fc2ブログ
続・雑感
いよいよ梅雨入りですね。

今年は例年になく早いそうですが、様々なものが急激に変化していく時代性ですから、天候もそうなのでしょう。

さて、タイトルに「続」と付いていますが、前回の続きというわけではありません。今回も気の向くままに・・・といった感じになるでしょうから。

私は頭に浮かんだことを書くので、今、この段階でも何を書き出すのかは定かではありません。前回は、雑感としながら、多少硬い部分もあったので、今回はその点だけは留意しています(笑)

真我についても回を重ねて書いてきましたし、そろそろ、一区切りしようかとは考えています。

時代性故に、ネットで真理と出会える事の僥倖、そして、直接の出会いはなくとも、それをご教授、ご紹介してくださった皆様に感謝と敬意を込めて、ご恩に報いたいと思い自分なりに書き連ねてきました。

受けたご恩はあまりにも素晴らしいものですから、とてもお返しできるものではありませんが、真我を見る、真我に気づく事の素晴らしさについては、先達の皆様がネットや書籍で語っていますので、そちらの筆の冴えに任せた方がよいと思います。

かつてはこういう情報はごく一部の求道者(今時の言い方ではマニア、オタク)しか手に入らないものであり、表立って語られることもあまりありませんでした。時代は変わり、誰しもがネット等で気軽に手に入る時代になった今、殊更、隠しておく必要もありません。

もちろん、自己責任の比率は私の若い頃に比べれば、圧倒的に高いわけですし、さらには、玉石混交(それも石のほうが遙かに多い)ですから、本物と偽物を識別できる能力、良いモノや教え、素晴らしい人に出会える縁や運というものが、ひょっとするとそれ以上に大事なんだろうと思います。

私個人でみても、偶然の連続が今の必然を生み出しているのは、今まで書いてきたとおりです。

例えば、私のこのような今年の変化はバーシャールが既に予見しておりました(笑)

こじつけじゃないか?と思われる方もいらっしゃるでしょう。

私はこれからこじつける(引き寄せる)んです(笑) 知らなかったんですから。
まだ、残り半年ありますから、何が起きるか、何と出会う、誰と出会うのか・・・楽しみですね~♪

もっとも、知っていたら、真我を見る可能性は激減していたでしょう。

新年のご挨拶で自分の今年のキーワードは「変化」と書いておきましたが、とても抽象的だからこそ、多様性を含むことができたのだなぁと今はしみじみと偶然的必然性の見事さに喜びを噛みしめています。

2013年に関する予見は上段でご紹介した動画でバーシャールが一般論で述べていますから、個人的にはその通り!!!という方も観て思う方もいらっしゃるでしょう。

この流れは2015年まで続くらしいですから、流れに乗ってみたい方は引き寄せを使ったらいいんじゃないですか(^_^)v 

2010ー2015年の期間の動画もありましたが、3つあって各動画が長いので、ご興味のある方はご自分で検索してみてください。

さて、冒頭に書いたとおり、時代性ですから、『頭がない方法』に匹敵するような方法があるかもしれないし、今後出てくるかもしれません。私が出会って、これは!!!と思ったものは今後もご紹介していきたいと思います。

ところで、その後の体験談も・・・と考えておりましたが、私の個人的な体験談ですし、況んや、真我に興味のない方にはどうでもいい話です。ましてや、このブログは真我のためのブログでもありませんし(笑)

抽象的な言い方で一つ二つ書いておくと、真我を見る、真我に気づくことと、神秘体験や霊能力、超能力などとは直接は関係がないと多くの方が言っていますがその通りでしょう。

ただし、それらの能力に対する影響は・・・ということになると、今の自分では単なる推測(私はないので)ですが、あるだろうと思います。

さらに、これら異能的なものではなく、一般的な能力に関しては、自分の体験から推論すれば当然あります。

多方面に亘りますが、例えば、運動能力とか、音楽などの聴覚、色彩感覚が重要な絵画とか・・・etc.

要するに雑念が減るのですから、無駄に消費されているエネルギーが振り向けられるわけで、当然の帰結ですけど(笑)

御利益を望む方にはやる気が出る話でしょう・・・が、しかし・・・見るのは簡単ですが、定着がホント大変なんですよ(^_^;)
【2013/05/30 16:10】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
雑感
暑い日が続きますね。

『頭がない方法』の感想を何人かの方から聞いたのですが、個人的な体験談を書くわけもいきませんし、私個人の思うところを少し・・・

私は便宜上、見たものを『真我』と呼んでいますので、最近、宗教の話をしているのかと思っている方もいらっしゃることでしょう。

私は、単に実験の話とその体験談の話をしているだけでなんですが(笑)

確かに歴史的経緯を眺めてみれば、『これ=それ=真我』を真正面から取り上げてきたのは、主に宗教の世界でしょう。

ですから、今の時代、自分とは関係ないと思う方が大半だと思うのです。特に無宗教者?の多い日本では。

ですが、そのさらなる原点はと眺めてみれば、それは、動物から人間への進化の過程から生じた必然性と捉えることができるものです。

たとえば、大人になって誰もが忘却の彼方へと過ぎ去ってしまった過去をある人は思い出し、またある人は思い出さないままに、ウンザリとする現象に直面する時が多くの人にやってきます。それは親になった時です。

あの子供のしつこいくらいの『なんで?』とか『どうして?』という好奇心と疑問の連発です(苦笑)

この子供のある時期の発達段階が、樹上の猿が地上に降りることになった?意識状態と極めて類似している点です。

進化の過程である時期、地球上の激変から木々に上らざるを得なくなったほ乳類の一部が長い年月をかけて猿類に進化し、これまた長い年月、ある程度平和に樹上で生活できた猿たちに認識の萌芽らしきものが芽生え出します。

高い木々から下界?として見ている風景と地上で見る景色のズレを確かめてみたく、ある猿の一団が勇気?を持って地上に降り立つわけですが、これが我々のご先祖様となるわけです。

子供に理由を説明しても、次から次へと質問が飛んでくるのは、いわば好奇心から生じる問いかけなわけです。論理的な説明が聞きたい、というより理解できるほどにはまだ脳は成長していません。この段階があの猿類の一時期と類似しているわけです。

大人は一生懸命説明しているのに、あっという間の次の質問・・・疲れ果てて(笑)

さて、ことほど左様に人間とは疑問を持つものなわけです。猿の頃からの本能?(ではなく認識の芽生え)という、なが~~~~い歴史性があるわけですから。

猿から類人猿、ヒト、人間とこれまた、なが~~~~い年月を経て、文明文化を生み出すまでに至るわけですが、この『なんで?』とか『なぜ?』という問いかけと答えを見つける過程のおかげで、今の人間が生物の進化の頂上に君臨しているわけですが・・・。

さて、この『どうして?』とか『なぜ?』の問いの方向性が二つあることは以前、書いた記憶があるのですが、それが哲学と宗教です。

もちろん、いきなり哲学や宗教が出現するわけでなく、様々な時代にずば抜けた高い能力を持った人たちが時折現れ、彼らの影響力によって、次第に一般大衆の認識も深まっていきます。

哲学は主に外界の世界の『なぜ?』などに答えを見つけて安心しようとし、宗教は主に『私とはなんなのか?』の答えを見つけて安心しようとしてきたわけです。

こういう歴史的経緯があるため、宗教の分野が主に扱わざるを得なかったわけです。ですが、時代は変わり、今は物質と精神をまったくの別物とする見方は哲学から枝分かれしていった科学の中の物理学、それもその中で最新の量子力学で否定的に見られ始めているようです。

私は素人なので、これ以上は立ち入りませんが、要はこの『なんで?』とか『どうして?』という問いは上記したような、なが~~~~~い歴史性を辿っているわけで、皆さんもまったく例外ではないということです。

もちろん、無関係、無関心で生きることは自由意思で当然可能です(笑)

おっと、雑感ですから、もっとかる~くいきましょう(^_^;)

たとえば、昔流行った3D写真がありました。焦点をずらして見ると、写真が奥に見えたり、飛び出して見えたりするわけですが、初めて見えた時は嬉しかったものです。ですが、一旦、奥に見えてしまうと、飛び出しても見えると説明には書いてあっても全然見えず、エライ苦労した記憶があります(笑)

『真我』を見るのもこれに似ています。要は感覚のある種の反転なんですが。そして、その状態に気づき、気づき続ける・・・

ですから、私にとってはフェルデンクライスをやるのと大差はないんですね。何に気づくかの違いだけですから。

いずれ、『真我』を見るレッスンとか、いつの間にか見ていた!なんてレッスンを創ってみたいと思いますが、まだ始めて一ヶ月にも満たないですから、今は、楽しんで定着させることが最優先です(笑)

フェルデンクライスが安全で静かな環境で行われるのは体験した事がある方なら、よくご存じでしょう。それほど、気づきの能力を高めるのは、初期の頃ほど大事だということです。

『真我』を見続けるのも、まったく同じです。ちょっとした喜怒哀楽でも、吹っ飛んでしまって、吹っ飛んでいることすら気づくのが難事です。見るのは簡単ですが、維持は(>_<)

さて、最近は引き寄せ系の関心はほとんどなくなっていたのですが、もちろん、引き寄せの法則自体は法則ですから、否定はしておりません。昨日、たまたま、言い方はいろいろあるでしょうが、『真我』とほぼ同じでないかと思われる、エイブラハムバシャールの動画を視ました。

以前視た時は、『そうなのかぁ~♪!!!』と感動してワクワクしながら視たのですが、昨日観た時は『そうだよな!』から『そうなんだろうな!』というものです。つまり、『真我』に関するところは、単なる事実ですし、そこから派生する事は未だ自分にないものは、真我を見続けていれば、いずれは現れてくるんだろうと確信したものでした。

引き寄せは感情的には遠くなりましたが、実感としては近づいた感じがしますね(笑)
【2013/05/23 16:07】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
訂正と一つ二つ・・・
暑いですね~

まずは、前回アジャシャンティ氏をアジャンティ氏と書いてしまいました。申し訳ありません。訂正しておきます。

さて、せっかくですから、大したことではありませんが、その後の変化らしき事も備忘録代わりに一つ二つ書いておきます。

一つは、『真我』を見てから数日して気づいたことですが、夢が一挙に増えました。この夢はもちろん寝ている時の夢です。

量が増えたのか、見たことを覚えている、思い出すようになったのか、それらの複合的なものなのかはわかりません。

日によっては、睡眠が浅くなったような感じもします。夢と夢の間に、今、夢を見ていたな!と気づくことが何度かあります。そんな事は普通だという人もたくさんいるでしょう。私は、あまり夢は覚えていないタイプですから変化が大きく感じるのかもしれません。

明晰夢とか自覚夢はありませんが、ひょっとするとこの延長線上にあるのかもしれませんね。今のところ、夢には興味がないので、別に何もしませんが。

いずれは、夢を見ている時でも、完全に熟睡している時でも真我が出現するらしいですが、いつになることやら(笑)

ところで、庭を歩いていたら、足下を飼い猫が二匹、付いてきたんですね。風が心地よく吹いていて佇んでいたら、いきなりカラスが頭上を掠めて、足下(1メートルほど)の一匹の猫に襲いかかったんです。そのカラスとこの猫は犬猿の仲?らしいのですが、私がいても、どうやらカラスは気づかなかった(気にならなかった?)らしいのです。

私は真我を見て、世界を観る、すなわち両方向の指差し状態(指は差していませんが)の意識でしたから、景色に溶け込んでいたのかもしれません。バサッと、頭を掠められて、反射的に腕で振り払おうとして、その意識状態はあっという間に消滅しました。

木に止まってこちらを見下ろしているカラスを見て、巣でも近くにあるのかと思って、場所を変えてあの状態に戻ると、猫たちも付いてきて、また私の足下に寝転がりました。

5分と経たないのに、またもやこの猫めがけて、そのカラスが襲ってきました。今度は私もカラスがいるのは知っていましたから、その状況を立ったままその意識状態で眺めてました。

彼らが喧嘩を始めそうだったので、まずいなぁ・・・と思ってカラスを見た瞬間(真我の意識が消えた瞬間)、カラスは飛び去っていきました。

記憶は定かではありませんが、イタリアの聖人、アッシジの聖フランチェスコは小鳥たちが肩や頭に止まったと、どこかで聞いた覚えがあります。

確かに二方向の指差し状態では、自分(この場合は真我)=世界ですから、カラスも自分(という実感)ではあります。視覚的にはまったくそうなんですが、つつかれると痛覚優位で、あっという間に真我どころではなくなりますから、今の私には到底無理な世界(境地)ですね(笑)

あと一つ気づいたことを書いておきます。

真我は思考でも感情でも肉体(感覚)でもない!!!とは、知識では知っていました。ですが、真我の性質?特質?(正確な言い方がわかりません)らしい、平安(私は今のところ平安のほうが腑に落ちますので、平安を使います)とか至福意識を感情と識別出来ていないことに気づきました。

ほんの束の間ですが、明瞭に、真我は思考でも感情でも肉体(感覚)でもないという感覚を伴った気づきがあったからですが、なるほど、本当に違うんだなぁと実感出来た次第です。

それは、動画を見ていたとき、クスッと笑ったんですね。もちろん、その内容に対してです。その時、自分がクスッと笑った事に気づいたというか、見ている状態にいました。ちょうど真我を見ながら、動画を視ていましたから。

で、明瞭に真我に由来?付属?する平安と可笑しいという感情はまったく別のモノ、というのがハッキリとわかったのです。

可笑しいという感情に気づいて、クスッと笑った自分を眺めていたら、あっという間に可笑しいという感情は去って行き、なんだコレ???という感情とそれに伴う思考が涌き上がってきたからです。

ですが、平安という感覚は、何ら変わらず、ずーっと流れている・・・というか、平安という感覚の上を、様々な感情や思考、感覚が流れていっていると気がついた(見えた)のです。

まさに、思考でもなく、感情でもなく、肉体(感覚)でもない・・・真我とは『それ』としか言いようのないものでした。

とはいえ、今の私では、強烈どころか、少し強く感じる感情の起伏(喜怒哀楽)、集中した思考状態、況んや痛みなどのちょっとした肉体的苦痛程度でも、あっという間に、真我の平安は雲に覆われてしまいます。

ですから、聖者と言われるようになった人たちの多くが、なぜ隠遁するのか、していたのかも成る程と思いました。

悟り(真我)を求めて、隠遁することも、もちろんそうでしょうが、むしろ、『見た』後の定着が難事だからこそなんですね。

『真我』の状態と共存できるようになるために、神経システムが成長、進化、変容するまでは、なるべく刺激を減らす必要があるということです。芽が出たばかりの、か弱い状態ということです。スモールステップを経ないと枯れてしまうわけです。

アジャシャンティ氏は禅の系列の方らしいので、当然に、そして、エックハルト氏も別の理由もあるかもしれませんが、ホームレスのような状態で数年間過ごしたと言っていた記憶があります。

他の聖者と言われるような段階に至った人たちの多くが、やはり似たような時を過ごしていることを考えると、我々現代人には、定着させることは本当に難事かもしれませんね。この世はあまりに、刺激的な世界ですから。マトリックスの世界は魅惑的です(笑)

とりあえず、2~3書いておきましたが、また、気づいたことがあったら書きますね。

もちろん、できるだけ、他の人たちの話で検証はしているつもりですが、これは私の神経システム経由の話(体験)ですから、一般性はありませんよ~(笑)
【2013/05/12 21:10】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
背景にあるもの
暑かったり寒かったり・・・外側の世界は大きく激しく、変化していっていますが・・・内面の世界は静寂そのものです。

今回は、その静寂に見事に誘ってくれる動画をご紹介します。

ダグラス・ハーディングの『頭がない方法』で『本当の私=真我』を見てから、それ以前とはまったく違う感覚が静かに日常生活に出現し始めていることは最近ずっと書いているとおりです。

現象として幾つか挙げれば、まず、思考が激的に減少しました。今回ご紹介するエックハルト氏は8割も減ったと言っていますが、私が最初に実感したのは半分にも満たないほど減ったという感覚です。

それは、思考(≒想念≒雑念)と思考(≒想念≒雑念)の間に、時にはそこはかとなく、あるいは、強烈に流れていた思考(≒想念≒雑念)が、減少ないし、陽炎のような淡いモノとなって、その背後に『見ているもの=真我』が顕現しだしたからです。

要するに、厚い雲に覆われている世界しか知らなかったのが、雲の背後に太陽があり、雲の流れ、風、などの現象と関係なく燦然と輝いているのと同じです。

太陽(真我)が現れたのではなく、単に雲(思考≒想念≒雑念)が減っただけです。

そして心境の変化です。当初は、雲(思考≒想念≒雑念)つまりマインド(特に感情や感覚を強く含む意味で使っています)が嫌がり、引き寄せの法則系の動画を多数観たと以前書きました。

特に、バシャールやエイブラハムです。YouTubeで観ていると、向かって右側に似たような動画が多数紹介されているわけですが、そこで、アジャシャンティ氏やエックハルト氏の動画にも出会いました。

『頭がない方法』を試していて、最初の内は、引き寄せという未来に生きる考え方(マインドの一つの形態)のことも、アジャシャンティ氏やエックハルト氏は真我ではない、幻想だと切って捨てていたので、チラッと見て、嫌でしたから、まったく観ませんでした。

この時点では雲(マインド)は両立できるだろう、というより、したい!!!と雲が考えていて、私(マインド=雲)もそうだ!そうだ!と思って(=雲)いたのでした。

ところが、日が経つにつれて、静寂の感覚、そして豊かさ、さらに、今は平安という感覚が生じてくると、しきりと未来を夢見て引き寄せようという思い(マインド=積乱雲)が、青空にぽっかりと浮かぶ小さな雲の断片程度にしか見えない(思えない)感覚に変わってきてしまいました。

別に、欲望を捨てようという気も更々無いし、執着を絶ったわけでもありません。自然に、この静寂、豊かさ、平安のほうがいいな~♪と変容してしまいました。

それに連れて、当初はあれほど嫌ったアジャシャンティ氏やエックハルト氏の動画を観ているのが好きになってしまいました。

見方がまったく変わってしまったからです。当初は、たとえ観たとしても、頭がない状態で視られる時間は僅かですから、話の内容に耳を傾けざるを得ませんでした。ですから、すぐに、雲がもくもくと沸き立ち観ていられなかったのです。

今は、頭がない状態で観ている時間が圧倒的ですから、むしろ、心地よいのです。彼らが、その状態なのはよくわかりますから。特に、エックハルト氏は我々をその状態に誘おうとしているんですね。あの独特の間がそうです。まさに、沈黙は金なり!雄弁は銀なり!です。

その中でも、特別意図しているのが、『背景にあるもの1』と『背景にあるもの2』です。

内容は真我の説明や現象の話です。素晴らしいですが、真我を見ていれば、至極当然の話をしているのはハッキリと実感できます。

むしろ、秀逸なのは、話と話の間の沈黙です。この時、エックハルト氏は沈黙することで、強烈に真我の存在、光を放射しますので、それに自分の意識が引っ張られます。指差しで実感できる人は、より明瞭に長い時間、その状態が自分に出現するのが感じられるでしょう。

まさに、恩恵というより、恩寵でしょう。

ただ、やはりこういう世界に興味のない方は見てもつまらないでしょうし、意思力(マインド)で視たとしても、沈黙の間を放送事故か?と考えてしまうほど長い(その状態に共にいられれば、実に平安で静寂なんですが)ので飽きてしまうでしょう。もちろん、(苦)行と捉えることもできますが。でも、これでは無意味です(笑)

ですので、今回は、特にこの世界にご縁のある方にご紹介です。
【2013/05/09 00:00】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
豊かさ
素敵なGWを過ごされましたか(*^_^*)

私は、かつてないほど、たくさんの動画を観て過ごしました(笑)

何か自分自身に微妙なズレというか変化が生じていて、それが何なのか知りたくて・・・

音楽は門外漢なので、不正確な例えだと思いますが、全てが半音ズレているような・・・

気分のようだけど、気分じゃない。ましてや、考え方(思考)、感情のような海に例えれば、波のような表層の感覚でもない、もっと深いレベルの何か・・・

特定の方向へ深いところでズレていっている、あるいは何かが浸透して自分の意識が変化というより変容していっている感覚、それも微妙に僅かずつ、しかし、明瞭な・・・

自分にとってあまりに曖昧なるがゆえに、自分自身に説明する言葉、腑に落ちる言葉を求めて動画を観ていたともいえます。

そして、一つの腑に落ちる言葉に出会いました。

『豊かさ』

少しずつ、少しずつ、変容していっている方向、それは、自分が『満ち足りている』という微かな感覚でした。

何かがある、何かがあった、何かを持っている、何かを持てそうだ、持ちたい、誰かがいる、誰かにいてほしい、etc. こういう感情や思考のような波のうねりではなく・・・

そう、深いところから生じる、妙な感覚とは、『豊かさ』という感覚でした・・・逆にいえば、満ち足りた感覚である豊かさをこれほどまでに知らなかった、実感したことがなかったという自分の発見です。

もちろん、時には嬉しい、楽しい、幸せ、気分の高揚などの感情のスケールの変化は間々ありました。

でも、自分の波動の基調は『求めていた』ことに気づきました。この『豊かさ』という感覚を知ったことで・・・

すべてが半音ズレている・・・何か楽しいことがあったからでもなく、気分が高揚しているわけでもない、別に楽しいわけでもない・・・でも満ち足りている。



こうして少しずつ、自分の基調の波動がズレていく、変容していくという予感・・・


【2013/05/06 23:35】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
偶然的必然性・・・3
GW真っ最中ですね。皆さんは楽しく過ごしておられますか~♪

私は『見た』以来、日常生活には劇的な変化はありませんが、内面は激的な変化でして、やっと呟き程度には書けそうなところに落ち着いてきました。そこで今回は今の状態の備忘録です。あれから、数日しか経っていないのに、随分と昔の事のように感じられて・・・

さて、前回の時点では、『見た』とはまったくのイコールではないかもしれないが、『内なる自分』が明瞭に実感でき、後は、この波動によって引き寄せの法則が加速されて自分の望む人生がどんどん楽しめるだろう~♪と気楽にo(^-^)oワクワクしながら考えておりました。

『内なる自分』(≒『真我』 以後、真我に統一します)の実感を深めるために、「指差し」はちょくちょくやっておりました。次第に、指を差さなくても、ある種の表情、視線をすれば実感できるようになり、両手を使った二方向の指差しも、自分(この場合は真我)=世界!と明瞭に実感でき、特段、高揚感や至福感は感じませんが、サイトに書いてあった通り、見るのは誰でも出来るが、定着させる、日常の一コマに組み込むのは、なるほど大変だ思いながら、楽しんでおりました(というか、今もやっています)。

ですので、体験談にあった後頭部がチリチリするという感覚には、ああぁ、やっぱり!!!と笑ってしまいました。私の場合、肩から首筋、後頭部にかけて、熱感を感じていましたから。特に、後頭部の真ん中辺は激しく、やり過ぎると、反対側の眉間(アジナチャクラ)からも湯気が立ちそうです(笑)

映像でインタビューを受けいていた多くの人が、自分の両耳の脇辺りの空間をその位置として指していましたが、まさに、自分でもそう実感していましたから、インタビューを視た時は、神秘的とか霊的、宗教的なものではなく本当に物理的なんだなぁとこのリアリティ度に感激していました。

ところが、ブログを書いた翌日に妙な感覚に気づいたんですね・・・

なんか・・・テンションが下がってる???

感情のスケールで調べてみると、普段は大体5~8を推移していて、最近は、9以下はまずないのに・・・特に、真我を見てからは、一時的な高揚感も含めて、1、3、4辺りの比率が圧倒的に高かったわけです。

でも、なんだか、10、11、13のような微かな気分が漂っているんですね。もちろん、このスケールの位置とは全然違います。言葉が類似しているだけで。ですが、妙な違和感があるのは確かですから、放っておくと、引き寄せが始まるといけないので、少しテンションを上げようと思って、引き寄せ関連の動画を視たわけです。

で、その時、驚いたのが、引き寄せ関連の動画を見ていても、いつものようにテンションがなかなか上がらないどころか、ふっとこんな事を呟いたのです。『いくら引き寄せが成就しても、すぐ醒めて、別のモノの引き寄せを願って、そんなことを延々とずっーと繰り返しながら生きてて何になるんだろう?』

これを自分の耳で聴いた時には衝撃的でした。いきなりの完全自己否定でしたから・・・

自分(思考&感情&おそらくエゴ)は、慌てて、いったい何が起きているのか調べ始めました。

すると、こんな感覚がベースになっていました。

今、夢から覚めて、いい夢だった。だからもう一度、今の夢の続きを観たいな・・・所詮は夢だけど。 
あるいは、映画のマトリックスのように所詮、脳内で夢見ているだけで、いつまで、夢を見続けるんだ???

ちょっ~~~~と、待て!!!!!!思考は猛烈に反論しました・・・

確かに夢かもしれないが、とても楽しいし、ワクワクするぞ! そう考えなかったら、いったい人生、何が楽しいんだ!!!

すると、内なる声で、あるがままに、今に生きればいいじゃないか・・・

冗談じゃない!!!せっかく、引き寄せの法則に出会って、やっとトキメキを感じて、さらにはワクワクしてきているのに、あるがままなんて、単なる今の自分の肯定じゃないか!!!今のままで満足なんて、何かが起ころうが起こるまいが、単に眺めているなんて、ちっとも楽しくも面白くもない!!!

所詮、どこまで願いが叶ったって、夢の中なんだろう?いずれ、醒めて、どうせ出るなら、今出ればいいだろう!!!

うっ!!!と詰まって反論できない自分がいるんですね。うすうす、気づいてはいたから、妙な違和感を感じていたわけで。

ですが、夢から醒めたくない、ましてや、マトリックスの脳内の夢から出てみても、現実はボロ船でしたから、ならば、夢のほうがマシ・・・と思考&感情は騒ぐわけです。あるがままに見たところで、トキメキもワクワクもちとっとも感じないぞ。況んや、あるがままなんて何が起きるかわからないし!!!と。

この時、私の下した決断は、これはまずい!!!動揺しているので、更なる動揺とそこから、更なる混乱が引き寄せられてしまう。一旦、考えるのは止めて、他の人たちがどう対応しているのか、調べてみようというものでした。

そこで、本を買って読んでみたり、再度、幾つも動画を視たりしました。中立な立場というよりは、ワクワクしたり高揚感を感じたいと思っていましたから、やはり、引き寄せや特にバシャールの動画を視ました。バシャールは以前、興味のあったタイトルを何本か観た程度でした。

驚いたのは、その見方というか、見え方です。以前、書いたかもしれませんが、3分を超えるような動画は観るのが苦痛だったんですね。飽きてしまって。それは、結局、自分の思考の嗜好性にそぐわないと我慢できなくなっていたわけです。もちろん、それを自覚はしていましたが、観たくないものは視る必要はないし、好きなモノを見ればいいじゃないか!自分の自由だから・・・とプラスの評価しか立てておりませんでした。それどころか、引き寄せから考えてもむしろ良い方向に向かっていると判断しておりました。

でも、もう少し、直視してみれば、認識が偏頗(へんぱ)しだしていたんですね。分かりやすくいえば、偏食です。例えば、子供がファーストフードやお菓子ばかり食べていても、好きなんだからいいんだよ・・・と、放っておくのか・・・という問題と論理的には同じです。

一旦、偏食しだした子供は嫌いなものは、さらに嫌っていく(引き寄せ)ように、私も、興味のないものはどんどん見なくなり、視るのが苦痛にすら感じるまで量質転化していたのでした。

つまり、好みのモノに特化していけばいくほど、他の可能性が次第に排除されていく、これは神経系から見れば、好みのモノばかり取り入れれば取り入れるほど、それに対応し反応する神経はどんどん発達していくが、それとは疎遠の神経系は、使われなくなるが故に、廃用性萎縮を起こしていき、その神経が死滅したりすれば、それに対応する世界、経験はより感じ難く、認識し難くなるスパイラルに入っていくということです。多くのお年寄りが頑固になって(例えば煩わしい事、面倒くさい事には関わりたくないという方向へ特化、つまり引き寄せが見事に成就していったものが痴呆)、極度に特定の習慣的な晩年を過ごされているのを皆さんも目の当たりにされるのでよくわかると思います。

ですから、たとえバシャールでも好みのタイトルしか観ませんでしたし、10分も20分以上もある動画は、最初から観ませんでした。ところが、今回は、それが全然苦にならないどころか、じーっと視ているんです。飽きるどころか、ほとんど注意力が削がれずに。バシャールの字幕付きの動画はおそらく全て視ました。ほぼ一日で・・・

かつて(と言うか、つい数日前まで)の自分では考えられない事です。黙々と視ているんですね。自分というより真我が・・・ですから後頭部がヒートしっぱなしでした(笑)

そして、初めてわかりました。私は見たいもの観たいようにしか視ていなかったと・・・映像を一旦、自分の思考のフィルターに通して、自分好みに変えてから、つまり、自分の嗜好に作り替えて、それを味わっていたのだと。だから、知っている味だと、思考が、もういいや!と飽きてしまったんですね。

今回というか、今は、見るとずーっと視ていられるんですね。結局、それは、今この瞬間、その映像、さらにはその登場人物を視ている(というより一体化に近い)からなんですね。

今、その瞬間瞬間に生きるとはこういう事なのか・・・と、今回の揺らぎで気づきました。

もちろん、思考&感情はまだまだ納得しきってもいないし、不満タラタラのようですが(笑)

でも、なんとなく、今に生きるというのも悪くないかも~♪という思いもうっすらと過ぎりだしております。

考えてみれば、自分で決めたことだけを求めてそれしか起きないという事は、すべて既定路線ですから、つまらないわけですよね。

ただ、自分にとっては既知の道(願望、思考の世界)が安心できるのも確かですよね。未知の道(あるがまま)は怖いですから。未知の道どころか、未知の道への道(たとえば、今回の微妙な感覚や動揺)も未知ですから・・・二重に不安であり恐怖です。

さて長くなりました。とりあえず、今回はここまでです。まだ、書きたい事もありますが、彼女の意向がどんどん強烈に反映してきますから、自分がどう変わるかわかりません。惚れた弱みで、あなた色に染まっていくんですよね。結局は私の負け戦(最終的には嬉しい)です。この比喩、わかりやすいでしょう(笑)

そうそう、今回のタイトルの偶然的必然性3ですが、まさに、『見る』ことに出会ったのは偶然でしたが、こうなるのは必然でした・・・なぜなら・・・今年の初めに変化の年だから・・と変化を求める(する)ことを書いているんですから(笑)

今後は、何を書くんでしょうねぇ~(笑)
こんなに長々と書かなくても、今は、便利な時代ですから、リンクを貼りましょうか(笑) 
これほどの人でも今の私に起こっているような事を手短に動画で見せて教えてくれています。ありがたいことですm(__)m

ではでは、残りのGW、楽しんで下さい~♪
【2013/05/02 01:11】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
いざ!自由へ フェルデンクライス・メソッド


フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

プロフィール

kanfuboy7

Author:kanfuboy7
フェルデンクライス・プラクティショナー

夢は猫や虎のようにしなやかに自由自在に動く爺になる事です(笑) 現在、夢に向かってばく進中?

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

リンク

FC2カウンター

カレンダー

04 | 2013/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する