fc2ブログ
感慨深く・・・
穏やかな日が続いて何よりですね。

ちょっと、暑いくらいですが、荒れた天候よりはやはりいいものです。

さて、Wシリーズ、上原選手の活躍凄かったですね。私は野球は観ていないですが、神の如く評されていることは耳にしておりましたので、どんな投球なのかと調べてみたのですが、専門的解説はわかりませんでした(^_^;)

感覚がないものは話されても全然わかりませんね。ただ、それプラス何か凄いカンのようなものを把持しているようです。どうやって、それを身につけたのかは興味あるところです。

上原選手が日本のみならず、アメリカでも努力して活躍された結果であることは誰しも異存はないでしょうが、それに運のようなものもあるのもまた確かでしょう。どんなに実力があってもチームで戦うのですから、一人だけではどうにもなりません。

最近引退した松井選手は、ヤンキースでWシリーズを制覇したわけですが、勝てる可能性の高い時にチームにいるか、イチロー選手のように不運(今のところ)な時なのか不思議なある種の力があるようです。時と場所と縁という条件が揃わないと、何であれ成就しないと聞いたことがありますが、イチロー選手は実力は文句なしですから、上記のいずれかが、揃わないのかもしれません。この辺は、通常、人智では計り知れないですから、結果論と成らざるを得ませんね。

さて、Wシリーズであれ、オリンピックであれ、何であれ、レベルの凄く高いものは人をして素晴らしく感動させるわけですが、反面、自分自身とはどこか遠い世界の出来事でもあります。

我々とて同じ人間なんですから、可能性はある(あった?)はずです。とは言え、やはり、凄いものは一握りの人のものだから凄いわけで・・・

でも、そんな我々でも本当は、生まれながらにして実に感動的な存在なんですね。これを観ると!!!

これには上原選手も打たれちゃうでしょう(笑)
【2013/10/31 16:56】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
余韻の残像
台風が沖合を行ってくれて、良かったですね。

29号が出来かけているらしいですが、またコースを外れてくれることを期待したいところです。

20年位前、11月30日に台風が上陸した記憶があるので、今年は海水温も高いですし、まだ幾つか来るかもしれませんね。

さて、今回は明確な言語化や一般化は出来てはいないので、備忘録代わりですm(__)m

前々回のブログで音のない音というタイトルで書きましたが、前回に続き、その後という感じですね。

あの体験、感覚以降、音(正確には音と音の間(ま))に何となく注意が向き出しているのに気づきました。

『頭がない方法』で真我に気づいている時、今までは音に注意を向けたことはありませんでした(そんな余裕はなかった)が、あれ以来、何となく音(正確には、今の私には聞こえませんが、真我の音?)に耳を傾けてしまいます。

昨日、ネットサーフィンをしていて、何故か、エックハルト・トール氏の動画に偶然出会い、はたと気づくことがありました。彼の動画は最初と最後にチベタンベルの音が鳴るものが多いと思います。

今まで一度も意識に上りませんでしたが、彼のこの動画の一番最後で講話の終了の合図として3回、チベタンベルを鳴らしました。その時、彼が各回毎に静寂を味わっているのがハッキリ感じられたんですね。

彼は講話中に意図的に長い時間沈黙を保って、視聴者を静寂へと導こうとしてくれるわけですが、最後のチベタンベルのほんの短い間(ま)でも静寂をしっかりと味わってから、再度鳴らしていました。

私は彼に誘われて、彼と共に静寂にいましたが、動画が終わって余韻を感じている時、ふといつもとほんの少し違っていたことに気づきました。

それは静寂の中にいながら、半ば無意識に静寂に耳を傾けていたということです。これまでは、静寂の中にいて、静寂に浸り、静寂を味わっていました。ここまでは同じですが、この時は聴覚にも注意が働いていたということに後で気づいたわけです。もちろん、静寂ですから、今の私の聴力ではその音を聴くことはできません。

ですが、先日の演奏会から、どうも音(正確には間(ま))に意識が向き出したようです。

そこから、ふと幾つかの事を思い出しました。

マーパイさんでのRAURAさんや他の方の演奏会がなくなって、誰かいい人がいないかとネットで調べたことがありました。何人かの演奏者の動画を視たのですが、どうも食指が動かず、それっきりになっておりました。その時は、まだ真我を見る前でしたので、演奏のスタイルとか技巧が自分の感性に合わないのだなと考えたのですが、そうではなく、その時、たまたま視た演奏者の方々が、間(ま)を取っていない事に気づいたのです。

クリスタルボールを大きく鳴らすような、さらには強く叩くような演奏の仕方が自分の感性に合いませんでしたが、それは、私が無意識に間(ま)を大事にしていたからなんですね。幾つかのボールを立て続けに鳴らせば、各ボールが共鳴、共振するわけですが、それでは静寂、間(ま)が無いわけです。もちろん、演奏の善し悪しとか、技巧云々、そのスタイルの好き嫌いとは別次元の話です。

エックハルト・トール氏を観ていて、先日の演奏会で私は間(ま)の音、すなわち静寂の音を聴こう(意識する)としていましたが、クリスタルボールの演奏、波動で半ば、無意識になった時に、その状態で静寂に耳を傾けていたこと(気づき)に気づきました。

私が観た動画の演奏者の方々は、その時点では、間(ま)には気づいておられなかったのでしょう。ですから、音が鳴りっぱなしなんですね。もちろん、そういう演奏を志向されているのでしょうから、私がとやかく言う筋合いではありません。私が偶然、マーパイさんで意識的か無意識的かともかく間(ま)を取る演奏者ばかり(全員RAURAさんの生徒です)聴いていたわけです。感性の問題ですから、そういう感性が無いというか、志向性&嗜好性が無いと共感(共鳴、共振)は難しいかもしれませんね。思考レベルの事ではないので。ざっくり言ってしまえば、相性の問題とも言えますが(笑)

というわけで、意識的には昨日辺りから、無意識には、先日の演奏会から、静寂、真我に気づいている時に、それに耳を傾けている自分に気づき始めました。

面白いのは、テレビのCMとかで音が途切れると、それによって、静寂に引っ張られるんですね。ほんの僅かな間(ま)が生じると、意識が静寂を思い出すという逆向きの働きが起き始めたというわけです。

聴覚に注意を向けて演奏会を聴きに行ったわけですが、こんな副産物をもたらしてくれるとは思いもしませんでした。

で、ここかからは論理的推測ですが、クリスタルボールのみならず、他の楽器でも静寂に耳を傾け始めると思います。考えてみれば楽器ですから、音に注意を向けるのが普通ですが、今の私は静寂、間(ま)に注意が向いてしまいます。まだ、曖昧で明瞭にはとても言語化出来ませんが、静寂から音が生まれてくる感じがするんですね。

ですから、もしも演奏者が静寂に気づいていて、そこから音が生まれてくると実感しているとしたら、その演奏者の楽器の音、というより、その波動、その空間が真我の質を帯びてくる、さらにはそれを奏でる・・・なんていうこともあるのだろうと想像してしまいます。

そして、さらに、神経系が成長、洗練されてくれば、たとえば、絵なんかにも静寂を感じ取れるようになるかもしれない気がしています。私は絵の中では水墨画が好きですが、あの真っ白な余白が何故かとても好きなんですね。特に武蔵の書いた『枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)』、これも、無駄を省いた、感性を研ぎ澄ました描写に心が惹かれていたのですが、余白が広大な空間と感じられ、静寂となってこの絵を眺めていると、自分がまるでこの絵(世界)の中にいる感覚にさえ襲われてきます・・・他の絵でもそんなことが起きるような気もしてきました。

こういった流れで、嗅覚や味覚や触覚でも、この世界をこれまでとは違った世界として開示してくれるのではと・・・

もちろん、以上の事は私の単なる主観です。ましてや、まだ続いているクリスタルボールの一過性の効果かもしれません(笑) ですから、備忘録です。

でも、世の中広いですから、100%同じとはいかないのは当然ですが、似たような感覚を持っている方もいるのではと密かに期待しているんですけどね~♪
【2013/10/28 22:23】 | クリスタルボール | トラックバック(0) | コメント(0)
余韻
ゆっくりと二つの台風が北上してますが、どんなコースを辿るのでしょうか。台風には台風の役目がありますから、致し方ないとはいえ、出来るだけ被害の少ないルートをお願いしたいものです。

さて、クリスタルボールの効果は数日から数週間続くと聞いていましたが、今まで自分はそれを実感(というより気づきかな)しておりませんでした。もちろん、気分的な変化が数日続くくらいはありましたけど。

今回気づいたのは、クリスタルボールの効果なんだから、その影響というものも波動とか振動的な感覚のことなんだろうと無意識に限定していたことです。

さて、まず、これは誰もが気づいたでしょうが、RAURAさんの雰囲気です。とても爽やかで柔らかい波動を醸し出していました。いろいろなファクターはあるでしょうが、分かりやすいファクターは、海外での生活が長いので、日本(人)的波動が薄くなっているからというものでしょう。

海外に出て解放感を感じるのは、特に日本人特有のお互い半ば無意識に張り巡らされている、気遣い、心遣いから解放されるからですね。

例えば、海辺の窓から白いレースのカーテン越しに爽やかな心地よい夏の風が入ってくる・・・そんな印象がRAURAさんから感じたものだとすれば、日本人同士が無意識に感じ取ってしまうものは、蒸し暑い夏の日に吊された蚊帳(若い人は知らないかな 笑)の中で感じる風のようです。確かに蚊に刺されない便利さはありますが、何とも言えない蒸し暑さと閉塞感があります(笑)。海外に長く居たことがある方は実感していただけると思いますが。もちろん、海外に出てみて分かる日本の好さ、日本人の素晴らしさもあります。 

さて、これはRAURAさん個人から感じたものですから、特定の現象だと思っていたんですね。翌日のフェルデンクライスのレッスンに、最近はお忙しいので、あまり来ない生徒さんが珍しくいらっしゃいました。久しぶりでしたので、他の方を交え、お話していると、この方から珍しい写真を何枚か拝見しました。

この方は御神事に縁のある方で、偶然ある神社の例祭(それも立て続けに幾つか)に呼ばれたそうです。世の中にはこういう方がたまにいらっしゃるんですね。神様に気に入られている方が。特に神社系の神様の波動を身に纏った人は、ある意味非人間的(当然一般的な悪い意味ではありません)な独特の波動(光)を放っています。

レッスンは夕方で、部屋は少し暗くなっているので、その人が光っているのはハッキリ私の目でも見えます。色白だから尚更ですが、透けて光るんですね。まぁ、普通じゃないと(笑) 私は何人か見たことがありますし、以前ブログで書いたヒランヤの実験や長期の断食で自分がこれに近くなったこともあるので驚きませんが。

で、お話している時、こんな風に見えた(感じた)んです。降りてきた高次の波動に身体(細胞)は適応しつつあるけれども、この方の思考(この段階でこの方は自分とは思考だと思い込んでいる)や思考が放つ波動と、高次の波動がぶつかり合っていると。

神様に気に入られる、呼ばれるような方は、幾つもの過去世で依り代として自分の人生を捧げていた人も多いでしょうから、身体の波動は神々の波動に実に良く馴染む、すなわち、引き寄せられるわけですが、今生では、通常、すっかりそのことは忘れているわけで、別人格です。まったく、普通に生きている、生きたいのに突然、思いもよらない現象に巻き込まれていくと感じても不思議ではありません。

これは、別に誰にでもよくあることです。御神事はあまりないでしょうが、運、不運とか、今は一般的な言葉になりつつあるカルマというやつですね。

要するに、私の目からは、その方に降りている神々の波動が肉体レベルにまで浸透し、見事に光りを放っているわけですが、そこから来る波動(≒神々の意思)には、今生の自分の思考(の仕方、様式)が抵抗しているのが見えたというわけです。

で、自分の中で生じている混乱を解決するヒントが得たいと思い、久々にレッスンにいらしたわけですが、ではどこがクリスタルボールの効果なのか・・・ということですね。

それは、その混乱(取り乱しているではありませんよ。念の為。笑)した波動に私はまったく影響されず静寂だったということです。いつもなら、相手の世界にあっという間に巻き込まれ、巻き込まれた事も気づかずに、その世界で思考し、話し、解決策を探るのが常態なのに。

私は自分が静寂であることに気づいていました。目の前で起きていることは映画を見ているようです。でも映画と違うのは私も映画の中にいるんですね。単に淡々としているのではなく、自分と生徒さんたちの思考の流れ、それに伴う感情の起伏、身体から発する波動、別次元の波動、それらが綾なすエネルギーのうねりのようなものを静寂とともに味わっていたという状態です。

前日にクリスタルボールで自分が調律されていたので、基本的な波動がしっかりし、彼らに巻き込まれなかったということです。ですから、別段、私がアドヴァイスをするまでもなく、皆さんがご自分で気づかれていきました。これを味わってみると、案ずるより産むが易し!の高度版だなと(笑) さらに、この引き寄せには生徒さん同士の関係性において別の意味もありましたが、それは今回の主題ではないので、いずれまた。

そして、その翌日のレッスンでもその流れは続きました。レッスンに関したことはフェルデンクライスを知らない方には分かりませんので、レッスン後のお喋りから一つ。個別的な事は書けませんから、似たような話をします。これは、結構、役立つと思いますよ。

クリスタルボールがキッカケですから、これを題材にします。たとえば、私はクリスタルボールの演奏を聴くのが大好きなわけですが、最近はあまり聴くチャンスはないわけです。特にマーパイさんでは。以前は、RAURAさんを筆頭に他の方々の演奏が時折あったわけですが、今回は1年以上、間が空いているわけです。

そこで、こう感じるわけですね。もっと、聴けたらいいのに・・・と。

でも、チャンスがないわけですから、考え方を変えなければなりません。私の場合だったら、こんな風に考えます。

回数が減った(量)とはいえ、ゼロではない。その数少ないチャンスを有効に使うためにも、自分の波動を上げておく必要があるな。考えてみれば、クリスタルボール以前のシンギングリンは、月一程度受けていたけれど、受けるだけで満足だったから、好かったという思い出しかない。今は、一年に一回あるかどうかだから、1年後に向けて波動を上げるという取り組みが出来る。返って、日々の波動(の質)に注意を払うに好都合じゃないか!!!

こう考えた瞬間、一気にテンションが上がる(FeelGood)になるわけです。さらに、引き寄せが始まり、こんな風な想念が湧いてきます。七夕での神様だって一年に一回なんだから、それに比べれば曇るわけでもなし、ついてるわ。それに、神様は逢うだけだけど、俺は成長しようとしているもんね~♪(笑) で、さらにテンションが上がっていく想念の連鎖となっていきます。つまり、こう考えるのが楽しいわけで、当然、喜びの波動が素直に拡大していきます。

では、同じ事を考えたとして、こんな風に感じてしまう場合はどうでしょう。

とはいえ、やっぱり、年一回は寂しいなぁ。でも、実際、これしかないんだから、仕方ない。我慢だ!来年まで頑張ろう!!!

もう、皆さんもお分かりでしょう。これでは、波動は下がっていってしまいます。私は、こう感じるなら、この考え方は採用しません。

たとえば量が問題なら、CDを買うとか、ライブでなければ駄目なら他のクリスタルボーラーを探そうとか、それでも足りなけりゃ、クリスタルボールに限らず、シンギングリンとか、チベンタンボールの演奏を聴きに行くとか。

質が問題なら、良い演奏家を探すとか、RAURAさんじゃなきゃ駄目なら、海外まで追っかけをやるとか(笑)

つまり、何であろうと、優先順位は波動の上昇、つまり、FeelGoodであり、考えに自分の感情を従わせる事ではありません。

生徒さんたちの話を聞いていて、時折、こういう光景を目にします。今回は、まだ私にもハッキリと演奏会の影響が残っていたから、上記したようにハッキリと思考に感情を従わせようとして、抑圧された波動がそこから吹き出しているのが見えました。

自分の信じる正しい考えを己に課して生きたいのなら、別に止めませんが、幸せになりたいなら、正しいと思う考えを自分に課したからといって、幸せになるわけではありません。

この辺は、引き寄せの法則関連の本やサイトに書いてありますし、私も随分と書きましたので、これ以上は止めます。結局、自分で気づくしかありませんしね。

で、私が今回、一番学んだことは、自分を調律するのが一番手っ取り早いということです。結局、皆さん、私を鏡として自分の不調和に勝手に気づいていくんですから(笑)
【2013/10/23 16:25】 | クリスタルボール | トラックバック(0) | コメント(0)
音のない音
今日はかなり本降りの雨でしたが、最近はお陰様で恒例の、移動時はほとんど雨が止む現象で助かっています(笑)

駅の近くのマーパイさんでRAURAさんのクリスタルボール演奏会でしたが、ズブ濡れはちょっと辛いですし。前日の天気予報で3時頃は雨の止み間のように天気図が見えたので、あぁ、やっぱり止むなと思っていたら、ちゃんと出かける時に止んでくれました。帰りはザーザー降りでしたので、少し小雨になった頃合いを見計らって会場を出ると、やはり、止んでくれました。で、自宅に着くとまた土砂降り。以前と真逆で感無量ですね(笑)

行きは少し、時間の余裕があったので、ふと思いつき、途中で神社にお参りしました。何かのお祭り?らしく、扉が開いていてご神体らしきものまで拝見することができました。

この神社は子供の頃、通学路にあり、学校帰りにテキ屋さんがいろいろ怪しい&妖しいものを売っていたので、寄り道ばかりしていたところです。ですが、未だかつて一度も手を合わせたこともなく、近くを通っても一度もお参りするという事が意識に上ったことがありませんでした。

比較的神社に手を合わせるのが好きな私としては、まったく意識にも上らないというのも不思議なものです。今日、手を合わせることが出来たというのも何かの縁なのでしょう。偶然にもご開帳?していましたし(笑)

さて、今日の演奏会は特に楽しみでした~♪

クリスタルボールの演奏を聴くのも久しぶりという事もありますが、真我を見て以来、その状態で音を聴くのはどんな感じなのか知りたかったからです。

私は、ダグラス・ハーディングの『頭がない方法』で真我を見た(気づいた)ので、視覚的な感覚を主として見て(気づいて)いるわけです。

自分の主観では、上手く表現出来ず変な例えですが、真我を二次元的に感じてしまうんですね。真我自体に音はなく、静寂というか無音で。よく、あまりに美しい景色を見た時に、絵に描いたような・・・と表現しますが、この感じが結構近いんです。私の場合。

で、視覚以外にあと四感あるわけですから、まずは聴覚というわけです。マーパイさんは横になって聴く事ができるので、筋肉の余計な緊張が解放されるのは実験済みです。あとは、恒例の寝落ちだけに気をつけるように前日から充分睡眠を取って(笑)

聴覚に関しては、真我を見ている状態でCDを聴いたり、音に注意を向けることもやってみましたが、音楽は音楽を聴いてしまう状態に即落ちしますし、音に注意を向けても、真我に気づきながら、つまり視覚優位で、音が聞こえているだけで、イマイチお面白みが無く(苦笑)

そこで、純然たる音とその音の波動の中で真我に気づいていたらどうなるか?という実験をしてみたくてウズウズしてたわけです(笑)

当初は自分の波動が、身体や感情、思考など波動がバラバラ、これは他の方もそうです。つまり、部屋の中に様々な波動が飛び交っている状態で、調律されていません。しばらくすると、調律が済み、全員の波動、部屋の波動が様々なクリスタルボールの音、振動と共鳴しだします。

いつもはここで、完全に寝落ちですが、今回はバッチリですので落ちません。とはいえ、3回くらい自分のイビキが聞こえましたが、一度で目が覚めました(笑)

さて、最初は音や振動に注意を向けていたわけですが、後半で全てのクリスタルボールが止まった時が何度かありました。その時、終わりかな?と思ったのですが、ふと、その音が止まっている時に音が聞こえたんですね。

何て形容していいのか私の語彙では言葉が見つからないのですが、無音という音なんです。

それまで、静寂というのはシーンという音がすると思っていたのですが、この無音はもっと精妙で、たぶん、耳で聞く音というより、身体で感じている振動のようなものなのではないかと当初は思いました。しかし、どうも振動とも違うような微かな音らしきもの・・・

演奏が終わり、耳をかたむけてみたり、振動を感じてみようと思いましたが、いつもながらのやり方では自分が粗雑すぎてまったくそのレベルは感じられないことはよく分かりました。

おそらく、雑然とした様々な音、波動が、クリスタルボールで調律され、その幾つかの音のみと言ってもいいくらいに身心が調律された結果、その音が止まった刹那に鳴っている?無音に一過性で気づいたのでしょう。

初めての体験なので、感覚があったことはハッキリわかりますが、今の自分には言語化はまったく不可能です。

真我の音なのか、真我に近い領域の音の体験なのか、それも定かではありませんが、こういう世界が、さらに奥深い世界が無限にあるのだろうなぁということが分かっただけでまずは充分ですし、この世界の識別は、もっと神経系が発達しない限り、今の私には到底不可能です。

さらに、触覚や味覚、嗅覚もあるわけですから、まだまだ人生飽きませんね(笑)
【2013/10/20 19:01】 | クリスタルボール | トラックバック(0) | コメント(0)
グレーゾーン繋がり・・・一つ二つ
大きな台風でしたが、皆さんのところは大丈夫でしたか。

大島は大変な被害でした。最近、これまでに経験したことのないような・・・というフレーズをこれまでに経験したことがないほど、頻繁に耳にするようになりましたが、それほど、これまでとは違う気象状況に突入しているのでしょう。

異常気象が常態と化しては異常気象という言葉も使えなく成りつつある今、新たに経験したことのない・・・というような言葉を使わざるを得ないのでしょう。

ですが、毎年のように使っていた異常気象という言葉が、毎年使うが故に、異常とは言えなくなったように、おそらく、この言い回しも数年で死語と化すのではと現実を眺めて感じてしまうのは私だけではないでしょう。

気象庁の会見を見ていると、まさに言い方をグレーゾーンにしておいて責任を被らないようにしているように見えてしまいます。事は言い方や概念規定ではなく、如何に人命を守るかだと思うのですが。どうも、お役所的な対応に見えてしまいます。これは一刻も早くグレーゾーンを解消してほしい問題ですね。

天候も地球規模で大荒れですが、経済はアメリカのデフォルトが取りあえず回避され大荒れにならず好かったですね。

しかし、デフォルトに成らざるを得ない要因は解決されたわけではないようですから、遅かれ速かれいずれ再燃するのでしょう。グレーゾーンで延命措置なのでしょうから、昔の日本のバブルのような感じでしょうか。

まぁ、アメリカは自分でお金を無尽蔵に刷れるわけですから、幾ら借金しても刷った金で返せばいいわけです。ただ、信用は失っていくわけですから、いずれは破綻ですね。その兆候は米国債の格下げという形で出始めたようですが。

私はあまり経済に詳しくないので、興味のある方はこのわかりやすい動画を視てみると面白いでしょう。ただし、この動画を視ると口があんぐりと開いちゃいますけど(苦笑) アベノミクスの危うさ(胡散臭さ)(13分くらいから)や、今、自民党が何故、特定秘密保護法案の導入に夢中なのかのカラクリ(19分くらいから)が見えちゃって、自分の頭が如何にグレーゾーンだったか唖然としてしまうかもしれませんので、念の為(笑)

さて、同じグレーゾーンでももっと夢のあるグレーゾーンを見てみましょう。皆さん、進撃の巨人という漫画、あるいはアニメをご覧になったことはありますか。私はアニメで観ていたのですが、この地球上にも巨人がかつて住んでいたようなのです。ギリシャ神話や各国にある巨人神話はこの辺から来ているのかもしれませんね。本当の話ならば。

ただ、不思議なのは、世界史であれ、日本史であれ、あるいは生物学的な話においても私は全く巨人が実在したという話やまして歴史で習ったことがないということです。

以下のサイトには発掘現場の写真が多数ありますが、皆さんは見たことがありますか。私は30年くらい前にこの手の写真を雑誌ムーで初めて見たのですが、その時はかつて巨人がいたのかぁと感動しました。まぁ、当時は認識力皆無ですから、せいぜいその写真が本物か偽物か程度の疑問が過ぎり、信じたいので感動しまくりでしたが、今は、それプラス、もしも、これが本当だとしたら、何故、これを学会は黙殺するのだろうか???という新たな疑問ですね。

世界の事情までは分かりませんが、少なくとも日本では表立ってのこの手の話はゼロでしょう。作りもの扱いなんでしょうね。ですが、今時、現地に行って嘘か本当か調べるのは分けないわけですから、もしも、仮に本当だとして、巨人を認めたくないという思惑があるのだとしたら、それって、どんな思惑、思想なんだろうと秋の夜長にふと興味が湧いてしまいます。

あっ、巨人からまた、変なグレーゾーンに興味がシフトしちゃいますね(笑)

さて、最後に、長いのですが、是非×100、ご覧頂けたらと思う動画をご紹介します。秋の夜長です。お時間のある方は是非!!!(上記の経済の動画もこれに含まれているので、お時間のある方は是非こちらをご覧ください)

美しい映像と素晴らしい視点、実はこれは今すぐにでも実現可能な未来なのだ!!!とわからせてくれる見事な作品です。

若かりし頃、太母さんや山田先生が仰っていた未来を実に見事に映像化しています。今、我々はまさにその前夜、グレーゾーンにいるわけですが、我々一人一人が意思し、選択しさえすれば手に入る未来です。

夢に終わらせず、是非、この目で見てみたいものです~♪
【2013/10/17 22:54】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
過渡期・・・
予想できたこととはいえ、やはり、一日の内に夏と秋があるのは身体に応えますね。

皆さん、体調は如何ですか。

夏のような昼間を半袖やTシャツで過ごし、急激に温度の下がった夜を寒そうにしている若者たちの映像をテレビで観ましたが、解説者が、若者はともかく、高齢者は羽織れるものを持って歩きましょうと言っていました。

私は丁度グレーゾーンですが、若者か年寄りかどちらかに決めるとすれば、年寄りです(笑)

グレーゾーンといえば、フェルデンクライスでは非常に大事にするんですが、前回、ご紹介したエックハルト・トール氏の動画3-3でご紹介した女性が、彼に2択のように言われて、ちょっとムッとしている表情に見えました。

私も彼女とまったく同じような反応がでましたが、グレーゾーンという選択肢を受け入れ、そこに留まってしばらく考えてみる事を長年やってきているので、まぁ、いいや!!!という気分になれるんですね。

たとえば、真我を選択しましたが、当然、これは脳内の出来事ですから、決めたからといって悟るわけではありません。ですから、夢を活用しようとしたり、それが駄目なら、瞑想を媒介にする工夫とかを考えるわけです。

もう少し構造に立ち入ってみると、引き寄せを使って、欲望や願望を成就することを放棄する事を決断しながら、実はまったく放棄は出来ないという矛盾が生じています。

では、決断がまったくの無駄かといえば、そうではなく、工夫の甲斐あって、ほんの少しずつではありますが、効果が出てきてはいるわけです。以前書いたように、雑念が激減し、心は静寂の質を帯び始め、静寂の時間が少しずつ延び始めました。

ですが、悟ってはいないので、想念停止とまでは到底いきません。ということは、意図せずして意図していることになります。引き寄せ的に言えば、後ろ向きの想像とか、惰性の想像は未だ、頻繁に行われているわけです。

さらに、もっとこの構造を深く考えてみると、引き寄せの法則の意図的部分を放棄しておきながら、実は、効率的かつ効果的な引き寄せの法則の過程を辿っている可能性があるかもしれないという実に奇妙な、つまり、グレーな道を辿っている可能性があることがわかります。

私限定の話ですが、雑念がどんどん減少することにより、特定の、つまり、習慣的な思いや想いばかりが、脳裏を過ぎっている事に気がつきました。取り留めも無く流れていた雑念や、脳内のおしゃべりが減ってきた結果、自分の思考の志向性や嗜好性が見えだしてきました。

これは水平方向で広がっていた思考(の癖)が焦点が定まりだして、サーチライトのようなビームになり出したことを意味しているでしょう。つまり、意図してはいないのですが、ふと気づくとこれらの思考の癖ばかりが、脳裏を過ぎる時間が格段に増えているわけです。

さらに、最近、瞑想を復活したわけですが、それによって垂直方向でも、つまり、意識の非常に深いところでこれらの想念に気づくようになりました。これは、意図はしていないのですが、顕在意識より格段に深い潜在意識で湧いた?想念ですから、念の力としては表面で一生懸命思い込もうとしているより格段に強力ということになります。

つまり、虫眼鏡で焦点化されたような、かつ深い海の底でフッと微かに湧くような想念、ある意味、マントラ化したような想念(意図)となっています。

もちろん、私は意図してやっているわけではありませんから、後ろ向きの引き寄せですが、引き寄せが起きることは避けられないでしょう。逆に言えば、もしも、引き寄せをもっと強力に行いたい人には非常に効果的ともいえる意識状態なわけです。

どちらでも選べるグレーゾーンなわけですが、私はそこはかとなく湧く想念を眺める、気づくに留め、それ以上、意図しようとは思いません。ただし、ネガティブな想念に気づいたら、そういう思考の癖は後ろ向き、惰性であっても引き寄せが働くわけですから、意図的に打ち消すような、好ましい想念をなるべくその深いレベルで放つようにしています。なぜなら、マザーテレサが以下のように言っていて私もそう思うからです。

思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい それはいつか運命になるから

まぁ、別に今すぐ悟れるとは思ってはいませんから、如何にグレーゾーンとしばし共生していくかが今の私には大事です。幾ら真我と騒いでみても、思考が運命になるほうが今の私には圧倒的に速そうですから(^_^;)
【2013/10/13 19:45】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
補足・・・偶然にも!!!
今日は昨日に比べると蒸し暑いですね。台風も近づいていますし、ちょっとした夏の復活でしょうか。

一匹のツクツクボウシの鳴き声を聞きました。まだ、蝉が生きているんですね。もしも、最後の一匹だったら・・・ちょっと、切ないですね。

さて、昨日のブログで引き寄せの法則のある考え方と真我とのちょっとした葛藤があったことを書きました。少しわかりにくいかもしれいとは思ったんですが・・・

すると、なんとまったく同じ質問をエックハルト・トール氏に投げかけている動画に出会いました。

私はインドのラマナ・マハリシ、瞑想指導家の故山田孝男先生の影響で、インド哲学の真我という概念や思想は違和感がまったくありませんが、縁の無い人にはかなりの違和感があると思います。その点、エックハルト・トール氏は西洋人であり、今の時代の人達のマインドを充分に熟知しているので、抵抗も少なく、共感や理解がしやすいでしょう。

エックハルト・トール氏のやり取りを観ていて、感心した次第です。自分はやはり、かなりインド系に偏っていますね(苦笑)

そこで、私は真我を垣間見ているだけですが、常時、真我の状態にいるエックハルト・トール氏の解説の動画を貼ったほうが興味のある方には分かりやすいだろうと思い貼っておくことにしました。真我(これも一般的ではないんでしょうね)、すなわち、本当の自分とか、純粋意識でも神でもいいですが、これに興味のある方はどうぞ。ちょっと、長いです。

3-1 これの5分28秒辺りで形のない意識と言っていますが、これが真我です。

3-2

3-3 10分辺りに登場するクインシー・ジョーンズ氏の娘さんの疑問が私とまったく同じです。多少違うのはおそらく、私は真我を視ているので理解ではなく実感という点で、迷いが少ないのと、私のほうが遙かに歳を喰っているので、欲が少なくなっていて諦めやすいという点でしょう(笑)
上昇志向の強い方にはエックハルト・トール氏の視座はやはりツライものがあるのでしょう。彼女のお気持ちよく分かります(笑)

3-4


私自身が真我に関してはヒヨッコです。端緒についたばかりですから、今後はこの手の話に関しては良い動画が見つかればこういう方々の動画を貼っておくことにします。そのほうが分かりやすいですから。
【2013/10/06 21:42】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
相反する方向・・・
昨日、今日と涼しいですね。と言うより、寒いくらいですが、明日からまた夏のような天気らしいので、身体もそれについて行くのが大変です。

ある程度の範囲内であれば、適応するのもそれほど困難ではありませんが、その限度を超えていると、それは困難となり、時には不可能となります。

身体と心は密接に関連していますから、気分がすぐれないという方は身体のケアをすると改善されるかもしれません。

身体の改善は、媒介的に気分(心の状態)の改善ですから、方向性としては一致しております。身体の改善の仕方を間違えない限り、気分が悪くなることはないわけです。

もちろん、逆に心に働きかけて、身体を改善することも不可能ではありませんが、普通の人にとっては難事でしょう。たとえば、寒いと思うから寒いんだ!!!ですから(笑)

とは言え、両者は同じコインの裏表のような関係であり、ある一定の範囲内ではお互いに独立して変化しますが、本来は一つのものといえます。ですから、身心という言い方もあるわけですね。

さて、逆に片一方に働きかけると、相対的にもう一方が弱まっていくような関係性も多々あります。たとえば、病気の治療などその最たるものでしょう。体内に入った人体に害を為す細菌を減らす、殺すから、健康を回復するというのは、むしろ当たり前の事です。

以前に書いた、引き寄せの法則の中のある考え方と真我の関係性もこれと似た関係にあります。真我に気づくとはたとえば、映画を観て感動していても、これは映画だと気づいているようなものです。もっと極論というより正論ですが、ハッキリと言ってしまえば、スクリーンに映っている映像だと明瞭に気づいている、気づき続けているようなものです。

映画の楽しさとはその中に我を忘れて没入する(感情、感覚が激しく起伏する)ことですから、これは映画だと気づく事は楽しい事でも何でもありません。

スペクタクル、ファンタジー、アクション、ミステリー、ホラー、恋愛、・・・etc.
同じスクリーン(真我)に様々な映画(転生)が上映され、それに没入し、また、次の映画(転生)に期待する・・・

引き寄せを知り、いよいよこれから、壮大な映画を!!!と思っていたところへ、真我を偶然にも視てしまい、どちらを選ぶか迷いが生じたことは以前、書きました。

それはつまり、心の方向が相反するものだからです。夢を追い求めて外へ、外へと拡大する方向、すなわち、より面白い映画を求めていく方向(願望のロケットを打ち上げ続ける)と、逆に、内側へ、つまり、これらは雲の如く流れては消えていく、夢だと気づいて内へ、内へと深く入っていく方向。最終的には心が滅するところまで行き着くわけです。

真我というものを知識で知っているだけの時は、真我に夢(心が勝手に創ったイメージ)を抱くことができました。何か途轍もなく凄いものじゃないのかと・・・

でも、視てみたらそういうわけ(心の創った勝手なイメージ)ではありませんでした。

せっかく、視たのに、これじゃー、いいや!!!といって、映画の中に戻っていく気持ちもよく分かるんですね。映画マトリックスの中に出てくる裏切り者の気持ちが(笑)

心は猿のようなものですから、ひっきりなしに刺激を求めて動き回ります。大きく揺れ動く感情や感覚が大好きです。それを静寂に繋ぎ止めるのは確かに難事であり、私も当初は楽しくない感情が涌き上がっていました。

でも、今はほんの少しずつではありますが、増えだした静寂がいいものだと感じ始めています。もちろん、この感じるは、自我(心)が言っているわけで、真我は別にそんな感慨はありません(笑)

論理的には納得していましたが、真我の影響が身心に出てくるのを知覚できるにはそれ相当の年月がかかります。真我と同存し、かつその影響下で何かを感じるという神経が当初はゼロですから、少しずつ、その種の神経が発達するまでは、真我に関したものは、存在しているとしても知覚は出来ません。

コウモリには聞こえても人間には聞こえない、猫には見えても人間には見えない周波数のようなものです。でも、確かに実在するわけで。

当初は確かに、真我と自我(心)は明瞭に対立していましたが、時が経ち同存という神経系が発達し始めると、真我は何も変わりはしませんが、真我と共にある自我が僅かずつ変容していくのが分かり始めました。

視ても戻っていってしまう方の気持ちはよ~~く分かりますが、続けてみると、なるほどという感覚が育ってくると思いますよ~♪

いつの日か、巌のように聳え立つこの自我が、真我に溶けさる事を夢見つつ、秋を楽しむ(笑)
【2013/10/05 19:05】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
いざ!自由へ フェルデンクライス・メソッド


フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

プロフィール

kanfuboy7

Author:kanfuboy7
フェルデンクライス・プラクティショナー

夢は猫や虎のようにしなやかに自由自在に動く爺になる事です(笑) 現在、夢に向かってばく進中?

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

リンク

FC2カウンター

カレンダー

09 | 2013/10 | 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する