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相変わらず・・・濃いなぁ・・・
花冷えでしょうか。少し寒いですね。

先日は久し振りに大学時代の友人たちに会ってきました。前回、皆で会ったのは10年近く前ですね。10年経ってもみんな相変わらずで、いやぁ~凄い。まぁ、外見は多少太めになった方もいましたが、貫禄ですね(笑)

何が凄いっていろいろ凄いわけですが、野郎が7人集まって、毒身が6人(あっ、一人はこちらに復帰です)ですから異常でしょう(笑) 唯一のまともな妻帯者から、おまえらの世にも貴重?な珍妙奇天烈摩訶不思議なDNAを残せ!!!もったいない!!!と言われましたが(笑)

非国民野郎たちですから、言い訳一つ出来ませんが、敢えて言い訳をすると、全員の一族、家族のみんなが変なわけではなく、一族の中で自分たちだけなんですよね。世に言う、鬼っ子という奴です。つまり、何故か、一人だけ変な奴が出てしまい(笑) ですから、仮に子供を残しても、多分、まともな奴ばかり生まれると思いますよ。まぁ、血筋が残れば、子孫からはいつかまた鬼が生まれるかもしれませんが(笑)

そんなわけで、各々好きな事をして生きていて10年ぶりにあっても、何の違和感もなく、世間ではドン引きで目をむくような話も至極当然の如く続きます。だ~れも疑問も違和感も持ちません。サクサクとディ~プな話題が平然と続いていきます。10年前もそれ以前もまったく同じです。表向きの近況は多少は変わっていますが、中身は何一つ変わっておりません。

ですから、かの妻帯者曰く、この歳になって初めてこの仲間の価値に気づいたと・・・

かつては、大学時代の友人たちのグループに過ぎないと思っていたけれど、社会で長年過ごしてきて、こんな関係性はないと・・・

もう人生も黄昏時に入り、残された時間から考えれば、もっと頻繁に会いたいものだと・・・

10年後では、誰か欠けても不思議じゃないから(笑)

スピリチュアルとか精神世界なんて言葉のない時代からずーっと変わらず、各々が追い求めているというより、それを各々が飽きもせず生き続けている。これが、何一つ、当時から変わってはいない。だから、お互い、何の違和感もない。相手に同じものも求めないし、同意も求めない。本質は同じで、歩く道が違うだけだから。

本質、すなわち魂が同じグループなのか?深~い縁なのか?はたまた腐れ縁なのか(笑)

話の内容はディープ過ぎるので、語りませんが、一見普通に生きているわけですから、凄い二面性でしょうね。気づかない人はまったく気づかないでしょうし、親しくなってもここまで深く話しはしないでしょう。私だって、ここ以外ではまったくこんな話はしませんから(笑) だから、安心してお互い弾けるのかもしれませんね。そんな関係性は築けないことに気づいたからこそ、大事にしたいという思いの発露だったのだと思います。

さて、閑話休題

上記した箇所に魂という言葉を使いましたが、前回、『思考と思考の隙間』とか純粋な『ユー・フィーリング』(以降長いので『それ』に統一)としましたが、何故、真我とか魂とかハイアーセルフとか内なる神とか使わないのだろうか?と疑問を持たれた方もいらっしゃるでしょう。

『それ』に気づくと判りますが、非人格的なんですね。全然、人間臭くないんです。私も『それ』に気づいた当初は、自我などの自分の普段の意識に対比して感じたので、知っている言葉として真我とか本当の自分とか呼びましたが、体験出来る時間が延びるにつれて、ハッキリしてきたのは、『それ』は極めて非人格的であり、だからこそ、いにしえの人たちが『それ』と名付けたのだという実感です。

『それ』に気づく、『それ』が気づくという興味深い感覚、それに対する考察もありますが、今はまだ、この両者を峻別出来る程の神経系はありませんので、いつの日か・・・というところです。

さて、花冷えとは言え、春はもう来ています。

この花冷えが過ぎれば、桜が咲き誇り春うららでしょう。

さぁ、まだまだ人生を謳歌しますよ~♪
【2016/03/27 21:23】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
考えていないことを考えてみる・・・
今日は暑いですね(^_^; 春を通り越して夏のようでした。でも、明日からまた寒いそうですが(T_T)

さて、変なタイトルですが、これは前回の最後の行の続きといったところです。

前回は y=x² の変数について、人を媒介にして考えてみると書きましたが、こんな事を考えた人はいませんか。

直接、自分で何とか出来んのかい!!!  あるいは、もっとダイレクトに・・・リセットは出来ないのかよ!!!

私は考えてみました(笑)

究極的な、つまり、ゲームで使われる完全なるリセットは不可能でしょうね。ですが、マイナスの変数が付いていた場合、急速に限りなくゼロに近づけるやり方はあるのではないのかと考えています。プラスに関しては私自身が膨大なマイナスを抱えている段階ですから、プラスになったらご報告出来るでしょうが、いつの事やら(笑)

ここで登場するのが、ずいぶん前にいずれ書くと言っていた『思考と思考の隙間』とか『ユー・フィーリング』と言われるものです。現在は専らこちらに関心がシフトしているので、タイトル通り普段ほとんど考えてないんです。

一番頭使うのは、今はブログを書く時ですね。一応、なるべく分かって頂けるように書かなきゃと思いますから。

まさに、考えていないことが如何なることなのかと考えてみなきゃならないので、今の自分では結構、頭を使います。

まだこれらの感覚や体験を一般化出来る程積み上がってもいませんし、理解も出来ていません。とは言え、3~4年取り組んでみた結果、自分なりに幾つか判った事もあります。

そこで、私個人の体験として備忘録代わりに挙げつつ、似たような道を歩んでいる方の参考になればと考えた次第です。『思考と思考の隙間』とか『ユー・フィーリング』がどんな変数なのかは今は明確には分かりませんが、非常に価値ある変数ではないかとの実感が自分個人としてはあります。

さて、開始当時のブログでは、多分、『思考と思考の隙間』とか『ユー・フィーリング』を静寂と感じ、実につまらないモノと書いていたと思います。感動もなければ、高揚感もなく、恍惚とするわけでもない・・・まさに、自分の当時の実感としては・・・だからなに???(笑)

とは言え、その手の本には、これこそが価値があると書いてあるわけですから、取りあえず、試してみるかとやり始めたましたが、これが至難で(^_^;

何が至難って、アッという間に出てしまい(開始当初は1秒ともたず)、さらにタチの悪いことに、出ちゃったことに気づくのがこれまた至難(気づきゃ、また入る努力が出来るわけです)で、当初はすっかり忘れて、寝る前や翌日、思い出すなんてザラでした。

あれから、数年経つわけですが、今はどうかと言うと、多少は時間も延び、ちょくちょく入っていないこと、つまり、いつの間にか出ちゃっていることに気づくことが増えてきました。それでも、一日あたり、トータルで30分も入っていれば御の字といったところです。

では、時間が延びることのメリットは何なのか。

『思考と思考の隙間』とか純粋な『ユー・フィーリング』と言うモノは、他の言い方では、統一場とか、純粋意識とか絶対とか言われるもので、英語ではイット(それ)とかザット(あれ)と言われ、まさに言い得て妙だと思います。神とか言うと人格的なニュアンスが含まれるので、実感出来る人には、イットとかザットの方がマッチしていると感じるでしょう。

で、数年経ってみて、『思考と思考の隙間』とか純粋な『ユー・フィーリング』(以降長いので『それ』に統一)と言われるモノは、成る程、全く変化しませんね。永遠不滅とか無限とか時間も空間もなく、老いることもないとか、言われていますが、まさに何にも変わりません。

それ自体は未来永劫変化しないのでしょうが、それを知覚している神経システムは発達しているようでして、当初は静寂としか感じなかったものが、今は、非常に微かですが、至福のさざ波のようなモノをうっすらと感じるときがあります。仏像が微笑を浮かべている・・・到底、その境地には至りませんが、わかるような気がするんですね。まれに、笑みを浮かべていることに気づく時がありますから。

また、ワンネスとか言われたりもします。この言葉を初めて聞いた時、みんな違うのに、何言ってんだ???と思ったものでしたが・・・当初こう思ったのはこれはこれである意味正解です。思いというのは人それぞれ、それどころか、自分ですら、今とさっきは違う事を思っているんですから(笑) ワンネス、人類は一つ、愛・・・高揚し、トキめきを覚える言葉です。私は、当初、こういう言葉を発する人を見て、気分に浸っているんだと思ってました。こう、思ってトキめきたい、気分を味わいたいのだと・・・

今は、ワンネスとは何なのかがハッキリと判ります。『それ』に入れば、すべては一つであり、自分でもあり他のモノでもあると。入ってみれば、冷暖自知でまさにその通りです。思考や思い、ましてや気分やムードではありません。本に書いてある通りでした(笑)

この実感を分かりやすい例えを使うと、自分(の肉体)は風船のようです。風船の外も内も同じ空気です。ただ、ゴムで仕切られているだけです。今は、『それ』に入れば、即座にワンネスになります。もちろん、『それ』を知覚しているから、『それ』になっているのであって、骨を意識すれば骨を感じますし、筋肉を意識すれば筋肉を感じます。現段階では『それ』の境地になってはいませんので、キリストのように左の頬を殴られたら右の頬は出せません。一瞬で、『それ』から出ちゃって、出ちゃった事に気づかず、相手を殴り倒していると思いますよ(笑) まぁ、それが今の自分です。

ですが、確実に神経システムは発達してきているようで、上記以外にもこんな体験が恒常的に可能になってきました。それは、帰宅途中にいつもの道を歩いていると、まるで、初めての道を歩いている感じがします。行きは、急いでいるので、なりにくいですが、帰りはノンビリと歩いていると、あまりに見たこともない(正確には、ボケッとしていて気づかなかった)風景が怒濤の如く目に飛び込んできます。

『それ』に入れば、何度同じ道を歩いても、まるで初めてと思える程、豊かな世界が出現するのですね。その手の本には、この世界がどれ程豊かな世界なのか、感じろ、有り難いと思えと書いてあるわけですが・・・感じてみて(気づいてみて)初めて思いました。何て、この世界は豊かなんだろう!!!と。

今の私の段階では、歩いている速度が確実です。自転車やクルマでも出来るでしょうが、緊張感が増えるので、難しいです。それと、慣れ親しんだ道のほうがいいですね。旅行とか、特に海外旅行ではハードルが高すぎるでしょう。外に注意を払う比重が高いと『それ』に入るのが困難です。レベルが相当上がれば可能でしょうが、今の私には到底無理です。

当たり前で心配が殆どいらない、けれど、ほんの少し注意は必要・・・初心者にはこの程度が一番いいと思います。

それと、当初は豊かさに圧倒されて、興奮したら、『それ』からアッという間に出ちゃいました。慣れてくると興奮度は減るのですが、いつもの風景が違って見えますから、アルタード・ステーツ(変性意識状態)とか、トランスの方へ入りがちになります。これは似て非なるモノで、覚醒度が格段に落ちます。恍惚としてくるので面白いですが、自分は無駄だと思っているので、その時は一端、中断して仕切り直しします。

視覚の情報のみならず、聴覚も影響があります。今の自分の段階ですと、好きな音楽を聴きながら歩いていると、その音楽が豊かな世界のBGMとして流れます。音楽の世界に入るのではありません。スポーツ選手などが、イヤフォンをして試合前に集中していますが、あのように音楽に聴き入ったり、音楽に浸ってしまうとやはり、『それ』から出てしまいます。

長々と書いてきましたが、以上はすべて現段階の自分の体験であり、当然、一般化は出来ません。参考までに・・・ということです。

さてさて、これで、書くことはなくなっちゃいました。当分は、また体験を重ねる日々ですね(笑)
【2016/03/08 22:11】 | 日々つれづれ | トラックバック(0) | コメント(0)
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フェルデンクライスを柱に、スポーツや武道、ダンス・バレエ、音楽・芸術などの表現を上達させたい人へ、そして、健康的で心豊かに日々を過ごしたい人に役立つことを・・・

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