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○○だから・・・
ここ数日、朝晩めっきり寒くなってきましたね。
まだセミも何匹か鳴いていますが、どこか物悲しい響きです。

さて、前回は若者向けというより、人生の酸いも甘いもかみ分けて・・・の年齢向けの話でした。
私はこういう視点は大事だと思っていますが、引き寄せの作用点から考えれば、全ては今なわけですから、出来ればなるべく早く、よりFeelGoodな方向へ意識を向けていったほうがいいと思います。

そういえば超久々に精神年齢の測定をやってみました。もちろん、遊び心からですが、自分としてはまぁまぁかなと(笑)

20代初期の頃、この手の測定は大好きでしたが、例外なく人生の晩年とか、70代以上という結果が出たので、興味がなくなりました。

これは嫌だからではなく、大満足だったからです。当時は精神世界にどっぷりでしたから、20代にして晩年ということは、大したものだと勝手に大喜びしていたからです。だいたい、仙人とか、聖者のイメージって老人でしょう。だから、若くして俺って悟りに近いのか!って(笑) 後に、単に身心、特に身体が老け込んでいただけだからとわかりましたが(^_^;)

今回、出た結果は精神年齢29歳、絶妙な歳だと思います。身体感覚からして老人はないと思いましたが、万一若返りすぎて、小学生以下にでもなっていたらどうしようかと(笑)

私の年齢でプラスマイナス5歳が平均だそうですから、相当の若返りですね。若かりし頃の人生の晩年の境地からすれば、桁外れです。

さて、遊びはここまでで、タイトルですが、この○○だから・・・の○○がハッキリと意識に上ったのは、やはり20歳の頃でした。もちろん、当時の私は思考を深めるどころか考えることも出来ませんでしたから、妙な違和感を感じるだけでした。

この○○には何を入れてもいいわけですが、私は初めて知ったカルマという言葉がきっかけです。今のようにこんな一般的な言葉ではなく、宗教用語、それもインド系でしたから、まったく聞いたことがありません。

使い方は、カルマだね!とか、カルマだから仕方ないよ!とかでしたが、要するに、業とか因縁とほぼ同義で使われていました。もちろん、当時の私には業や因縁という言葉もカルマと同じくらい縁はありませんでした。

もう一つ引っかかった言葉に『自然の支持』という用語がありました。これは、瞑想をして波動が高くなると、自然界が支援をしてくれるので、何でも自然にスムーズにいくという考え方です。ただ曲解して、上手くいかない、失敗したのは、自己責任ではなく、自然の支持が無かったから仕方ない!と使う人が多かったので、何事も努力して苦労して身につけるものだ!!!という考え方に固執していた私には相当の違和感がありました。

当時の自分の頭の働きは、せいぜいこれらの考え方は何か変だなという印象までで、それ以上掘り下げて思考できるほどの頭はありませんでしたから、何か違和感を感じつつも少しずつ、これらに馴染んではいきました。ただ、染まりきれなかったのは、私は瞑想をやっても体調や精神状態が酷くなるだけで、ちっとも成果は出ませんでしたから、結局、自努力でどうにかしなければならなくなり、結果、精神世界からは離れてしまいました。

で、今はどう考えているかというと、これらは真理だということです。

引き寄せの法則を知って以来、ここ数年、自分及び他者を観察してきましたが、間違いなくその通りです。まぁ、法則ですから例外はないので当然なんですが(笑)

では、真理にも関わらず、当時のそれらの言葉の使い方に何故違和感を感じたのでしょう。

今流の事例を挙げれば、たとえば入試に失敗したとして、○○にこういう言葉を先生が入れたらどう感じますか。勉強しなかったんだから、自業自得だね!とか、能力だよ!とか。あるいは、ガンになった時、医者が、お宅の家系だから!とか、遺伝だから仕方ないね!とか。

要するに、運がいい、悪いとか、金がある、ないとか、才能がある、才能がないとか、背が、美貌が、歳が・・・etc.

この○○に何を入れても共通しているのは、○○が主人公で、自分はその運命下にあるという認識です。

私はこの認識に違和感を感じていたのですね。これを受け入れる以上、自分の人生、すなわち運命は決定していることになるわけですから。努力しても無駄であり、なるがまま・・・これは当時のお粗末な私には到底受け入れがたい考え方でした。例えば、瞑想で悟れないのも才能がない運命だから。太極拳を上達できないのも才能がないから。膝を痛めたのも運命だから。

冗談じゃない!!!これじゃ、俺の人生、真っ暗じゃないか!!!という強大なコンプレックスが今の私にしてくれたわけで(笑)

なのに、真理であるとはこれ如何に???なわけですね。

真理とは単純である!とも言われますが、ありのままに眺めれば、今の自分があるのは、そのように自分が自分のことを考えているからです。だから、そのような波動を発し、帯び、その運命となります。

20歳にして精神年齢が晩年ということは、もうじき死ぬということです。身心は密接な関係がありますから、身体も老人です。そんな人間が瞑想を長時間してもその高い波動の変化を許容し、変容することは至難です。また、太極拳を上達するどころか、70歳すぎていきなり、毎日何時間も練習すれば、身体が壊れるのも至極当然です。

つまり、当たり前、真理どおりなわけです。私の場合、偶然フェルデンクライスに出会い、身体が若返り始め、それに比例して、新しい考え方を受容できるようになり、今は、いい考え方やモノの見方があれば、自分に適用したいと思えるところまで来ました。若いときは、自分の考え方、感じ方、すなわち、信念から離れることは至難でした。歳を取ると一般的に頑固になるのは、身体が硬くなってくるからであり、拘りの少ないご老人は例外なく筋肉が柔らかいはずです。私は若くして老人でしたから、よ~くわかる(実感できる)のです(苦笑)

どう生きるか(考えるか)は、自分の好きにすればよいというのが、今の自分の考えですが、人と関わることを仕事にするような人は、やはり、上記したような学校の先生や医者のような考え方、感受性では不向きでしょう。

確かに、能力だったり、遺伝だったり、不摂生だったりしたせいかもしれませんが、当事者はたとえ自業自得とはいえ、悲しんだり、苦しんだりしているわけで、それを一刀両断で、真理でぶった切ってしまっては、その人の心理(気持ち)はズタズタになり立ち直れなくなってしまいます。

たとえ何らかの○○だったとしても、必ず方法論はあります。諦めないからこそ、人は飛べるでしょう。直接は無理でも飛行機で。携帯で地球の裏側の人とすら話せます。直接は無理でも。

ですから、歳を取るということは、体験を経験に変えて知恵を身につけるという可能性を日々高めているとも言えなくなくもないわけですから、豊かな人生経験から、何かを若くして(若くなくても)挫折している人に伝えられるはずだと希望を持っています。

右から左へ一足飛びに行くのは至難です。確かに、○○だからは真理ですが、過程性があるわけで、今の自分は過去の自分が出した波動も帯びています。誰もがその過程性にあるわけですから、究極の真理を言われたら身もふたもありません。特に、先生と呼ばれる職業に就く人は、自分の到達した境地から生徒に接すると、多くの場合、生徒を潰してしまいます。

長くなっちゃいましたね(^_^;)

歳を取るのもあながち悪いものではないという前回の続きでした。それに、少しずつ、境地が上がってくれば、必然的に波動も上がるわけで、結果、自分の周囲の環境も自然と変わるわけですから、それまで気長に待てば、それこそ、自然の支持?で楽に変わってくれますね(笑)
【2014/09/22 18:00】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
秋ですね
久々にこの辺では大きな揺れでした。いきなりでしたので、少し驚きましたが、この驚くということに新鮮さがありました(笑)

それほど、3.11以降、いつの間にか地震の揺れに慣れてしまっていて、最近、それが減少していたので、久々の揺れに驚く、つまり、最近は揺れが非日常化して神経系が元に戻ってきていたわけです。

この慣れるというのは、様々な事に当てはまるわけですが、人生も歳を取るに従って自分の人生に慣れていくわけですね。変な言い方ですが(笑)

私は特に若い人向けにと書いている記事があります。もちろん、志ある人やチャレンジ精神豊かな人も意識性としては含んでいます。

例えば引き寄せなんだから何でも可能なのだ!!!と考える考え方も私は否定はしていません。が、しかし、私が今から横綱白鵬に相撲で勝つとか、ウサイン・ボルト選手に100M競争で勝つとかこれは不可能です。これを真剣に引き寄せで・・・と考えるならバカでしょう(笑)

別な分野で勝負するとなれば、私が勝つものも幾つかあるでしょう。つまり、彼らに勝つという事を考えるならば、その勝負の土台を考えなければなりません。これが、アタマを使うということです。

若いうちならば、自分の身心が可塑性に富んでいますから、彼らの世界で勝負することも可能です。ですが、歳を取れば、特に身体の可塑性は著しく低下していますから、極端に住む世界を変えることは、時には人生の破壊、死を意味します。モーシェ・フェルデンクライス博士が指摘したようにサバイブ(生き延びる)出来るかどうかという視点が重要なわけです。

だからこそ、若い人には大いなる夢や志を持って挑戦してほしいですし、歳を取ってもチャレンジ精神旺盛な方には、是非、アタマを使って勝負して頂きたいわけです。

歳を取ることのメリットは人生経験が豊富になり、ある程度、予見出来るようになることです。モーシェ流に言えば、新たに始めることに対して自分がサバイブ出来るかどうか経験値から推測する能力が育ちます。もちろん、その能力は人によってピンキリですが。

長く生きていると否が応でも、一般的には体験が増えていきます。楽しい事も、悲しい事も、その他、諸々の事が・・・。

特に晩年になれば、必然的に自分の周囲の人と悲しい別れも増えていきます。これを癒やす様々な方法はあるでしょうが、一般的には時が一番癒やしてくれるでしょう。

こういう経験が積み重なることで、自分の悲しみや喜びを媒介にして人の哀しみや喜びにも共感できる能力が育つわけですが、通常は若い人よりは、年齢の行った人のほうが深く理解できます。

例えば、今は初秋です。私の人生もそんな時期です。若い頃は、単に夏が去り、秋が来るだけとしか認識には反映しませんでした。でも、今は『桐一葉落ちて天下の秋を知る』という句を眺めるとしみじみとその句の意味と詠んだ人の気持ちが伝わってきます。

今はYouTubeに様々な動画があります。私が若かりし頃、聴いていた曲も幾つもあります。若い頃は、リズムやメロディーしか、つまりノリでしか聴いていませんでした。でも、今、改めて聴くと、しみじみと聴き入ってしまうものばかりです。

特に、同年代の方が当時の曲を今歌うと、随分と印象が変わっているんですね。幾つかの理由はありますが、アレンジや歌い方など専門的な事を除くと、その歌手のこれまでの人生経験が歌詞に反映され深みが増しています。つまり、歌詞に思いを乗せて歌っているんですね。これには、二重性があり、歌詞の内容に、本人の人生経験から来る思いを乗せる、つまり、単に感情を込めるから、さらに情感を込めて歌うことが出来るようになっているわけです。

そして、もう一つ別の二重性、私がこの歳になり経験を積み重ねて、歌詞に耳を傾けたとき、その歌詞の世界が目の前に観え、時には作詞家の意図や意識まで感じる事ができ、さらにそれを歌っている歌手の声、姿にそこはかとなく、その歌手の人生を重ね合わせて聴くことが出来るようになってきたからです。

例えば薬師丸ひろ子さんの『セーラー服と機関銃』、若い頃の歌と比較してみると圧倒的に情感が籠もっています。凄いと思うのは、様々な人生経験を重ねながら、それが重みや暗さになっていないのですね。ある種の達観、慈しみすら感じます。

同じ曲を『夢の途中』(2分20秒あたりから)という題名で来生たかおさんが歌っています。彼は若い頃聴いた時は、暗い印象でしたが、最近のは暗さではなく、味わい深い哀愁が漂っていてとても素敵です。

さらにサーカスの『Mr.サマータイム』も当時、ドライブの時よく聴いていた曲の一つですが、最近の映像を観て、実に味わい深いものがありました。当時(10代後半か20歳)で、この歌詞をしみじみと味わえるわけもありませんが、今は・・・(笑)。この最初の出だしの所で、4人がそれぞれ発している雰囲気(波動)が実にいいんですね。各々がまさに自分の人生に重ね合わせているような感じで。ふと、人生を振り返っているような雰囲気が実に見事に漂っています。きっと、それぞれこの曲に人生を重ね合わせるような経験をされてきたのでしょう。

こういうことは若いうちは不可能です。ですから人生経験を豊かにすべく若いときはどんどんチャレンジしていけばいいのです。

今回は、特にある程度の年齢の方対象です。きっと、様々な思い出が脳裏によぎるでしょうから。

ワクワクも素晴らしいですが、たまにはいいんじゃないですか。

しみじみとや、しっとりも素敵な感情、情感だと思います。

秋ですね・・・同世代にエールも込めて!!!
【2014/09/16 16:40】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
基本が大事とは・・・
ここ数日涼しい日が続いていますが、時折、夏のような日もあるので体調管理が大変ですね(^_^;)

さて、巷では錦織圭選手の話題で持ち切りですね。私はテニスのルールすら知らないド素人ですから、よくわかりませんが、上達論に関してはどんな分野でも興味が湧くんですね(笑)

マイケル・チャンコーチの指導は徹底的な基本練習の反復ということですが、その内容は実に厳しく、さすがの錦織選手も泣きたくなったとか。

基本とか基礎とかは、名前からしてレベル的には下位のトレーニングのように未だに考えている人も多いでしょうし、せいぜい準備運動くらいにしか思えない人が大半でしょう。

さらに上達するには・・・と真剣に取り組んだことのない人には至極当然な認識だと思います。

錦織選手ですら、泣き言を言いたくなる基礎練習とはそもそも如何なるモノなのか・・・こういう疑問すらも湧かず、凄い日本人だ!頑張った!万歳!では、彼一代の成果で終わってしまいます。

単に頑張るだけで、100年の時は埋まるわけないんですね(苦笑)

ところで、前回、土屋太凰さんの演技力の秘訣から、実は上達一般から考えれば、全てにそれなりに当てはまると最後に書いておきました。

今回も、彼がせっかく凄い活躍をしてくれているのですから、少しは自分も!!!!と心意気のある人に一つ二つ・・・。

とはいえ、上達論として説いていくと、上達に興味のある方はともかくも、興味のない方(このブログを読まれる方にはいないと思いますが 笑)にはウンザリでしょうから、基礎以前の秘密、極意を語っている方に登場していただきましょう。

武井壮さんです。これを実践すれば人生が大きく変わる可能性があります。何故なら、フレームの歪んだ、あるいはアライメントの狂った自動車(身心)から、ちゃんと整備された車(身心)に乗り換えるようなものですから。

もちろん、整備された車の車種は人それぞれです。フェラーリのような人もいれば、軽自動車のような人もたくさんいるでしょう。これは、才能や資質の違いですから如何ともし難いです。

でも、アライメントの狂ったフェラーリなんて、軽自動車にも劣るのですよ(笑)

ですから、希望は誰にでもあるわけです。快適な軽自動車で、ステキな人生の旅ができると思えば楽しいでしょう。エンストやそれこそ廃車?なんて心配はいらないんですから(笑)
【2014/09/08 16:38】 | 上達 | トラックバック(0) | コメント(0)
魅力的なひと・・・
いつの間にやら9月・・・天気も秋の長雨のような感じですね。

さて、普段ほとんどテレビを見ないので、世情に疎く、特に芸能関係の情報はまったくと言っていいほど知りません(^_^;)

偶然、目にしたテレビに土屋太凰(たお)さんが出ていたのですが、しばし目が釘付けになってしまいました。正確には意識がですが。

名前からして凄い名前ですが、本名だそうです。名前負けしないどころか、拝見していて名は体を表すなんだろうなと唸ってしまいました。

彼女の名前は今日初めて知りましたが、朝の連ドラで何度か、ヒロイン花子の妹役での姿を見たことがあります。

もちろん、連ドラは滅多に見ないので、彼女の役者としての変化は見ていませんでした。インタビューに答えている彼女の姿と雰囲気に、まず目が奪われ、しばし話を聞いていたのですが、なるほど!!!と思ったことがあったので一つ二つ~♪

細かいプロフィールはネットで調べれば幾らでも出てくるでしょうから、興味のある方はご自分で調べて頂くとして、私が特に関心したのは彼女の認識です。

役者というのは、その役を演じるから役者なわけですが、ご存じの通り名優と言われる人達から大根役者まで幅があります。

演技が下手ということは、その役を上手に演じられない、さらには成りきれないからなわけですが、もう少し突っ込んで考えてみると、演じると成りきるには質的相違があります。

演じる場合、誰が演じるのか?
もちろん『私』が演じるわけです。

成りきる場合、誰が成りきるのか?
もちろん『私』が成りきります。

では、前者の『私』と後者の『私』は同じでしょうか。
当然に役に入る前までは同じでしょうが、役に入った途端、後者の『私』は限りなくゼロになります。要するに、成りきるわけですから、役柄その人になってしまうわけです。前者の場合、演じているわけですから、演じている『私』というものがどこまでも付きまといます。

これが見ている側に微妙に伝わるんですね。引き込まれてしまう演技と上手だなと思う演技に。

もちろん、役者ですから単に成りきってしまうだけではダメで、観衆がどのように感じるか、感じているかを感じられるメタ意識がなければなりません。名優といわれる人はこれが見事なのでしょう。逆に、大根と言われる人は、その役を見事に『私』で演じてくれます(笑)

さて、太凰さんは、非常に人に警戒心を起こさせないのですね。何故なのかをテレビを見ながら観察していると、彼女は自分は!!!という考え方に固執していません。よく誰もが使う、私は、私は・・・という自分(という枠)に対する思いが非常に希薄です。ですので、自分対他人という形での衝突が少ないため、人に安心感を起こさせ、気に入られるわけです。

歳を経て自我が強固に出来上がってしまうと、その頑なさに困ったり、嫌になったりして自分を変えようと試みる人達も出てくるわけですが、多くの場合、困難なのは、成りきれずに演技止まりで、結局、変えたい『私』が残り続けるわけです。

では彼女は何故に、変えられるのか?ですが、彼女曰く、人が好きでしょうがないそうです。だから、興味津々で知りたくてしょうがないと。その一つが、質問魔で、とにかく何故そうするのか、考えるのか知りたいそうです。子供のような好奇心が他人に対してあるわけですね。

それが性格と化している上に、さらに、役を演じる場合、その人はどんな人なのだろう、どう感じ考えているのだろうと、その役柄に非常に興味を持っています。

つまり、『私』が上手にその人を演じることを考えているのではなく、その人自身のことを知りたくて、その人自身になることを考えているわけです。

まるで、ガラスの仮面の北島マヤと姫川亜弓の違いですね(笑)

さらに、太凰さんは体育大で舞踊を専攻されており、様々な題材を踊りで表現することも学ばれています。幼少の頃から、スポーツが好きでさらにバレエも習っていて身体運動の基礎を創っており、今はコンテンポラリーなどの舞踊で、様々な人達の思想を表現することもやっているわけですから、ある意味、北島マヤと姫川亜弓のいいとこ取りです(笑)

幾ら、他人の気持ちや考えに共感したり理解できても、役者の場合、それを自分の身体で表現できなければなりません。文字通り、そのひと自身に成りきらなければならないわけです。身体で!!!

以上、引き寄せであれ、ユー・フィーリングであれ、何であれ、モノにしたい人へのヒントでした(*^_^*)
【2014/09/01 17:04】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
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フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

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フェルデンクライス・プラクティショナー

夢は猫や虎のようにしなやかに自由自在に動く爺になる事です(笑) 現在、夢に向かってばく進中?

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