣化すれば重いという感覚が当然優位となり、さらには日常にも支障を来し出すわけです。もちろん、重力を有効に使う、さらには能力を上げることにも使えるわけですが、人生において重力のその使い方の領域に至る人は稀でしょう。駆使(すべてとは言わないまでも)ではなく支配下に置かれたまま生涯を閉じる方がほとんどです。

つまり、引き寄せの法則は、『引き寄せる』という本人の思考・感情・感覚が引き金かつエネルギーとなって、引き寄せの『法則』というフィールドがより強烈に働き出すわけです。つまり、前半の『引き寄せる』という本人の意識的な思考・感情・感覚があろうがなかろうが、本人は引き寄せの『法則』というフィールドの中に存在しているわけで、引き寄せの法則の埒外ではないということです。

要するに、重力と同じように高いところが飛び降りれば、落ちるわけで、例外はないわけです。あるとすれば、別の法則が働いた時なわけです。浮力とか。でも鳥ならともかく人間の場合、どちらがより根本的な法則かといえば重力なわけで、鳥さえも例外でありません。

我々が自覚していようがいまいが働いているのが『法則』です。ただ、知っているから識っているへ、さらに駆使できる、支配下に置いている・・・etc.は別次元の話です。

どうせ影響下にあるのなら・・・と多くの方が考えるのも当然であり、私も遅まきながらそんな一人というわけです。

長くなりましたが、そんなわけで、何かを書こうと思う度に引き寄せの法則がより働いてくれて?(笑)いろいろな情報、考え方がやってきて今となってしまいました。

これすらも、まさに現時点であり、明日はわかりません(笑) ですから、皆様宛てをお借りした自分への2012年時点での私の備忘録です。

まだ私にとっては出会ったばかりの世界(考え方も含めて)ですので、きっとこの『法則』を自覚して生き生きと生きていらっしゃる生きた体現者の方々と出会って学んでいく、生きていく(自分の波動が変わる)のだろうワクワクしております。だって、1に書いた見通し、予見に縛られる必要なんてまったくないのですから!!!なんて自由なんだろう~♪

皆様が残り一ヶ月、さらには素晴らしい来年を引き寄せられることを、そして素晴らしい体験談を私が聞かせていただける事を楽しみにしております~♪
【2012/11/29 22:36】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
2012 備忘録2
1の続きです。

1は慣性の法則が働いて?理屈っぽくなりましたので、簡潔に(^_^;)

キッカケは巷(精神世界?)ではポピュラー?な引き寄せの法則との出会いです。私は今でもそうですが、精神世界にはほとんど興味がありません。ですので、引き寄せの法則がこんなにポピュラーだとはつい最近までまったく知りませんでした。というより、引き寄せの法則なる言葉も今年になって初めて知ったくらいです。

どこかで耳にしたことがあるかもしれないし、見たこともあるのかもしれませんが、まったく記憶にありません。顕在意識では事実上初見です。このブログでも書きましたが、マーフィーは遙か若かりし頃、何冊か読んだことがありますが、記憶に残っているのは願望成就とか、シンクロニシティとか潜在意識、宗教用語では阿頼耶識(あらやしき)なんていうのも風靡していた時代であり、引き寄せるは念力という言葉のほうが一般的だったと思います。

ですので、オーバーに言えば、我が人生において引き寄せの法則という言葉、概念に出会ったのは今年が初めて、引き寄せという言葉を初めて聞いた(顕在意識に上った)のは3年ほど前です。ただし、それ以降、引き寄せなる言葉は一度も意識に上ったことはありません。それほど、言葉としては私の人生には絡んでは来なかった言葉です(笑)

3年前の時点で、それ以降意識に上らなくなったのは、上記したように引き寄せるという言葉、正確には『引き寄せちゃった!!!』という感嘆詞で聞いたからで、この時点では『引き寄せの法則』という言葉は聞いておりません。私にとっては初めて耳にした言い方であり、むしろ、引き寄せなる言葉より、現象を引き寄せたという驚きと喜び、困惑がない交ぜになったこの方の不可思議な表情と雰囲気に興味が湧きました。後に、思わず引き寄せてしまうとこういう表情や雰囲気になると実感することになるわけですが、この時点ではまったくの未知な領域であり他人事でした(笑)

ただ、もしも『引き寄せの法則』と耳にしていたら、『法則』という言葉が私の思考の志向性&嗜好性に引っかかったかもしれません。ですが、この時点で単なる頭レベルの好奇心で関心を持たずに済んだのは今になって思えば本当にラッキーであり、感情レベルで生き生きとシンプルに表現して魅せてくれたことには本当に感謝です。後に実体験をしていく上でこの時点では無意識下ですが、絶大な影響と恩を感じずにはいられません。この時期、この段階では自分にとってはまだ意味が頭で解る(理解する、識る)ということがどうしても感情と感覚として必要だったからです(笑)

では、引き寄せが私と無縁かといえば、まったくそうではありません。法則ですから(笑)このブログでも、類は友を呼ぶとか、太母さんから教わった『転善業、転悪業』(善因縁が転がる、悪因縁が転がる)はまさに引き寄せの法則です。

というわけで、私自身としましては引き寄せの法則は『法則』という普遍性、一般性を持っているところまで、すなわち森羅万象、宇宙全域に貫徹されている『法則』という認識に至ってはいなかったということです。何らかの現象を目の前にした時に、類は友を呼ぶですね!とか、そのままでは『転善業、あるいは転悪業』ですね!という諺レベル、経験則レベルで止まっていたわけです。

ところで、『引き寄せの法則』が有るや否やとか、効果が有るや否やに関してはご自分でネットなり本なりでお調べください。たかだか、知って1年にも満たない私が真偽を語る資格どころか能力も体験もありませんし、むしろ、皆さんのほうが遙かにご存じの方、駆使されておられる方のほうが多いでしょう。

そこで、次は引き寄せなるモノが強烈に(顕在)意識に上ることになったキッカケからお話しましょう。続く・・・
【2012/11/29 22:22】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
2012年 備忘録1
いつの間にやら、2012年も残すところあと僅かとなりましたね。皆さんはどんな年でしたか。

ブログの更新もすっかり止まっておりますが、数ヶ月前から近況報告でもと考えて書くことを考えていると、新しい観点や考え方がやってきて、何度も先送りとなってしまいました(^_^;)

この流れでいくといつまで経っても書けないと思い、2012年もまもなく終わるに当たり、この時点での私の雑感として備忘録として書いておこうと思った次第です。

従いまして、現段階ではとても自分の現状を論理的に展開すること能わずでして、読んでくださる皆様にも理解不能、意味不明のところが多々あるかと思います。あらかじめご容赦くださいませm(__)m


さて、2012年は巷では多少騒がれている(騒がれた?)年ですが、私個人としてはすっかり失念しておりました(苦笑) 

自分の認識が大きく変化している過程において、さすが2012年ですね!と言われて、初めて自分にとっての2012年のある種の意味に気がついたくらいですから(笑)

この歳になってきますと、長いようで短い、短いようで長い人生経験から自分なりの信念(思考の癖)というものが出来上がってきます。私も私なりの人生経験から論理性を主として判断基準にする生き方というものが出来上がってきております。要するに私の人生にとっては他の基準に比して有用性、汎用性が高いからであったわけです。

さらにはその上位(あるいは下支えするという観点なら下部構造、土台)にはある種の法則が存在し、それに則って思惟しそこから外れないように意思して生きていけば、この世界をより自由に生きていけるのではないかと考えるようになってきました。

これはこれなりにかなり有効でして、確かに思惑通りにある領域に関してはかなりの精度で因果関係が判り、未来に関しても多少の予見は出来るようにはなりました。

法則ですから、これを駆使できるようになれば、その領域に関しては例外はほぼなくなります。でなければ、法則じゃありませんから(笑) 

幾つかの法則同士の絡み合い、繋がり方がさらに視え出すと、不正確ではありますが、何となく自分の人生の流れも観え出すんですね。だいたいこんな人生を大枠では送るんだろうなと・・・。

面白いもので、解るようになればなるほど、どんどん自分の人生がつまらなくなってくるんですね。筋書きの分かっているドラマを演じるようなものですから。もちろん、演技を磨く、ディテールを工夫する、新しいものを取り入れる等のささやかな喜びはありますが、既に思考の中で知っている事をやっていくわけで、未知の事が起きるわけでもなく、自分の能力の埒内の事ですから、何が未知かすら分からないわけです。要するに、『吾人は己が能力の範囲内でしか事物を認識する事は出来ない』という事であり、簡単には想像すらしたことがないものは創造なんて到底出来ないということです。

たとえば、私は私の考えた通りの人生を送るわけで、まったく想像すらしたことがない人生は自分の選択肢には存在しません。ということは、何をどう考えるか?そしてどう生きていくか?に自分の未来は規定されてくるということです。だとすれば、その思考とやらの指向性を変えてやればいいじゃないか!ということになりますが、その思考の形成過程は過去からの連続ですから、枠から外れているようでいて外れないんですね。ここにも法則が働いています。正確な使い方ではありませんが、慣性の法則が(笑)

ところで以上のように私は法則というものに関心があるわけですが、それが何故かを探るとそれはより自由自在に生きたいからだ!!!となります。つまり、感情が自由を望み、その手段として法則を選んだら、いつの間にか、逆に不自由度(感情、感覚、心理の)が増していった・・・となります。

では自分が求めていった法則は不自由をもたらすものなんでしょうか?そんなわけはありません。ある範囲内ではまさに見事な自由をもたらします。たとえば、火星にロケットを打ち上げる事を例にとっても、様々な法則を考慮、計算して打ち上げるからこそ、到着するわけで、別の法則?たとえば四柱推命で吉日を選ぶとか、占星術に頼るなんてしないでしょう(笑)

モーシェの言う『自由になりたかったから制限を加えよ』という教えは法則といってもいいくらいのものです。ただ、自分の分野、特に専門分野で使いこなすのが困難なだけです。

さて、これを応用して自分に制限を加えれば自由度が増えるじゃないか!と頭の良い方は考えるでしょう。まさにその通り!!!ですが、ではどうやって自分に制限を加えますか?

自分で考える事はまずは制限にはなりません。上記したように、違う発想がポンポン出て来るなら、たとえば日常で誰もが経験する悩み事やそれの他人への相談!!!なんてする必要もないわけですから(笑)

つまり、通常は制限は外側からやってきます。一般的なのは環境の変化ですね。たとえば政治で使われる外国からの圧力、外圧なんてその典型でしょう。種の変化もそうでしょう。環境が変わるからサバイブするために自分を変革しなければならいないわけです。つまり、慣性ではやっていけなくなるから、変化する、変化の波に乗る、といった自らを他のモノとして創造する必要性が出てくるわけでして、他のモノと言っていいくらい変化する事を人どころか生物一般は通常望みませんから、自分で制限とは言葉の上での戯れ言です。もちろん、自分でまったく別の環境に飛び込むとかは別の話です。変化(環境)を選んだのは思考(意思)でも、変化の過程が自らを他のモノとして創造していくわけですから。

というわけで、通常、人が外界であれ内界であれ大きく変化するには何らかの制限が必要だというところまで話がきました。

で、私にではどんな制限が起きたのか?から長くなったので一端区切って、サクッと書きましょう。続く・・・
【2012/11/29 22:03】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
いざ!自由へ フェルデンクライス・メソッド


フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

プロフィール

kanfuboy7

Author:kanfuboy7
フェルデンクライス・プラクティショナー

夢は猫や虎のようにしなやかに自由自在に動く爺になる事です(笑) 現在、夢に向かってばく進中?

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

リンク

FC2カウンター

カレンダー

10 | 2012/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する